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8月10日(火)
本日のスケジュール・内容
1)JICAフィリピン事務所訪問
2)フィリピン大学医学部・大学付属病院訪問
 
1)JICAフィリピン事務所訪問
a)JICAフィリピン事務所でのレクチャー
 フィリピンにおけるJICA事業の概要について総務班の紺屋健一氏より講義いただいた。JICAは1974年に設立され(2003年に独立行政法人化)、日本政府のODAのうち、「二国間協力」にあたる「技術協力」を中心に研修員受入、専門家派遣、開発調査、ボランティア派遣、機材供与など、また「無償資金協力の調査および実際促進業務」を行い、フィリピン政府とともにフィリピンの持続的成長に寄与してきた。
 JICA在外事務所はJICAの中で最も現場に近い最前線として、新規案件の発掘形成、実施中の案件のモニタリング、終了案件の評価などを実施している。対フィリピン政府開発援助における重点協力分野として1993年日本政府の調査団とフィリピン政府との間で4分野が合意された。「持続的成長のための経済体質の強化および成長制約要因の克服」「格差の是正」「環境保全」「人材育成・制度づくり」これらはつまり何でもやりますということだ。
 日本はフィリピンにとって最大のドナー国であるが、芳しい成果があがっていないということで日本の対フィリピン技術協力の支出実績額は減少してきている。ベトナムは増加しているが、これはプロジェクトがうまくいっているためだ。最近の動向として、ミンダナオ地域における平和構築支援プロジェクトがあるが、現在この地域はムスリム過激派や共産主義ゲリラによる治安問題がありJICAから派遣してはいない。また、南南協力の促進を目指してASEAN内の古い加盟国と新しい国をつなぐパートナーシッププログラムが実施されている。
 
b)質疑応答
Q. 戦争という歴史的背景がある中で日本はどれくらい介入できるのか?
A. 戦争についてはたしかにsensitiveな問題だ。しかし、例えばレイテ島を重点的に援助する、といったことはない。敢えて挙げるとすれば、女性職業トレーニングというプロジェクトといって現代の女性が自立できるように協力しているが、これは従軍慰安婦と関係してるかもしれない。
Q. ベトナムのプロジェクトに比べてフィリピンのプロジェクトがうまくいかないのはなぜか?
A. むしろベトナムがうまくいっているのが例外。成否はガバナンスが鍵である。現在は、個別のプロジェクトが対症療法的になってしまっている。援助金の20%がワイロに消えているとも言われている。既得権益をなくすべきと一言でいっても実施は難しい。
Q. 他のドナーとの関係は?協力はしているか?
A. そもそも利害関係が違うので国内ですら協力は難しい。例えばJBIC(国際協力銀行)は金が返ってこないと困るので、取り立てる必要がありプロジェクトの評価が厳しい。細かいプロジェクト調査はJICAでしかできないことだが、JICAの調査は甘いといわれてしまう。国外のドナーとして世界銀行を挙げる。世界銀行の出資は米国、日本だがプロジェクトの受注先はインドなどの安い国になってしまう。それでは出資国が困るので、途上国には受注できないような難しい案件を無理に作ろうとする問題がある。
Q. 南南協力はどのような分野で行われているのか?
A. 重点分野というよりも、JICAは枠組みを決めて、各国に重点を自発的に考えてもらうような段階である。特にJICAが、これが重点だということで進めるのではなく各国の自主性を尊重しながら進めている。ただし、フィリピンの特殊性という観点からは、例えば東チモールとフィリピンの間の協力は、両国がキリスト教ということで比較的土壌があるという関係をいかして協力がスムーズに進むように力をいれているということはある。他方で、フィリピンの子供は理数系が他の教科に比べて弱いので、これまで日本は理数系教育に重点を置いてきたが、同じような協力をケニアでも進めていて、その両国間での協力を支援している。
Q. 現場のニーズにマッチさせる仕組みはどのようなものがあるか?
A. 昔から試行錯誤で様々な取り組みをしているところで、例えば現在は事後評価という仕組みを用いている。これはプロジェクト実施前に、現場が誰がどのようなことをどの程度困っているか、プロジェクト実施によってそれがどの程度解決されるのか、逆に困る人はいないのか、といった内容を決められた項目、方法で調査している。また、理事長が進めているような在外事務所の機能強化として、在外事務所の権限や人員増などの取り組みが進められている。事務所単位では従来以上に現場に出て、現場を見て、現場の意見を聞くということがある。他方で、事務所在籍でフィリピンの社会・文化を体で理解しているナショナルスタッフ(フィリピンで雇用したスタッフ)を活用して取り組んでいる。
Q. プロジェクト終了後のケアはどのようにして行われているか?
A. 体系的な仕組みはない。例えば日本の援助でつくった道路や橋が壊れたときに、日本に要請すれば直す、という例はある。全体的にいうと、日本側のスタッフも相手国政府もコロコロかわるので5〜10年単位の長期的なケアは難しい。また、「環境」「人間の安全保障」など援助にも新しい分野が生まれてくるので視点も少しずつ変化している。
(文責:山道)
 
