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3. 海上テロ事件
 
 海上テロについては、これまでのところ、東南アジア海域では発生していませんが、先ほども述べましたが、新しいタイプの海上テロ事件発生の危険性が指摘されています。海上セキュリティーの専門家などは、マ・シ海峡を通航する原油タンカー、同海峡の重要施設である石油化学工場やコンテナ港を標的にした海上テロ事件の差し迫った脅威について警告するとともに、放射性物質や核爆弾を使用した海上テロの可能性についても指摘しています(Michael Richardson, A Time Bomb for Global Trade, Institute of Southeast Asian Studies (2004) p.49)。また、海賊問題と海上テロ問題とをリンクさせ、テロ組織が海賊国際犯罪組織に接触し始めた(後に米国がそのような事実を示す情報はないとして否定)、テロリストが船舶をハイジャックして操船訓練を実施している、といった憶測も流れています。
 
東南アジア海域では発生していません
■東南アジア海域以外で発生した主要な海上テロ事件は次のとおりである。
・1985年10月、イタリア客船のアキレ・ラウル号(Achile Lauro)乗取り事件
・2000年10月12日 イエメンのアデン港沖での米国駆逐艦コール(Cole)自爆テロ事件
・2002年10月6日 イエメン沖での原油タンカー・リンバーグ号(Limburg)自爆テロ事件
・2004年4月24日 イラク沖のバスラ石油積出しターミナル沖自爆テロ事件
 
■2004年2月、マニラ湾で発生した大型フェリーボート SUPERFERRY 14 の爆破炎上事故は、116名の死者・行方不明者を出したが、フィリピン当局はアブ・サヤフ(Abu Sayaff)の犯行との見方をしている(Michael Richardson, Staying vigilant: a multi-layered defense, Port of Singapore (Sep. 2004) p.22)。
 
消火作業中のタグボート
 
傾斜し甲板が焼け焦げているSUPERFERRY 14
写真提供:比CG派遣JICA専門家チーム
 
放射性物質や核爆弾を使用した海上テロの可能性
■通常の爆発物の中に放射性物質を詰め、爆発力によって当該放射性物質を拡散させるタイプのものや、核爆弾を海上輸送コンテナの中に設置し爆破させるタイプのものが指摘されている。
 
 これまで東南アジア海域で海上テロ事件が発生していないのは、この地域のセキュリティーが厳しいからではなく、海上テロ行為を行う意思がテロリスト側に無かっただけのことであり、仮に、そのような意思を持っていたのであれば、容易に実行されたとも考えられます。シンガポールのトニー・タン副首相は、様々な機会をとらえて海上テロの可能性について警告しています。一方で、そのような海上テロの可能性を過度に強調することは、海事関係者の警戒心をいたずらに煽り、海上輸送活動の萎縮、保険料の高騰などを招きかねない、といった指摘もあります。
 
 いずれにせよ、船舶を攻撃対象とした、又は船舶を攻撃手段とした海上テロに対する脅威は、海賊同様、船舶の安全な航行に重大なる影響を与える事象として、見過ごすことのできないくらい深刻な問題として捉えられています。
 
4. ナングロ・アチェ州(インドネシア)の情勢
 
 インドネシアのスマトラ島の北部のナングロアチェ州(旧アチェ特別州)(図II-16参照)は、天然ガスを産出する人口400万人程の州ですが、古くから分離独立運動が盛んであり、一部の急進派がゲリラ組織となってテロ活動を行っています。
 
図II-16 ナングロアチェ州(インドネシア)、タイ南部
 
古くから分離独立運動が盛んであり、一部の急進派がゲリラ組織となってテロ活動
■アチェ問題は、この地域一帯の豊かな鉱物資源をめぐる経済権益に起因するとする見方がある。
 
