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8月6日(金)
本日のスケジュール・内容
1)Cebu Skin Clinic見学
2)Eversley Child Sanitarium見学
 
1)Cebu Skin Clinic見学
 Cebu Skin Clinicはフィリピン南部の皮膚科診療所の中心的存在である。週4日午前中が診療時間で、当日は私たちの見学が入っていたため診療は休みであった。クリニックでは医学生の実習も受け入れており、私たちと共に講義を聴いていた。
 初めにハンセン病の基本的な知識と疫学についてクリニックチーフのDr. Roland V. CellonaとDr. Marivic Balagonから説明を頂いた。ハンセン病はMycobacterium lepraeにより発症する感染症で、95%は菌に曝されても発症せず、残り5%は遺伝的その他の理由により菌抵抗性が弱い、もしくは全く欠如した人々であり、経済的階級の低い人々に発症する率が高い。罹患する要因としては環境、経済、免疫、栄養状態などが挙げられる。病態や菌の種類により5つの型に分類することができ、どのタイプかを判断することが診断である。治療後も瘢痕の残る疾患であるため、フィリピンでも昔から日本と同様に偏見があり、療養所は全て地域から離れた場所に設けられ、1940年まではパラワン諸島にあるクリオン島を始め、ルソン島、ミンダナオ島、そしてセブにあるleprosariumを中心に隔離政策をとっていた。その後MDTの開発以降隔離は廃止され、現在の患者は通院により治療を行っている。診療所では治療薬であるMDTが無料で提供されているのに加え、ハンセン病に関する正しい情報提供を行い、そのことが年々効果的に患者数を減少させている。具体的な数値を示すと、1985年には人口10,000人当り8人の発症であったが、現在では0.8人にまで減少したということである。質疑応答では、ハンセン病の早期発見・治療に対する政府の対策についてフィリピンのbarangay(フィリピンの最小行政単位)での医療の説明を受けた。政府は、医師や看護師が各barangayを回り無料で皮膚科診療をするelimination campaignを実施しており、ハンセン病患者を早期に発見し治療に結びつけることを目的とする。このシステムによりセブ周囲の島々では患者数が激減したそうである。また眼科医のDr. Ravenesからハンセン病による眼への影響・経過について説明を受けた。
 講義の後、clinicで現在治療中の患者数名の様々な症状(色素脱出、脱毛や知覚麻痺等)を実際に見ながら説明を受けた。またそのうちの一人の患者の皮膚採取によるスミア検査と顕微鏡による診断、またbiopsy(生検)方法(punched biopsy)を見学させて頂いた。設備や道具、衛生的な面や侵襲的な検査など、多くの改善点があると思われたが、待合室に並んだ多数の患者さん達を見ているとこの地域の人々に受け入れられているclinicなのだという印象を受けた。 (文責:田名)
 
