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第11回国際保健協力Fieldwork Fellowshipに参加して
大渕 雪栄(山梨大学医学部医学科4年)
 
 11日間のツアーが終った。国外研修が始まる前、国内研修の2日間は、どうなることかと不安が大きかった。今、改めて思い返すとずいぶん前のことのように思える。
 今回のツアーに応募したのは、以前から国際保健に興味を持ってはいたものの、4年になった今でもその何たるかや歴史、実際についての知識がなく、ことに最近は、他の忙しさにかまけて学ぼうという意欲すら薄らいできたことに対して危機感を抱いたからだった。加えて、自分が国際保健について実感として捉えるきっかけになったフィリピンに惹かれたからでもあった。
 最初の2日間の国内研修で、まず圧倒された。あんなに密度の濃い内容を一日にじっくり聞くことができるチャンスなど、今回応募しなかったらなかっただろうし、これから先もないだろう。自分の興味のある講義というのは、こんなにも楽しく聞けるものだと思い、また、同じ事に興味のある人たちと話すのはこうも面白いのか、と思った。
 マニラではGOの活動からNGOの活躍まで幅広く見せていただいた。組織がひとたび機能するとその効果は大きいこと、機能させること自体が大変であることなど、第一戦で働く方々のそんなお話や人生論には、大げさでなく一生忘れられないであろう感銘を受けた。自分の将来のために今必要なのは、視野を広げること、日々の努力と、自分の適性を知ることであるとわかった。WHOやJICAで先生方に熱意を持って話して頂いたことで、薄らいでいた意識にまた立ち戻れたように思う。
 フィリピンにいる間は常に何か考えていた。そんなに色々考えていたのは自分の目の前に非日常が広がっていて、同じものを見ているメンバーたちがいて、皆の意見を交換する場があったからだ。自分とはまた違う視点で物事を見る人がいるというのが非常に面白かった。見学の道すがらにちょっと意見交換をするのも、夜のミーティング兼ディスカッションで聞き、話すのもとても有意義だった。自分の不勉強さや不甲斐なさに落ち込むこともあったけれど、それ以上に得るものが大きかった。自分の考えをまとめ、話し、人の考えを聞いて自分の考えと照らすというのはとても難しかったが、それでも、ほぼ毎夜のようにそうしていたお陰で、その日の体験を継続して考えていられたのだと思う。
 
 
 今回の大きな収穫の1つはフェローのメンバーと出会えたこと。皆が優しく前向きで、よく考え、周りを見ることのできる人たちだったからこそのこの達成感。加えて泉さん、西村先生、お二人のお陰でより充足した、楽しいものになったのは言うまでもない。
 このメンバーでこれからも何かしたいと思わせるまでになったことがとても嬉しく、一人一人に賛辞を述べたい。自分に芯を持っこと、周りを見ること、周りを聞くこと、役割を果たすこと、吸収すること、表現すること、学ぶこと、他にもたくさん得たものがあった。今回得たこと全てを今後に活かしていかなければ勿体無く、いずれまた皆に会えることを願って自分の道を模索していきたい。
 最後に、このような貴重で有意義な機会を与えてくださいました、大谷先生、紀伊國先生、笹川記念保健協力財団の皆様、お世話になった方々に、心より御礼申し上げます。
 
フェローに参加して
田名 麻子(琉球大学医学部医学科4年)
 
