5. 基金の設立
先ほど、マ・シ海峡を利用することにより便益を受ける者から、その便益の程度に応じて公平に負担を分配する、ということを実現できる唯一の方法は、(1)(a)の資金提供プログラムに基づく協力であり、便益の程度に応じて各国が沿岸国に資金を提供する恒久的な制度を構築する必要がある、と述べました。この恒久的制度としてどのようなものが適当であるのかについては意見が分かれるところですが、関係者の中でよく指摘される有力な選択枝が基金の設立です。ただし、基金についても様々な形態があり、一概に適否を判断することは困難ですが、ここではモデルケースとなり得るものを検討材料の一つとして提示したいと思います。
(1)基金の財源
基金の財源は、マ・シ海峡通航船舶数及び当該船舶の総トン数に応じた、当該船舶の登録国(マ・シ海峡沿岸国を含む)からの資金と、マ・シ海峡沿岸国が船舶の寄港から得られる便益に応じて支払う資金の二つです。
⇒マ・シ海峡通航船舶数及び当該船舶の総トン数に応じた
■基金の財源を受益者から徴収するわけであるが、受益者の特定と受益の程度の特定という問題が生じる。
海峡の安全な通航による直接的受益者は通航船舶である。しかし、間接的受益者については、二次的受益者、三次的受益者を含めると、その数は膨大なものになる。また、その受益の程度も様々になる。第VIII章「国連海洋法条約第43条に基づく海峡沿岸国と利用国の協力」でも述べたが、受益者特定の作業を関係各国関係者がコンセンサス・ベースで行うとした場合、便益の程度が応分の負担割合に直結するという考えに基づく限り、関係者間の利害対立が表面化し、妥当な結論を出すことは極めて困難となる。従って、受益者の特定作業は、これから利用国負担問題に関する議論を開始するにあたり、どの国がその議論に参加するべきか、ということを見出す程度に止めることが賢明であると考えられる。
応分の負担割合に直結する受益の程度を特定するためには、間接的受益者については考慮すべきではなく、直接的受益者についてのみ考慮すべきである。直接的受益者である通航船舶がどの程度便益を受けているかについては、第VIII章「国連海洋法条約第43条に基づく海峡沿岸国と利用国との協力」で述べたとおり、(1)運送貨物の価格、(2)貨物運送賃、(3)通航隻数、(4)通航船舶の総トン数などいろいろ考えられるが、把握の容易さを考えた場合、単純に通航隻数に総トン数を組み合わせるという方法が一番適切である。マ・シ海峡通航船舶の船籍国別の通航隻数及び総トン数に関する統計は、強制船位通報制度が実施されている現在においては、容易に収集することができる。
当然のことながら、このような指標を使用した場合、受益者とは船籍国ということになるが、あくまでも、これらの船籍国は一次的な負担者であり、負担分を更に別な者に転嫁することも可能である。
⇒当該船舶の登録国(マ・シ海峡沿岸国を含む)からの資金
■例えば、1万トンクラスの貨物船が海峡を1回通過した場合、どの程度の費用を徴収すべきか、について決める必要がある。本来であれば、需要(必要とされる対策に必要となる金額)と供給(海峡通航船舶量)との関係で決められるべき問題であるが、どの対策がどの程度必要とされているのか、について、海峡沿岸国と利用国との間でコンセンサスを得ることは困難であると予測される。従って、特別の法制度に基づき既に費用の徴収を行っているトルコ海峡などと調和するような形で決定されるべきである。
■そもそも、海洋法条約との関係で、そのような費用を通航船舶から徴収することができるのか、という問題がある。海洋法条約第26条(第2部「領海及び接続水域」)は、外国船舶に対しては、領海の通航のみを理由とするいかなる課徴金も課することができないが、特定の役務の対価としてであれば可能、と規定している。一方、第3部「国際海峡」には、そのような規定はない。これは、国際法の解釈や当該規定が確定するまでの議論などを詳細に考察する必要があり、国際法の専門家にお任せするしかないが、仮に海洋法条約第26条が国際海峡には適用されない、としても、沿岸国と利用国とが合意して課徴金制度を構築する限り、海洋法条約はこれを否定するまでの意図は持たず、通航船舶に課徴金を課すことは可能であると考える。なお、国際海峡の課徴金制度に関しては、加々美康彦「国際海峡と課徴金―マラッカ・シンガポール海峡における持続可能な資金調達体制の構築をめざして―」『国際海峡利用国と沿岸国の協力体制』〔財団法人シップ・アンド・オーシャン財団 海洋政策研究所〕(2004.03)参照
⇒資金の二つ
■この二つの資金の割合をどうするのか、について考える必要がある。船舶の通航による便益の程度は、前に述べたとおり、海峡沿岸国、利用国の区別なく、通航船舶数を基準に考えることができるが、海峡沿岸国が通航船舶に対する各種サービスを提供することにより得るであろう利益は、どのように考慮すべきであろうか。海峡沿岸国の中でもシンガポールは、港湾サービスから多大なる便益を得ているため、この要素は極めて重要な要素となり得ると考えられる。なお、この費用負担割合を考えるに際しては、沿岸国が各種対策を実施することにより、経済効果、雇用創出といった二次的な便益をどのように考慮すべきか、ということも考慮に入れる必要がある。
(2)徴収メカニズム
