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フェローシップの感想
名倉 明日香(帝京大学医学部医学科5年)
 
 ハンセン病は長い間たくさんの人に対して心身ともに大きな苦痛をもたらしたものなのに、今となっては授業でもほとんど扱わなくなっている。一方で社会的偏見だけはまだまだ残っている・・・。実際、日本を含め世界ではハンセン病はどんな状況にあるのだろう、という疑問が今回フェローシップに参加した大きな理由の一つである。
 
 しかし、応募するにあたっては少し勇気がいった。私は海外に行ったことは一度もなく英語もしっかりと話したことはなかったので、そんな状態で9日間も途上国で過ごせるのかという不安がかなりあったからだ。
 
 そして11日間のフェローシップが終わった。不安をよそに、見るものすべてが新しく、毎日が驚きの連続で、興味や関心が尽きることはなかった。多くの先生方から生きていくうえで重要なアドバイスをたくさん伺え、まだまだ私も色々な可能性があるということを実感した。
 様々なことを目から、耳から吸収できたことは大変大きな収穫だったと思う。今後ここで吸収したことをどれだけ自分のものにできるか、どれだけ外に向かって表現できるかが私の課題であり大きな楽しみでもある。
 
 今回の研修で私は何が好きで、何がやりたくて、何に価値観を置いているのかを再確認できた。また、「違う立場の者同士が触れ合わないことには決して分からないこと」を知ることができた。例えば、こちらの言っていることを文化も生活習慣も違う人たちに伝えたい時、なかなか理解してもらえないことが多い。そんな時にも、根気よく何度も説明し、それでもダメなら実際にやってみせるということを続けることでわかってもらえるのである。至極自然のように思うかもしれないが、ついエゴを押し付けがちな先進国の人間にとって、これは難しいことであると思う。このことだけでもとても勉強になった。
 
 最後にこのような貴重な機会をくださったすべての方々に感謝いたします。すばらしい経験、出会いをありがとうございました。
 
‘ハロハロ’
野中 香苗(順天堂大学医学部5年)
 
 ハロハロはフィリピンの代表的なデザートである。タピオカ、ナタデココ、ゼリー、コーンフレーク、色々な豆や果物などの上に氷とウベ(紫芋)アイスを乗せ、最後に練乳をかけてごちゃまぜにして食べる。明治時代、マニラ麻栽培のためフィリピンに渡った日本人たちによって紹介されたと言われており、日本の氷あずきに近い。フィリピンのデザートは舌がしびれるくらい甘いものが多い。ハロハロの甘さはさわやかな上に、スプーンですくう度に違う味が待っている楽しさから私のお気に入りだった。
 ハロハロとはタガログ語でmix & mixという意味である。7,109の島と80前後の言語からなるこの国を‘ハロハロ’と表現する人も多い。マニラに着いた日の夜、私たちをホテルで出迎えて下さったBarua先生の講義のテーマも‘ハロハロ’だった。これから色々なことを考える材料にするための講義だとおっしゃった。そして11日間のこの旅こそが私にとって正に‘ハロハロ’だったと思う。
 
 マニラ2日目、スラム街を訪れ、NGOのプロジェクトを見学した。地域の母子教育と健康問題について、そこに住む母親たちが中心となって取り組んでいた。スラムでは、貧困、犯罪、健康問題、人口問題など課題は山積している。それらの悪循環を断ち切るために、この街の未来を担う子どもたちへの教育と、母親の意識改革から始めようというものだった。10年後、20年後を見据えた援助は、実は一番の近道なのかもしれないと思う。スラム街の家庭への訪問に同行して下さったローズさんに「この地域の一番の問題は何か。」と尋ね、「financial issuesとeducationだ。」と答えが返ってきた時、心から彼女を頼もしく思った。
 3日目、WHO西太平地域事務局を訪問した。全人類に共通する‘健康’を定義し、それを実践する土台や枠組みをつくっていく。EPIによるポリオ根絶や結核対策のブランド名であるDOTS、最近ではSARS対策などが、どれほど多くの人を救ったか、これから救っていくのだろうかと思った。
 4日目はJICAマニラ事務所でお話を伺った。次の日からは、旧JICAプロジェクトで建てられたRural Health Unitを見て回った。世界には日本の技術的・経済的・人的な援助を必要とする地域が数多くあると思う。それらの国への援助は日本の政治的な安定のために欠かせない国益となることも学んだ。しかし、自助努力を促すための援助が、結果的に人々や国の援助依存を生んでしまうことは珍しくない。ひとたび、経済的にも精神的にも援助なしでは成り立たなくなってしまうと、そこから抜け出すには計り知れないエネルギーと時間を要する。援助を受けてできあがったモノを維持することが、その国の経済を圧迫しているという話も伺った。
 
