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8月4日(水)
本日のスケジュール・内容
国立療養所多磨全生園研修・見学
高松宮記念ハンセン病資料館見学
 
9:00〜10:00 「ハンセン病の現状と国際協力」
国立感染研究所ハンセン病研究センター長 宮村達男 先生
 
 ハンセン病につきまとう偏見、差別は昔から存在し、宗教でさえもこの病気に対して偏見を持っていた。
 何が偏見を生み出したのだろうか。それは正しく治療されないと外見に変形をもたらすこと、家庭内で発症するケースが多く、遺伝かと思われていたということ、患者が病気をひたかくしにしていたということが挙げられる。
 日本では1996年まで「らい予防法」が存在し、廃止された今でも一般の人にはまだ強い偏見が残っている。私たち医療者が患者/回復者に対してできることは、まず病気に対する正しい知識を持ち、それを患者/回復者や市民に対して伝えること。「らい」ではなく「ハンセン病」という病気だということ、ハンセン病は多剤併用療法(Multidrug Therapy; MDT)で完治するということ、早期発見・早期治療により障害予防ができることなど、今まで差別・偏見で凝り固まっていた見方を正しい医学の知識で払拭し、患者/回復者が一般社会に復帰できる環境を作っていく必要がある。
 現在の日本の新患者数は過去10年間どの年も10人以下で、そのうちの半数以上が在日外国人だという。在日外国人の新患者は20〜40歳代のブラジル人に多いことが統計学的に分かっている。
 世界には53万人の患者がいる。2002年の新患者数は62万人といわれているが、このうち9割は薬で治っている。国別に見ていくと、インド、ブラジル、ネパール、マダガスカル、モザンビーク、タンザニアなどに患者が多い。
 WHOでは、2005年までにハンセン病の有病率を、各国レベルで1/10,000以下にする、という目標を掲げている。しかし、上記の国ではまだこの目標が実現されず、今後はさらに対策を強化する必要があると思われる。 (文責:名倉)
 
10:00〜10:50 「ハンセン病の基礎と臨床」
国立療養所多磨全生園皮膚科医長 小関正倫 先生
 
1)ハンセン病とは
 極めて伝染力の弱いらい菌(Mycobacterium leprae)による慢性感染症である。らい菌は抗酸菌で、その成育温度は30-34℃であるので侵されるのは主に末梢神経と皮膚である。また、感染力が非常に弱く、発病は稀である。現在ではMDTにより完治する。
 らい菌は自然界では人間とごく一部の動物の体内でしか生息、増殖できない。また、ほとんどの人間の免疫能はらい菌に対抗しうる。ハンセン病になるのは、らい菌に対して特異的に免疫能が減弱している場合である。その場合でも他の細菌やウイルスに対しては一般の人と同じ免疫能を有する。らい菌の感染経路は呼吸器系や皮膚である。人体内に侵入して駆除されなかったらい菌は患者の末梢神経や皮膚の細胞の中に寄生、増殖し症状を来す。
2)病型と分類
 ハンセン病の病型は宿主のらい菌に対する抵抗性の差異から以下のように分類される。
 1953年のMadrid分類ではI(未定型群)、T(類結核型)、B(境界群)、L(らい腫型)。1966年のRedley & Jopling分類ではB型をさらに分け、I、TT、BT、BB、BL、LLに分類した。WHOでは1981年からハンセン病早期発見早期治療のため病型分類の簡素化と治療の簡便化を行ない、少菌型(PB)、多菌型(MB)の2つに分類している。大体Madrid分類のIからBT、BBまでがWHO分類のPBに、BBからLLまでがMBに含まれる。
3)症状と診断
 前述の病型の診断には症状が多く使われる。主な症状は皮膚症状、神経症状である。皮膚症状では皮疹が主で、T型では1〜5個と少数の、紅斑又は低色素斑且つ非対称性の皮疹が生じ、毛髪脱や発汗症状を伴う。L型では紅斑、色素脱斑、結節、丘疹など多種多様な6個以上の多数の皮疹が対称性にでるのが特徴である。神経症状では、知覚障害と末梢神経肥厚があるが、L型では限局性の知覚障害になる。ハンセン病の診断は、症状を踏まえて、知覚障害を伴った皮疹、末梢神経肥厚、らい菌の証明(皮膚塗抹、皮膚生検)の3つによってなされる。
4)疫学
 ハンセン病は日本ではほとんど見られなくなったが、開発途上国では最も重要な公衆衛生問題の一つに未だに挙げられる。幼少期に感染しやすいが、発症がいつであるかは断定できない。10〜20歳のことが多いが60歳以上になってから発症する例もある。誘引因子に環境、公衆衛生が問題となると考えられている。
 
10:50〜11:30 園内見学
 
 多磨全生園は1909年9月28日に創立され、現在は入居者数約400人、敷地面積352,796m2である。敷地内には入居者の生活する居住区や病院、看護学校、売店、公会堂、浴場、レストラン、理・美容室、宗教地区、納骨堂、野球場、などがあり、園の中で生活ができるようになっている。また、ハンセン病資料館や私たちが宿泊した研修棟など、園外の人が利用できる設備もある。
 全生園副園長の田辺清勝先生に病院と居住区を案内して頂いた。病院にはほぼ全ての科が備わっており、病棟が3つ、他に老人センター病棟、治療棟、リハビリ訓練棟、保健センター、透析室、手術室がある。元患者さん方にとっては後遺症のリハビリがとても重要である。昔はどんな疾患も園内の病院で治療しなければならなかったが現在では園外の病院にかかることもできる。居住区へ向かう道にも園ならではの工夫が見られた。盲人の方のために常にある一定の場所に音源がおかれていて、その音の加減で自分がどの辺りにいるのかわかるようになっている他に、場所によってはスイッチで自分のいる場所のアナウンスが入るところもあった。園内はどこか作り物めいている。現在では地域の人々との交流もあるが、昔、隔離政策が盛んだったころは園外に出られず、この中でのみ大勢が生活していたことを考えると胸に迫るものがあった。 (文責:大渕)
 
