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8月7日(土)
本日のスケジュール・内容
1)Leonard Wood Memorial Laboratory訪問
2)マニラへ移動
3)Manila Pavilion HotelでのDr. Baruaの講義
 
1)Leonard Wood Memorial Laboratory訪問
 午前中にLeonard Wood Memorial Laboratoryの基礎研究部門と臨床研究部門を訪問した。ここは昨日訪問したEversley Childs Sanitariumに隣接した施設である。Leonard Wood Memorial LaboratoryはAmerican Leprosy Foundationのもと1928年に創設され、基礎研究部門と臨床研究部門とCebu Skin Clinic、それに基礎研究部門に付属した動物実験施設から成り立っており、ハンセン病の基礎研究から治療、そして、人材育成において大きな成果を出し続けている。
 まずは基礎研究部門の建物の中をDr. Babie Tanが案内して下さった。基礎研究棟には生化学室、分子生物学室、病理組織室、免疫学室、微生物学室などと小さな研究室に分かれていたが、土曜ということもあり、研究者や技師の数は少なかった。生化学室や分子生物学室ではサイトカインに関する研究を中心に進めているということであった。ELISA法の説明を熱心にして下さったが、機器の古さは否めなかった。また、免疫学室、微生物学室では薬剤耐性に関する研究を進めているとのことであった。患者から採取した検体を破砕し、らい菌の混濁液を作成し、免疫不全マウス(Severe Combined Immune Deficiency mice)の肢に注射して、生体内に於けるらい菌の薬剤感受性を調べているとの説明を受けた。動物実験施設は離れた場所にあり、今回、見学することは出来なかった。このように各部屋で基礎医学的研究を進める一方で、病理組織室では臨床部門から持ち込まれた検体をスクリーニング、診断も行っている。部屋の中には顕微鏡の横に、1960年からこれまでに調べられた検体全てのスライドが保管された大きな棚があった。
 
基礎研究棟の外観
 
研究室でDr. Tanの説明を聴く
 
 この研究所においても医師、研究者、技師は女性の割合が高かった。これはこの研究所に限ったことではなく、フィリピンの国民的風土であるらしい。
 基礎部門の見学を終えた私たちは、研究棟の向かいにある臨床研究部門の小さな建物に向かった。そこではDr. Tranquilino T. Fajardo Jr. がハンセン病治療の現状について講義して下さった。ハンセン病に対してはMDT療法が確立されているが、薬剤耐性も数%に上り、無視できない状況にある。薬剤耐性菌に関する研究や新しい治療法(新薬やワクチン療法)の開発・臨床治験を多施設で共同で進めるためのコーディネートを担っているとのことであった。ジョークを交え、闊達に講義して下さったのが印象的であった。
 
2)マニラへ移動
 Leonard Wood Memorial Laboratoryの見学を終えた私たちは、セブでのコーディネーターであるMrs. Limの計らいで、マニラへのフライトまでのわずかな空き時間を利用して、セブの海でのランチを楽しんだ。雨期のためか透き通った青い海というわけにはいかなかったが、束の間の休息を楽しんだ。セブからマニラへの便はまたしても出発が遅れたが、それはフィリピン航空にとってはいつものことで、フライト自体は順調であった。セブでの熱心な見学のためか、機内では皆ぐっすり休んで、あっという間にマニラに着いた。マニラの空港ではWHOのバスの出迎えでManila Pavilion Hotelへと移動した。移動中、車内では、WPRO作成のマニラに関する危険情報のテープが流された。セブの風景との違い(高層ビルが遠くに見えたり、廃ビルか建設途上なのか分からないビルがあったり、フィリピン名物ジプニーの車体がセブよりもレトロであったり)に、皆、少し興奮気味であった。今夜から早速マニラでのプログラムが動き出す。 (文責:坂口)
 
束の間のビーチリゾート
 
3)Manila Pavilion HotelでのDr. Baruaの講義
 マニラに到着したメンバーを待っていたのは、Barua先生のオリエンテーションレクチャーだった。先生はバングラデシュご出身で、現在WHO西太平洋事務局で結核・ハンセン病担当官である。子供時代から、現在に至るまで、自らのアイデンティティや医療・医者の在り方などについて、2時間にわたり流暢な日本語で話された。
 