 日本のODAの大綱で一番に‘自助努力’が挙げられているように、援助を必要としている人々の幸せやこれから進む方向は、最後はその人々にしか決めていくことができない。しかし、それにはまず人々に対し明日も生きることができるのだという保証が必要だ。明日食べるための術を共に考え、水を沸かして飲むことを教えなければならない。明日、明後日と続く自らの生を実感できた時、自分たちのこれからの生き方や子供たちの将来を考える時間が生まれるのだと思う。そのためにはじっくりと地域に根ざし、人々と共に歩む‘人’が必要ではないだろうか。
 同時に、明日生きる保証を与えるには、世界が平和でなくてはならない。世界の平和のために、時にはしたたかな援助政策や駆け引きが行われるのだろう。その援助政策が必ずしも貧しい人々にとって1番必要なものであるとは限らない。さらに、多くの人を救うには大きな組織やお金と、今後の方向性を示していくような制度が必要である。それらは草の根的な運動を続けるNGOだけでは成し得ない。一方で、組織や動くお金が大きくなればなる程、それを維持することにも多くの人とお金が必要になってしまう。整然としたオフィス街にいながら、車でちょっと行ったところのスラム街で、4畳ほどの家に暮らす親子の日常を考えることは、想像以上に難しいのだろうと痛感した。彼らのことだけを考えていたのでは問題の解決につながらない、ということも。
 
 国や国際機関といった‘上’から人々の安定した生活を保障していくことと、‘下’から人々自身の生きる力を養っていくこと・・・目的は同じでも、そのアプローチの仕方は想像以上に違うものだった。より多くの人を救うことと、目の前にいる人を救うことが時に矛盾するのだという事実を実感したことで、ちょっとした挫折感を味わうことにもなった。
 いわゆるGOとNGOの連携が重要であること、日本は諸外国に比べても連携が遅れていることはよく耳にする。同じ目的を共有するためにも、草の根的な活動を続ける人々には、制度や枠組みの理解と世界の流れを感じるアンテナが、制度をつくる人々には、制度を利用する人々の顔を見に行く時間を惜しまない姿勢がこれまで以上に必要ではないだろうか。そして、私はマクロに、ミクロに、また、100年後のことを、明日のことを、見つめることのできるバランス感覚を培っていきたいと思う。
 
 最後に、私が決して忘れてはならないと思ったこと・・・自分の進む道は自分のために選んでいくべきということだ。例えば医療ならば病に苦しむ人のためではなく、国際協力ならば貧しい人のためではなく、というように。相手のために、という思いは時に一方通行なもの、直接的な成果や感謝の言葉を期待するものになってしまうことがある気がする。尾身先生は4時間以上に渡る私たちへのお話の最後に、「好きなことをやりなさい。」とおっしゃった。「好きなこと」ならば「自分のため」にできる。人生をかけることができる。そして、その時初めて「本当に相手を思ったこと」ができるのではないだろうか。
 私にも、自分が生きていることを心から実感できる場所や瞬間がある。それが先生のおっしゃった「好きなこと」をやっている時なのだと思う。しかし、今の私はその瞬間をどのように繋げていくことができるのか分からない。自分をつくるもっともっとたくさんの材料が必要だ。そして、いつか自分オリジナルの味の‘ハロハロ’をつくりたいと思う。
 
 このような貴重な機会を与えて下さった方々に心から感謝しております。
 
フェローシップに参加できて
横田 悦子(大分大学医学部5年)
 