 これまでの同州におけるテロ活動は専ら同州に駐屯し又は派遣されたインドネシア国軍の陸上施設や天然ガス採掘施設などが対象となっていましたが、2001年前半には、アチェ沖で海賊事件が増加するという傾向が見られました。このようなケースでは、海賊は船を襲撃して乗組員を誘拐し身代金を要求しています。また、2001年9月には、ゲリラ組織の「自由アチェ運動(GAM: Gerakan Ache Merdeka)」を名乗る者がホンジュラス船籍船オーシャン・シルバー号(Ocean Silver)を襲撃し、乗組員12名のうち6名を人質にとる事件が発生しています。この背景には、事件に先立ち、GAMのスポークスマンが「マラッカ海峡を通航する船舶は、自由アチェ運動から許可を得なければならない」と発表したことがあると考えられています。つい最近においても、マラッカ海峡の同州沖では、GAMの関与は明らかではありませんが、通常の海賊事件とは質を異にする襲撃事件や身代金要求事件が発生しています。現在までのところ、GAMの活動範囲は専ら陸上が主体ですが、今後の情勢次第では、国際社会に自らの立場や政治目的をアピールするため、マラッカ海峡を通航する船舶を攻撃対象としたテロ活動を行う潜在的危険性が懸念されます。
 
通常の海賊事件とは質を異にする襲撃事件
事例1:冷凍鮮魚運搬船Dong Yih号被発砲事件
 2003年8月8日(金)1745頃、マラッカ海峡アチェ沖(北緯5度43分、東経97度44分)において、シンガポール向け航行中の冷凍鮮魚運搬船「Dong Yih号」(台湾船籍、総トン数3,000トン、乗組員32名、鮮魚1,200トンを積載)がオイルリグ補給船に扮した船舶2隻に分乗した武装海賊に2時間もの間、追跡され、自動小銃の発砲を受けた。この発砲により、船長が足に怪我をした。
 
事例2 タンカーPenrider号人質事件
 2003年8月10日(日)1330頃、マラッカ海峡のインドネシア領海内(ポートクラン沖約16海里、北緯2度47.5分、東経101度5.3分)(事件発生場所については、マレーシア領海内であるとするものもある)において、シンガポールからマレーシア・ペナン向け航行中のタンカー「Penrider号」(マレーシア船籍、総トン数740トン、乗組員10名、船舶燃料油1,000トンを積載(17万USドル相当))が自動小銃(AK-47、M-16)、グレネード・ランチャーなどで武装し漁船に乗船した10名の海賊に襲撃(200発以上の発砲を伴う)された。海賊は当初、乗っ取ったP号をPulau Jemorに向かわせた。同日2010頃、北緯2度52.7分、東経100度34.0分の地点において、P号船体及び乗組員の一部(7名)を解放したが、船長、機関長及び二等機関士を人質にとり、現金(10,000リンギット)、乗組員の所有物(携帯電話等)、船舶の書類及び証明書を奪って逃走した。なお、海賊は人質の解放と引き換えに、身代金を船主に要求、結果的に20万リンギット(日本円で約620万円)を支払い、人質として拘束されていた乗組員が開放された。なお、海賊の一人が船長の頭部に銃をつきつけ、我々はTentera Negara Acheh(TNA)(インドネシア語で「Tentera」は軍隊を、「Negara」は国家を、意味する。従って、「TNA」とは、アチェ国の軍隊、つまり、独立国たるアチェ国の軍隊を意味する)の者であると言ったとされている。
 
 この他にも、2003年4月初め、インドネシア船籍の一般貨物船が、3隻に分乗した50名程の武装した海賊により、船舶の両舷から船舶が停止するまで発砲を受けたという事件がある。この事件では、船長、一等航海士、機関長が人質に取られ、現在まで安否が分かっていない。それ以降も、同海域においては、同様な事案が発生しており、国際海事局は通航船舶に対し、アチュ沖を航行する場合はできるだけ沖合いを航行するよう呼びかけている。
 
■これらの海賊事件で注目すべき点は次のとおりである。
・はじめから銃器をためらうことなく使用し停船を強要している。なお、使用される武器は、自動小銃(AK-47、M-16)やグレネード・ランチャーといった強力な武器である。
・軍服のような統一された服装を着用している。また、自らTentera Negara Acheh(TNA)の者である旨名乗っている。
・アチェ州周辺海域ではなく、ポートクラン沖でも発生している。
・船舶の積荷には興味を示さず、乗組員を人質に取り、現金を要求している。
 