 「今日は私の自己紹介ということで話を進めようと思います。皆さんは医学部や看護学部で勉強されているわけですけれど、理由を考えたことがありますか?なぜ勉強するのか、モチベーションを持って勉強するのがいいですね。同じように、人生においても、Who am I? / Where do I come from? / How did I come here? / Where shall I go from here? / How shall I go there? / What shall I do there? 人間として、日本人として、そして医者としてのアイデンティティを意識しなければなりません。
 私はバングラデシュの農村で生まれ、高校時代までそこで育ちました。1本の鉛筆を大切にし、バナナの葉に字を書いたこともありました。12歳のとき、お産で近所のおばさんがなくなりました。私の母も姉も泣いていました。村に医者がいれば死ななくてもすんだかも知れないのです。その日、医者になろうと決心しました。
 そうして医者になろうと思って日本に来ましたが、日本の医学教育は専門性が高すぎてバングラデシュではあまり役に立たないと思ったので、日本の医学部に入るのをやめ、外国人労働者としてしばらく留まりました。ゴルフ場で芝刈りのバイトをしてお金をためつつ、プライマリケアが学べる大学を探してシンガポールや韓国の大学を訪ね歩きました。その間もトラックドライバーの生き方を知るために東京から下関までヒッチハイクをしたり、漁師の生き方を知るために冬の北海道に魚を捕りに行ったりしました。
 3年かかって、結局フィリピン大学医学部レイテ校に行くことにしました。ここは大学といっても小さな校舎が一つだけあるだけで、おそらく世界最小の医学校でしょう。ここでは、まず助産師の資格を取り、次に看護師、さらに保健師を経て、最後に医師になります。医師になり、周囲の村人の診察をするだけでなく、同時に健康教育もしましたが、鉛筆をあげたりトイレを作ったりするよりも、まずその使い方を教えなければなりませんでした。それも彼らが分かる言葉で伝えることが重要です。そういう生活の中で、幼い頃は家族から、そして医師になってからは村人や周囲の人から生き方のヒントをもらい、自分自身のアイデンティティを見つけて行きました。
 ちょっと古い1986年のデータですが、フィリピンでは国の保健予算の85%が、10%の人しか行かない立派な病院に、わずか15%が、90%の人が行くプライマリーヘルスケア(PHC)の施設に費やされていました。これは政治的な例ですが、人の健康は、他に、教育、経済、社会、文化、自然に影響を受けます。PHCでは4つのA、available、accessible、acceptable、appropriateが重要ですが、よい医者はhealth care(HC)providerであると同時に、manager on HC service、researcher、community organizer、trainer & teacherでもあるということを覚えていて欲しいと思います。
 参加者の皆さんにとってこのフェローはチャンスです。WHO、JICA、フィリピン大学、色々なところを訪問します。最後に、"this is the beginning of everything!" というメッセージを送って、私の講義を終わりにします。」 (文責:稲田)
 
8月7日 今日の一言
 
石井:セブの海はあいにくの雨で海水が濁っていてイメージとは違ったが、海の傍で美味しい料理が食べれたし、気持ちが良かった。午後はマニラに飛び、以前、新聞に出ていたバルア先生とお会いすることができ、しかも先生の熱いお話しを聞けてとても嬉しかった。
稲田:バルア先生はバングラデシュの農村で生まれ、現在はWHOの職員。日本で育った医者とは全く違う視点を持っているのだろうなあ。
上原:バルア先生の講義は本当に考えさせられることばかりでした。自分のIdentityをしっかりと確認して行こうと思います。
遠藤:私のカレーは確かに貴方のカレーよりもブランドでも高価でもない。しかし、私のカレーは具沢山であり、深みのある美味しいカレーである自信がある。なぜなら、私は沢山の人達から少しずつ具をもらい、沢山の人達から味付けの方法を教えてもらい、自分の人生という名のカレーを自らの手で作ってきたのだから。
大渕:CebuからManilaへ移動。バルア先生のお話に非常に感銘を受けた。
坂上:海楽しかった〜、リゾート気分。バルア先生の話は勉強になった。アイデンティティーについて考えてみよう!
坂口:セブでは2泊しただけなのに、国内研修が遙か遠くに感じられる。みんなと過ごす空気・時間がとても濃密だからそう感じるのかな。今夜から始まったマニラでの研修も、より濃いものになっていくのだろうね。セブのおまけビーチリゾートは雨期で少し残念だったね。
佐野:午前中は臨床研究の現場に伺い、様々見聞した。研究もそこそこおもしろそうである。その後はマニラに移動し、バルア先生と出会うこととなった。先生のその常に前向きな姿に感銘を受けた。
田名:セブ最後の日は雨で青い海が見れなかったのが残念。マニラでのバルアさんのレクチャーでは、自分がいかに良い環境にいてそれに甘んじていたかを思わされました。もっと世の中を見、想像を働かせることが出来るよう頑張りたい!
土居:バルア先生の幼少期のエピソードはとても新鮮でした。自分が行動する事は大切。それを人に教える事はもっと大切。
名倉:マニラに来てから、とにかく時間がない!寝られない!
野中:バルア先生の‘ハロハロ’なレクチャーでたくさんの材料を頂きました。人間として、日本人として、将来の医療従事者として、自分らしい‘パフェ’を作りたいです。
山道:すっごい豪華なホテルや〜、参った、明日からが忙しいらしいけど、毎晩僕の部屋でミーティングするで!みんな集合〜!
横田:今日はハンセン病のラボを見学しました。新しい機械のない中で研究するということは、それだけでハンディなことなのに、その中で進んだ研究がされていることに驚きました。


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