 “そうさ僕らは 世界に一つだけの花 一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい”
 この「世界で一つだけの花」は、余興のために何度も練習した歌だ。結局披露する機会はなかったが、今回私達のメンバーはまさにこの詩にある様に、一人一人が個性的で魅力的であった。そして、各々が異なる見解を持っていても互いを尊重し、刺激し合える関係にあったと思う。そんな仲間に出会えたことは非常に幸運であった。
 私の周囲には国際協力に興味のある友人は沢山いる。けれども私自身はそれほど良いイメージを持っていたわけではなかった。それは途上国への国際協力や援助が、援助国と被援助国という対等でない関係の下で行われ、少なからず先進国の思想を押し付けている側面があると思えたからである。だがその一方で、実際の状況を自身で見て考えたいとの思いは常にあった。それ故、今回幸運にも日本の国際協力の一端を垣間見る機会を与えていただいたことは、私にとって大変意義深いものとなった。
 フィリピンのあちこちを回り感じたのは、貧富の差と、この国の経済状況であった。主に外国人が住む高級住宅街では、東京と変わらないほど物価も高く豊かであるのに対し、そこからさほど遠くない場所にスラム地域がある。ほんの一握りの人々が富を独占し、大多数は貧困層という実状を目の当たりにし、JICAが目標としている「貧富の差の縮小」は非常に困難を極めるものであり、むしろ拡大する一方であろうというのが率直な感想であった。またスラムを訪れた時には、衛生状態もよいとは言えず、子供達も栄養が十分とは言えない環境にありながらも大抵の家庭にテレビがあったこと、更に裕福な人々の国外流出という現状からは、自然で段階的な発展・進歩とは言いがたいものを感じた。国が急速に発展する際に生じた歪みのようなものが、様々な形で現れている気がした。
 勿論これも進歩の、発展中の1つの形態とは言える。日本の様な経済的に豊かな国が彼らの発展をサポートする、または貢献したい気持ちは、特に現地にいると自然に湧き出てくる思いであり、実際非常に素晴しいやりがいのある仕事だ。しかし、この歪みが意図的ではないにせよ先進国によりもたらされた結果だとすれば、同時に私達にはその責任の一端もあるのではないか?このことを肝に銘じて、活動に対する評価が行われる必要があることを感じ、この点でフィリピンにおける日本の国際協力は、今後も改善する余地が多々あると思われた。
 その中で、地域住民と試行錯誤しながら働いている多くの医療従事者やボランティアの方々、WHO・JICA・DOH・NGO等の様々な立場で活躍する方々とお会いして話を聞くことが出来、仲間達とも語り合ううちに改めて感じたこともある。それは携わっている方々が、現実を把握しつつも、しっかりと理想を持って仕事をしておられるということだ。そして「その国を好きだから助けたい」、「苦しみを和らげたいという気持ちを軸に活動すれば、道を外れることは少ないだろう」とのメンバーの言葉は、国際協力を考える上で極めて重要なスタンスであり、携わっている人々の根源にある思いなのだろう。またスラムで会った沢山の子供達、彼らを取り巻く環境は非常に厳しいものではあったが皆良い顔をしていた。彼らの笑顔を思い浮かべるとき、それもまた国際協力活動への原動力になっているのだろうと感じた。
 スケジュールの詰まった毎日で、睡眠不足は日に日に増していった。けれども素晴しい人々との出会い、移動中や毎晩のように皆で話し合った時間は、今後人生の中で「Where shall I go from here?」にとって大切な財産となるであろう。そして、このフェロー中に多くの人にもまれたことで、以前よりも自分が少しだけ見えた気がしている。また同時に、どのような将来に進むにしても必要になる英語や知識教養、思考力や判断力、技術力など今後の課題も知ることが出来た。
 最後に、このような機会を与えていただいた笹川記念保健協力財団の方々、御講演していただいた先生方、出会えた全ての関係者の皆様、引率の西村先生、泉さん、そして13人の仲間達に対し、感謝の気持ちを述べたいと思う。本当にありがとうございました。
 
 
幸運
石井 怜(東京医科歯科大学医学部医学科3年)
 
 私は普段、あまり運がいい方ではない。どんなに幸運を信じて願ってもダメなことが多い。しかし、今回は幸運の女神が私に微笑んでくれたらしく、とても貴重な11日間を送ることができた。
幸運(1): 海外研修に行けたこと
 期待を込めて応募したものの「国内研修のみ参加可」という残念な通知がきてから数週間後のある日、「石井さん、第11回国際保健協力フィールドワークフェローシップの海外研修に行きませんか?」という電話がかかってきた。唐突過ぎて初めはよく訳が分からなかったが、段々理解してきて、「はい、是非お願いします。」と声を震わせながら応えた。辞退者が出て、私が繰り上がったらしい。飛び上がるほど嬉しかった。
 