■これらの海賊事件で使用された武器は、自動小銃やグレネード・ランチャーといったものだが、これらは、通常陸軍歩兵が携行する典型的な武器であり、スマトラ島の海賊が使用するもの(長刀等)に比べると、はるかに強力なものと言うことができる。また、海賊は軍服のようなある程度統一した服装を着用し、自らTentera Negara Acheh(TNA)の者である旨名乗るなど、これまでの海賊事件とは性格を異にしている。特に大きな懸念材料としては、仮にこれらの海賊がアチェ反政府勢力のメンバーである場合、これまでアチェ周辺に限定されていた彼らの活動が、アチェ州におけるインドネシア国軍による軍事作戦の進展に伴い、隣接する地域へ拡散し始めたということである。このような例は、米軍によるアフガニスタン進攻後に、当該地域のテロ組織のメンバーが世界各地に拡散したように、アチェにおいても同様の状況が発生し得ることは容易に想定できる。ポートクラン港はマレーシア最大の港湾であり、また、マレーシアの首都クアラルンプールとも非常に近い場所にあります。マラッカ海峡のインドネシア側の沿岸地域は、マングローブや熱帯雨林が生い茂る土地であり、拡散したアチェ反政府組織が潜み、折を見て、沖合いを通過する船舶を狙うにはもってこいの場所といえる。
 
 アチェ州の分離独立の歴史は古く、1953年、インドネシア共和国からの分離独立を求める勢力がイスラム共和国樹立を要求し、独立闘争を開始したことに始まります。この結果、1959年、首相通達により、宗教、教育、文化・伝統の分野での自治権が与えられた「アチェ特別州」が設置されました。1976年には、アチェ州の国王の流れをくむハッサン・ロティが自由アチェ運動を結成し、アチェ・スマトラ国の独立を宣言して武装闘争を開始しました。一時、最高指導者のハッサン・ロティがスウェーデンに亡命していたことで運動は沈静化しましたが、1980年代半ばより活動が再び活発化し、1989年以降の軍事作戦地域時代(DOM: Daerah Operasi Militer)を経て、1998年5月のスハルト体制崩壊まで続きました。その後、1998年8月には、軍事作戦の停止と域外部隊の撤退が発表され、2000年5月の休戦合意、2002年2月には、州の自治権を拡大する「アチェ特別法」の施行、2002年12月には、中央政府とGAMとの間で和平協定が成立するなど、平和的解決に向け大きく進展することが期待されていました。しかし、双方の根強い不信感から、2003年に入って武力衝突が再発し100人以上の住民などが犠牲になりました。2003月5月、このような和平協定の崩壊が危ぶまれる状況を受け、和平維持に向けての最後の協議が東京で行われましたが決裂しました。このため、インドネシアのメガワティ大統領は、軍事非常事態を宣言し、GAMの掃討を目的とした大規模軍事作戦を発動しました。なお、この軍事作戦で、5千人と言われたGAMの勢力は、死亡・投降により2千5百人程度に減ったと言われています。この間、アチェ周辺の海域(領海)では、マレーシア及びタイからの武器の密輸を防止すること、GAMメンバーの国外逃亡を防止すること、を目的として、インドネシアは外国船舶が当該海域に侵入することを一時的に禁止しました。
 
 沿岸国の政情不安が沖合いを航行する船舶の安全性に影響を与える例として、アフリカのソマリア沖の状況が挙げられます。ソマリア沖海域は、紅海とアラビア海を結ぶ重要な海域であり、スエズ運河を経由する船舶は必ずその海域を通過します。この海域の南側の沿岸部が「アフリカの角」と呼ばれる地域であり、エチオピア、エリトリア、ジブチ及びソマリアから構成されています。この地域は、複雑な民族構成をもち、かつ、イスラム教徒とキリスト教徒とが混在しているため紛争が絶えません。IMB海賊報告(2003年版)の中でも、この海域は、船舶ハイジャック事件の危険地帯であり、ソマリアに寄港しない船舶は沿岸から最低50海里、可能であれば100海里離れて航行することとされています。実際、高速艇や砲艦に乗った武装海賊が通航船舶に射撃を加えたり、ハイジャックするなどの事件も発生しています。
 