2)フィリピン大学医学部・大学付属病院訪問
 昨日のレセプションに来てくれたKarl、Michael、Josephら数人が上下白衣(制服ではないらしいが、皆着ている)を着て迎えてくれ、3時間半、一緒に歩きながら校内の案内・説明、私たちの質問への応答をしてくれた。
 フィリピン大学医学部(University of the Philippines Manila; UP)の校舎は西洋風の広々とした天井の高いきれいな造りであった。UPには1学年160名の学生がおり、男女比は半々である。このうち40名の優秀な生徒は高校卒業後直接この医学部に入学でき、2年間のpre-medical courseの後、4年間の専門教育を受け、1年間のインターンシップを行う。残りの120名は、アメリカ式の修学システムを使って医学部に入学する。つまり、高校卒業後一般科大学に4年間通った後、医学部に入り、4年間の専門教育を受け、1年間のインターンシップを行うのである。医学部の授業料が年間22,000ペソであること、多くの学生が卒後主にアメリカに出て行ってしまうこと、ほとんどの学生が携帯電話や電子手帳を持っていたこと、などを考えると医学部に進学できる者は、非常に裕福な家庭の子供に限られると思われる。卒業生の海外流失については、私たちの目からみると彼らが母国で医療に携わらなければ、せっかく教えた知識や技術が国の健康保健の向上に還元されないように思われる。しかし、フィリピンの国自体がむしろ国外労働者を推奨しているように、学部長も悲観的には思っていないようだった。
 Philippine General Hospital(PGH)では、19ある病棟のうち、外来病棟、救急医療病棟、産科・婦人科病棟を見させていただいた。多くの病棟が各国の援助によって建てられたものである。
 外来病棟は1989年に日本のODAによって建てられたもので、比較的きれいであった。約20の科を持ち、診療時間は8:00から17:00で、一日の来院患者数は3000人である。貧困家庭の患者は無料で診療を受けることができる(薬代は有料)ことが患者数の多い理由だろうと推測できる。スロープのよるバリアフリーの実践、学生の積極的な診察参加、医者の丁寧な問診、女医の多さなどは日本が学ぶべき点だと思われる。ただ、待合室のスペースに対して待合人数が多すぎること、ファンは回っているがエアコン機が壊れていて暑いこと、手術器具の清潔操作の方法などに改善の必要性を感じた。
 
混んでいる小児科外来の待合室
 
 救急医療病棟は今年5月にスペインから寄付された白い建物で、照明が明るく清潔な印象を受けた。しかし、造られたばかりで診察台や治療椅子は置いてあるが医療器具は揃っていなく、救急医療の場としての緊迫感もなく、まだうまく機能していないように見えた。理由を聞くと「24時間体制の救急医療」というもの自体新しく、医者の数が圧倒的に少ないとのこと。アメリカのER方式をモデルに体制作りを進めているという。
 産科・婦人科病棟は騒がしさがなく、1部屋に40〜60床ほどのベッドが並べられて(ナイチンゲール病棟)女性が入院していた。母体年齢は14歳から45歳だという。病院で子供を産むことはadvantageであると同時にprivilegeであると言い、病院での出産を勧めているのが印象的だった。
 訪問は5時頃終了し、私たちは一旦ホテルに戻った。その後7時まで自由行動で、お土産を買いに出かけたり、ホテルで休んだりし、7時から近くのデパートの中のフィリピン料理レストランでKarlらUPの学生たちと食事を楽しんだ。 (文責:石井)
 
8月10日 今日の一言
 
石井:フィリピンでは医者・医学生の半分が女性であり、女性の社会進出の割合が高いらしい。これがこの国の誇るべき点の一つであり、それを可能にする女性の生活環境について日本も見習うべき点が多いだろう。
稲田:ルービックキューブを後ろ手で解く人、カメラのシャッターを押すときファインダーから目を離す人、UPには面白い人がたくさんいた。
上原:フィリピン大学の学生との交流はとても良い刺激となり、また、国による特色の違いに驚いた。
遠藤:医師に治せない患者はいるが、看護師に「看護」の出来ない患者はいない。看護師は治療技術を持っていない。持っていないからこそ、人々に寄り添い、人々と共に考え、人々が現在持っている能力を引き出そうとする。人々の生活に焦点を当て「看護」をする。看護師はサポーターであって、「治療者」ではない。看護と国際保健とは共通する点が多い。
大渕:PGHでは女医さんがとても多いのを実感した。女性の働く環境が整っているのだろうか?
坂上:写真にルービックキューブ。フィリピンの医大生は個性的だな。ホテルのプールに行った。
坂口:今日は、いろんな意味でヘビーな一日だった。今日のMVPは僕が貰います。残りの日程、体が辛くなってきた時こそ、お互いに、もう少しずつだけ自分を開こう。
佐野:UP訪問。非常におもしろかった。低学年より神経所見のとり方を学び、実践的な教育をしている。日本とは大違いだ。UPの授業にもぜひ参加してみたいと思った。
田名:JICAのフィリピンに対する協力・援助の考え方と現場でのアプローチ方法を具体的に聴くことが出来、悩みが少し解決しました。
土居:タ食の時にUPの学生と沢山話すことが出来た。興味の対象が少し違い、面白かった。自信に満ち溢れ生き生きとしていたのは、彼らがエリートだからという理由だけでは無いのかもしれない。
名倉:フィリピン大学病院が想像していたよりも大きくてきれいなのに驚きました。特に救命センターは近代的。
野中:医大生の60〜70%が海外に仕事場を求め、それが国の経済に大きく貢献していること、一方で地方では医師不足が問題となっていること、矛盾するような情報に戸惑いを覚えます。もっと広い視野で世界のことを考えられる人になりたいです。
山道:みんな眠るな〜、そして僕を起こして〜!このチームワークは感激ものやで。睡眠時間短くて大変だけど、国際協力の前にチーム内協力で不可抗力を克服だ〜!
横田:JICAの事務所は国を間違えてしまうくらい、日本一色でした。帰りがせまってきているのが悲しく感じられます。


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