メスを用いての細胞採取
 
染色後、顕微鏡によりらい菌を観察
 
2)Eversley Childs Sanitarium訪問
 クリニックスタッフとの昼食後、我々はEversley Childs Sanitarium(ECS)に向かった。この日は休診とのことだったが、Dr. Joanri T. Riveralが私たちを出迎えてくださった。
 本院は政府系の医学研究所として1930年に設立された。一般の医療施設ではなく、ハンセン病専用の施設として設立された経緯をもつ。この時代(アメリカ統治時代)にはハンセン病はどこでも見られ、日本同様、非常に危険な病として差別的に扱われていた。そのため、ハンセン病のモニタリング、コントロール、そして拡大防止という社会的要求から本施設は建設された。他にはルソン島、ミンダナオ島にそれぞれ一つずつの療養所が存在する。
 Eversley Childsとはこの本院建設に当たり資金を寄付したアメリカ人であり、実際の建設もアメリカ軍のエンジニアによってなされた。隔離施設ゆえいくつかの離れの病棟からできており、周りの自然環境も極めてよく、閑静なロケーションに建てられている。以前はフィリピンで2番目にcleanな病院にも選ばれた実績がある。
 現在ではハンセン病は稀な病気になりつつあり、フィリピン政府の隔離政策も解かれたため1,000人のキャパシティーを持つ本施設も200人を収容するのみとなり、病院の生き残りのため総合内科、小児科等も受け入れるようになっている。
 ハンセン病に対する差別はやはり日本同様に存在し、社会復帰の面で難しいことがあることも事実のようだ。患者さんたちのリハビリは重要であり、何とかADLを維持することは病を悪化させないためにも極めて重要である。というのは、多くの患者さんが人間らしい生活の術を絶たれると酒におぼれるなど、服薬のadheranceも保てないためである。本院では回復者の退院後のサポートをRural Health Unit(RHU)やbarangayを通して行っている。
 現在、ハンセン病の制圧キャンペーン中であるが、実際にその網にひっかかってくる患者さんがいた。若い十代の女性であったが、そこでDr. Riveralは「早期発見、早期治療こそが王道である。今はMDTで完全に治る。早く見つけ治療することは本人にとって良い結果を生むばかりか、周囲への感染波及も防ぐことが出来る。だからこそこのような制圧キャンペーンは非常に重要であると思う。」と語られた。
 確かにハンセン病は放置しておけばいずれ視力を失う原因ともなるし、感覚障害がでるため症状の重篤さも自分では認知しにくい。適切な治療が施されずに放置しておけば階段を転がり落ちるように悪くなっていく。
 医療に携わるものは、患者さんの早期発見から退院後のサポートに至る全工程を考えねばならない。全人的医療という言葉はよく使われるが、今回、その具体的な形態を見せられたような気がする。私たちも臓器、病態だけにとらわれない、患者さんを取り巻く生活環境も見渡せる医師にならねばならない。 (文責:佐野)
 
8月6日 今日の一言
 
石井:実際に何人かのハンセン病の患者さん・元患者さんの皮膚症状・皮膚生検を見た。なんというか、ハンセン病が私の中で「教科書・写真の中の病気」から「現実にある病気」という認識に変わり、感じることが多かった。
稲田:“Nightingale ward”を初めて見た。男部屋は男子校の雰囲気だった。
上原:エバスリー・チャイルズ療養所から全生園の過去を日の当たりにした感覚を受けると同時に、語学の大切さを改めて痛感させられる1日でした。
遠藤:今晩、人文字が完成したと同時に、このフェローシップ参加メンバーの団結も完成された。この団結と、このエネルギーがメンバー個々の成長の助けとなり、本フェローシップが成功へと導かれる事を望んでいる。
大渕:Cebu Skin Clinicは昔の日本の病院のようだと思った。いろいろな意味で。フィリピンはバランガイの保健サービスが興味深い。
坂上:お腹下しました。死ぬかと思いました。英語が難しいなぁ〜。
坂口:英語でのレクチャーは、覚悟してたよりは、何とかなりそうかな。果物の王様ドリアンにはやられました...。
佐野:ハンセン病には多彩な病態があり驚いた。訪問先の皆さんが様々な質問に答えて下さり、本当に勉強になった。このフィールドワークに参加して喜びを毎日噛締めています。
田名:今日1日は自身の英語力の無さを痛感しました。さらに夜のディスカッションで皆がかなり理解して内容をシェアしてもらえたことに感謝しつつもへこみました。
土居:さすがに英語のシャワーには苦戦した。自分が日本人であることを実感。ドリアン食べ過ぎた〜。独特の臭いにも次第に慣れる。
名倉:セブスキンクリニックの近所に住んでいる子供たちの遊んでいる姿が生き生きしていてとても印象的でした。日本の都会の子供やセブに旅行に来ているお金持ちの子供にはないエネルギーや純粋さを感じました。この子達のためにいずれ何かしたいなぁ・・・。
野中:ハンセン病の患者さんが今も生活をしているサナトリウムは、日本もフィリピンも変わらず、ゆったりとした時間が流れる小さな村のようでした。しかし、そこが‘同じ病気の人を集めた’空間であると思うと、差別の歴史を改めて感じざるを得ません。そして、フィリピンでは今もなお新患者が後を絶たない‘現在’の病気なのだと知りました。
山道:北京ダックおいしかったけど、こんな場所で貧困を熱弁してる自分が何か恥ずかしい。。。明日は待ちに待ったセブの海。
横田:ハンセン病についてフィリピンの現状を目の当たりにしました。実際に患者さんを目の前にしたのは初めてなので、貴重な体験ができました。


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