 ナングロアチェ州の情勢については、現在のところ、ソマリア沖のような状況には至っていませんが、マ・シ海峡とインド洋との間を航行する船舶が最短コースを取ろうとした場合、スマトラ島の北端にあるナングロアチェ州沿岸を通過することになります。従って、同州における治安情勢が、少なからず、同州沿岸を航行する船舶の航行安全に影響を及ぼしかねないという潜在的な危険性が存在しています。今後、同州における治安情勢の進展状況等を注意深く見ていく必要があります。
 
5. タイ南部の情勢
 
 2003年10月、タイ・バンコクにおいて第11回APEC首脳会議が開催されましたが、それに先立ち、タイ政府はジェマ・イスラミアとされるイスラム学校の経営者など数名を逮捕しました。APEC首脳会議においては、テロ対策を複数含む首脳宣言「未来に向けたパートナー・シップ」を採択する予定であり、タイ政府としてもテロ対策には全力で取組んでいるという姿勢を対外的に示す必要があった、とされています。タイはかねてより、タイ南部のイスラム教徒問題という微妙な問題をかかえており、このようなタイ政府の便宜主義的な対応がイスラム教徒の感情を逆なでし、一連の過激暴力行為に発展していったと考えられています。
 
テロ対策を複数含む首脳宣言
■この宣言の中の「人間の安全保障の強化(enhancing human security)」において、APECメンバーを脅かす国際的なテロ・グループを完全に、かつ遅滞なく解体する、ために全ての必要な行動をとることが確約されている。
 
 2004年1月4日、タイ南部ナラティワット県(図II-16参照)でイスラム過激武装組織とみられる集団が、軍の武器庫を襲撃し、4名の兵士を殺害、多量の武器を強奪しました。また、学校20カ所、交番3カ所も放火されました。このため、タイ政府は即日ナラティワット県、ヤラ県及びパタニ県の3県に戒厳令を布告しました。翌5日、戒厳令下のパタニ県で、交番付近のゴミ箱に置かれた爆弾が爆発しました。この爆発により警察官1名が負傷しました。また、ショッピング・モール駐車場のバイクの後部座席下から爆弾が発見され、警察官が信管抜取り作業を行っている際に爆発し、警察官2名が即死しました。この後も、タイ南部では、軍兵士、警察官、仏僧侶の殺害事件が相次ぎます。
 
イスラム過激武装組織とみられる集団
■タイのイスラム分離独立を主導する組織には、パタニ・イスラム闘争運動(GMIP)、国民革命戦線(BRN)、パタニ統一解放組織(PULO)などがある。
 
 2004年4月28日には、イスラム教徒が警察署を襲撃する、という情報を事前に得た国軍と警察が待ち伏せを行い武力衝突が発生しました。これにより、イスラム教徒側107名、軍兵士2名、警察官3名の計112名が死亡しました。国軍側の制圧活動は、モスクに立てこもったイスラム教徒にロケット砲弾を撃ち込むなど、凄惨をきわめました。
 
 その後も、5月には、仏教徒の農夫が何者かに殺害され、切断された首を道路わきにさらされるという事件が発生しました。また8月には、ナラティワット県の市場で、バイクに仕掛けられてあった爆弾が爆発し、1名が死亡、27名が負傷しました。この27名の負傷者の中には、警察官11名と子供9名が含まれています。
 
 現在、タイ南部のイスラム過激集団の活動はタイ湾に面した陸上に限られていますが、インドネシアのアチェ同様、情勢の変化によっては、マ・シ海峡に面した地域にも拡大し、イスラム過激集団が海上に出てくることも懸念されます。ただし、当該海域は主要な国際航路から離れていることもあり、アチェ沖の海域に比べると、国際海運に対する与える影響は少ないと考えられます。


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