幸運(2): 大きな課題ができたこと
 「将来は国際保健医療協力に携わりたい」と言って医学部に入り、大学1年次にラオスにおける国際協力について学ぶスタディーツアーに参加してから、特にアジアの国々に興味を持つようになった。そして、大学の長期休みに入ると途端にリュックを背負ってアジア各国をあちこち訪れ廻る2年間を過ごしてきた。様々な国の空気を吸い、人々と話し、人々と同じものを食べ、人々の生活を見てきた経験の中で、国際保健について私なりに様々なことを考えてきたつもりだった。
 ところが、毎晩のように行われた語り合いの中で、自分の考えをきちんと言葉で仲間に伝えることができないことに気づき、恥ずかしく思った。なんとなく曖昧に考えてきたことが多く、意見にしっかりしたベースがなかったり、毎回言っていることが食い違っていたりした。分かりやすく論理的に自分の意見を発言できる仲間を羨ましく思ったのと同時に、一度自分の歩んできた道やidentity(by Dr. Barua)を見つめ直し、私なりの考えのベースを作っていこうと強く思った。
 
幸運(3): 大学生活がまだ2年半残っている今、参加できたこと
 将来何の仕事に就こうか考える時、本当に自分が「好きなこと」は何なのか、をよく考えてそれを選ぶこと。このときの「好きなこと」とは深く自分の充実感や幸せを満たしてくれるもののことである、と尾身先生は仰った。もう一度私の「好きなこと」を考えてみた。大きく言えばそれは依然として、途上国の人々に出会い彼らの健康について考えることである。しかし、どの立場から国際保健に関わっていきたいのかについては、決め難い、というのが現状である。行政的な方面からアプローチするWPROやJICAの専門家としてか?技術を提供する臨床医としてか?
 今回話し合った「現地のニーズの汲み取り方」や「プロジェクト終了後の評価方法」などの問題は個人ではどうにもしようのないものであり、このような問題に着手していく専門家としての道は大変興味深い。WPROやJICAで働くというのは率直に、キャリアとしてもかっこいい。
 しかし、一方で保健医療が行われている現場の医師でありたいとの思いもある。研修中、私たちの生活の場であった会議室やホテルの中の世界と70%が貧困層だという窓の外の世界が、あまりにもかけ離れて存在しているように感じた。路上の子供たちに手を引かれることも、バイクタクシーのおじさんとの会話をすることも、市場でごはんを買うこともなかった。それなのに会議室やホテルの中では彼らの健康について話していて、不自然だった。少し誇大化して言うと、自分がどこの国に居るのか分からなくなってしまいそうだった。勿論、それが良かったのか悪かったのかを言っている訳ではない。
 どちらの道が私に合っているのか、私は好きなのか、私を幸せにしてくれるのか。大学生活はまだ2年半も残っている。今から日々考えながら行動していけば見えてくるだろうし、新しい道も見つかるかもしれない。ゆっくり考えていけばいいだろう。
 
幸運(4): フェロー仲間のこと
 今までの21年間の中で、こんなにも素晴らしい人達と出会えたのは久しぶりのことであった。同じ国際保健協力を志す仲間だからこそ分かり合えたことが多い。家族や恋人に対しての悩み、将来の夢と現実問題とのジレンマ。みんな同じ様々に悩んでいるんだ、と思えてなんだか安心した。同時に、私たちは14人14色であった。混ぜてもバランスのとれたきれいな色だった。逆に14人14色であったからこそ面白く、お互いのことを尊重できたからこそ仲良くなれたのかもしれない。なんてたって、帰国日の翌日にまたみんなで会ったし、1か月後にはもう同窓会があるのだから。
 
 最後に、このような幸運のつまった機会を与えて下さった笹川記念保健協力財団の方々、講義をして下さった先生方、同行して下さった泉さんと西村先生に深く御礼申し上げます。
 


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