 こんなに密度の濃い11日間を過ごしたのは今までの人生の中で初めてのことかもしれない・・・。日本に帰ってきてしばらく経った今でも、この11日間のことは鮮明に覚えている。このフェローシップの感想をまとめていうと、たったの11日間でこんなに大勢の方々と出会うことができて、こんなにたくさんのことを感じ、学んで、自分を省み、さらには、こんなに心を割って話すことのできる仲間ができるのだということだ。
 私がこのフェローシップに応募しようと思った動機は、国際保健協力について熱いものがあったというわけではない。国境なき医師団のような国際医療活動に憧れて医学部に入ったものの、その熱もだんだん薄れ、臨床に入ると臨床医に惹かれ、挙句の果てには、海外の研究室で2ヶ月研修を受けてみると研究の楽しみも知ってしまい、結局、自分の進みたい道がよくわからなくなっていた。来年にマッチングを控えて、将来を具体的に考えるようになった今、入学当時憧れていたものの、実際を自分の目で見ることができたらなという軽い気持ちだった。もう一つの動機として、自分を変えたいという気持ちもあった。私は、恥ずかしい話、大学生活で何を得たのだろうというくらいに、積極的に色んなことに参加し活動するわけでもなく、ただ流されて5年生になった気がしていた。そんな受身な自分を少しでも刺激できたらと思ったのだ。だから正直、11日間が自分にとってどんなものになるのか怖い部分もあった。英語、知らない土地・人の中で、積極的な自分になれるのか。
 そんな思いで参加したこのフェローシップは、この私の動機に100%以上に答えてくれるものとなった。
 
・国際保健協力の現場を見る
 何も知識のない状態であった私にとって、見るもの何もかもが新鮮だった。そして、国際保健に携わる様々な形をみて、実際、それらに携わっている方のお話が聞けたことも大きな収穫だった。また、夜のミーティングなどでフェロー参加者や西村先生に知識をもらいながら、援助について深く考える時間を持てたことも有意義なことであった。その中で感じたことは、国際保健協力に関わっている方々は人間的に魅力のある人が多いということだ。それはお会いして話を伺った方々、フェロー参加者、全員に共通して言えることだった。人との交流が好きな私にとって、そんな中で仕事ができるということは、尾身先生がおっしゃった『本当に好きで楽しんでできる仕事』なのかもしれない。良い意味で、私の将来像は余計に混沌としてしまった。また、もう一つ感じたことは、今の自分に必要なことは何かということだ。それは、グローバルな視点で多角的に援助の現状を知り考えること。そのためには、国家間の関係、その国の歴史的・政治的背景を知る必要がある。何の知識もなく参加した私は、もっと色々な知識を持って参加していればほかにも見えたものがあったのではないかと思うと、少し悔しくも思う。
 
・自分を変える
 このフェローシップは自分とじっくり向き合う機会にもなった。バルア先生のおっしゃった「Identityの確立」、また尾身先生のお話は、自分の胸に突き刺さるものばかりで、自分について考える必要性を感じた。自分の過去や今の自分を振り返ってみて、情けなく感じられることがたくさんあった。そして出た結論は、このフェローシップは自分を変えていくスタート地点であり、初めの一歩になったということである。これからどう変わっていくかは自分次第であるが、背中を押してくれたのは確かだ。また、具体的に自分を変えていくのに必要な課題としては、自分の意見を自分の口で相手に分かりやすく伝えるということだ。ミーティングでも何度となく痛感したことだった。ここにきてやっと、国内研修で谷野先生がおっしゃった言葉が、何倍にも増幅されて私の頭の中に響いた。
 こうして私はこの旅を通して、一生ものの経験、一生ものの仲間、自分への大きな課題を手に入れることができた。こんなにこのフェローの旅が私にとって楽しくも、有意義なものにもなったのは、いい仲間や指導教官、泉さんがいてくれてこそだったと思う。真剣な話もふざけた話もできるこの13人のメンバーと西村先生、泉さんに改めて感謝します。
 最後になりましたが、この企画の遂行にあたって様々な方々のお力添えがあったことを改めて認識し、陰で支えて下さった方々、国内研修で話を聞かせて下さった先生方、国外研修に関わって下さったあらゆるスタッフの方々、そして笹川記念保健協力財団の皆様に心からお礼申し上げます。
 


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