マ・シ海峡通航船舶数及び当該船舶の総トン数に応じた、当該船舶の登録国(マ・シ海峡沿岸国を含む)からの資金については、沿岸国は、海峡通航船舶に係るデータに基づき算出された金額を当該登録国に請求します。登録国は、負担分を、船舶の登録に係る税金、手続料といったかたちで船主に対し転嫁します。船主は、運賃で荷主に転嫁し、荷主は販売価格などで末端消費者に転嫁することになります。なお、未払い国に対する何らかの措置を担保しておく必要があります。また、利用国による現物支給分(沿岸国の合意に基づく)がある場合、これに相当する額を当該利用国の負担金額から相殺することの適否については、具体的相殺金額の算出は難しいものの、協力の柔軟性の観点からは認めるべきと考えます。
マ・シ海峡沿岸国が船舶の寄港から得られる便益に応じて支払う資金については、沿岸国が支払うことになりますが、当該負担額を何らかのかたちで事業者などに転嫁するか否かについては、各沿岸国の裁量によります。
(3)基金の運営
基金を適正に運営するため、基金運営委員会を設置します。当該委員会は、主として事務局と総会から構成されます。
【事務局】
・事務局機能の公平性を担保するため、事務局長はIMOなどの国際機関から招聘することが好ましい。
・事務局の設置場所は、公平性やIMOとの関係を考慮し、IMOが所在するロンドンが適当である。
・事務局は、沿岸国から提出される事業計画書に基づき、予算案を作成し総会に提出する。なお、沿岸国の事業計画書の作成にあたり、事務局は沿岸国に対し適切な助言を与える。
・事務局は、マ・シ海峡の現況や必要とされる対策について、公平な立場で調査を実施する機能を有する。また、沿岸国からの依頼に基づき、必要な調査を実施する。
・活動報告書を作成しIMOに提出する。
・事務局は基金の運営に必要となるデータ(通航船舶量、海難件数、実施している諸政策の詳細など)を海峡沿岸国、利用国に対し請求することができる。
・事務局は、沿岸国から提出される事業決算書に基づき、決算案を作成し総会に提出する。なお、沿岸国の事業決算書の作成にあたり、事務局は沿岸国に対し適切な助言を与える。
⇒沿岸国から提出される事業計画書
■沿岸国は、マ・シ海峡の海上交通路としての機能維持を図るため、必要と考えられる対策の中から、利用国の財政的支援を得て実施したいと考える事業について、事業計画書を作成し事務局に提出する。
【総会】
・総会は全ての海峡沿岸国及び利用国から構成される。
・総会は基金の運営に関する全ての事項(事業予算案、事業決算案など)を決定する権限を有する。
・総会における議決権は公平の原則に基づき出資額に応じたものとする。
・船主などの団体は、所在地国政府ではなく、登録国を通じて自らの意見を反映させることになる。
6. 支援協力対象プロジェクト
どのような支援協力プロジェクトを実施すべきかについては、原則としては、沿岸国の判断によることになりますが、航行安全や海洋汚染防止といった分野における、比較的安価、かつ小規模なもの(航路標識の設置等)については、沿岸国が自前で措置すべきであり、一方、最新の技術を応用した高価かつ大規模なもの(VTIS、AIS局の設置等)については、沿岸国が利用国の支援協力を得て措置すべきである、と考えられます。なお、とりわけ、海上セキュリティー分野においては、沿岸国の主権の問題もあり、利用国が直接的に支援協力することは困難であるため、財政的支援、専門的技術の移転、人材育成、能力向上など、様々な側面的な支援策が利用国の協力による行われるべき、と考えられます。なお、財政的支援以外の支援協力分野については、先にも述べましたが、支援協力の柔軟性の観点から、その実施に必要となる相当する額を当該利用国の負担金額から相殺するべきと考えます。
7. 欠陥のあるサービスの提供に因る損害賠償の責任
海峡沿岸国が利用国からの支援を受けて、特定のサービスを提供するということであれば、当然、欠陥のあるサービスの提供に因り、利用国側(通航船舶)が損害を被る場合には、その損害や過失などの程度に応じた賠償が沿岸国側から利用国側になされるべきであると考えます。
8. 合意文書
以上述べてきた各項目について、何らかの合意文書が必要となりますが、全てのIMO加盟国が参加する形で、また、マ・シ海峡以外の国際海峡にも適用されるような形で、利用国負担制度が構築されるのであれば、包括的な条約を制定する必要があります。なお、利用国が独自の判断に基づき、追加的に特定のプロジェクトに対し任意拠出するのであれば、海峡沿岸国と当該任意拠出国との間の合意文書(協定、取極、覚書等)の文書が必要となります。
今回の調査研究においては、マ・シ海峡の海上交通の大動脈としての機能を持続的に維持・発展させるという共通の目標のもとに、海上安全、海洋汚染防止、海上セキュリティーの各分野において、海峡沿岸国と日本、中国、韓国、米国などの主要な海峡利用国とが、どのように協力を進めていくべきか、ということについて焦点をあて、そのための制度構築に向けた方向性について、何らかの示唆ができればと考え、ここまで、いろいろ考察してきたわけですが、この最後の段階になって、当初意図していたことがきちっと出来ているのか、という点については、多分に疑問が残るところです。最後の重要な部分になって息切れしてしまった、というのが正直なところです。
今回の調査研究においては、マ・シ海峡の利用者負担問題に携わる者が最低限抑えておかなければならない点について、広く浅く記述しておりますが、内容に誤り等がある場合には、遠慮なく、当事務所にご連絡下さい。それらを踏まえまして、再度、近いうちに改訂版を発行したいと考えております。
最後に、日頃より、当事務所の活動にご理解を頂いていることに対し御礼申し上げます。
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