病院の屋上から全生園の全景を望む
 
入居者地区。これが幾棟も並ぶ
 
13:00〜14:00 高松宮記念ハンセン病資料館見学
 
 年間約1万人が訪れる来館者に対し、ハンセン病の歴史や多くの問題を投げかけ続けてきた高松宮記念ハンセン病資料館は1993年6月に設立された。今年で11周年を迎え、2004年3月27日には来館者数12万人を達成した。それら来館者の多くは全国107校以上の看護学校の学生である。私たち研修生は高松宮記念ハンセン病資料館運営委員である佐川修さんに資料館内の案内をしていただくとともに、次のようなお話を伺うことができた。
 世界のハンセン病患者の70%はインドにいるとされている。一方、日本のハンセン病はというと、新患者の年間発生は10名以下に激減している。加えて日本では、ここ国立療養所多磨全生園を例にとると、約450名の入所者(90%が元患者)の平均年齢は76歳を超え、高齢化がかなり進んでいる。このままでは、多磨全生園もあと数年で閉園を迎えざるを得ないと思われ、日本全国のハンセン病療養所も閉鎖を余儀なくされるであろう。ハンセン病の歴史が私たち日本人に投げかけている大きな問題を風化させてはならない。と、佐川さんはハンセン病、そして、その差別との「戦い」について語気を強め、話を続けてくださった。
 かつてハンセン病と診断された者は、すぐさま各県知事のもとに連絡がいき、県知事名義で通達が警察所へ出され、ハンセン病患者は警察によってハンセン病患者収容所へ両手に手錠をはめられ連行されていった。畑仕事をしていた者は家に帰り身支度する猶予さえ与えられず、家族に会い、別れを言う間も無く、強制隔離施設に連行された。連行される途中、一般の人間が近づかないようにとハンセン病患者の乗車する列車車両には「ハンセン病患者搬送中」という張り紙を張られたのだ。
 ハンセン病患者収容所へ入れられると、服を剥ぎ取られ、所持品は全て焼かれた。金銭を所持していると隔離施設から逃げられると考えられ、隔離施設内でしか使用できない「お金」を渡され、一生涯、隔離施設を抜け出すことは許されなかったという。というのも、「らい予防法」には退院基準が定められておらず、一度ハンセン病と診断された者は、完治しようが如何なる理由があっても、退院することが許されなかったのだ。また、その当時、世間のハンセン病に対する差別と偏見は想像を絶するものであり、例え、誤ってハンセン病と診断された健康な者であっても、一度ハンセン病というレッテルを貼られた者は村に帰ることが出来なかった。
 差別によって殺されたハンセン病患者の一つの例を佐川さんからの伝聞ではあるがここに紹介する。ある男性ハンセン病患者がいた。その男性患者の息子は毎日その患者に面会をしに収容所を訪ねて来たそうである。収容所の看護師等は、その患者の息子は、他の多くの患者の家族とは違い、毎日毎日、患者に面会をしに来る優しく誠実な息子だと思っていたそうだ。しかし、その息子はその男性患者つまり父親に見舞いに来ていたのではなく、毎日毎日「死んでくれ」と頼みに来ていたという。男性患者は「もう収容所に入ったのだから、許してくれ」と懇願したが、息子は「生きている親父がハンセン病だと村に知られると、家族、親戚が差別を受け、妹が結婚できない。頼むから出来るだけ早く死んでくれ」と毎日頼みに来るのを止めなかったのだ。そして、ついにその男性患者は数日後、自らの手で命を絶ったという。
 どうして、このようにハンセン病患者は家族にまでも死を迫られるほどに、激しい差別と不当な扱いを受け続けなければならなかったのか、私たちは過去を振り返らなければならない。特に医療、保健行政に携わろうとしている私たちはこの過去の過ちをいかに捉えるかが問題である。
 1998年7月に提訴された「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」に対して、2001年5月に熊本地裁は国のハンセン病対策は違憲であったという判決を下し、その後、国は控訴を見送ったために判決が確定した。これによって、わが国のハンセン病対策が重大な過ちであったことは確かになったが、それが1世紀ほどの長い間継続されていた理由はまだ十分に明らかになっていない。そこには、保健医療分野の権威主義的構造や日本の富国強兵政策、行政の保守的な姿勢、日本人の文化的背景、様々な要因が複雑に絡み合っていたことは間違いない。1958年にWHOからハンセン病患者の隔離政策の中止が宣言されたにもかかわらず、40年間近くもそのターニングポイントを逃し続けた事実は保健医療に従事するであろう私達に重要な教訓を与えている。 (文責:遠藤)
 
14:30〜16:30 「開発途上国と結核対策」
(財)結核予防会結核研究所国際協力部部長 須知雅史 先生
 
 世界人口の約3分の1である18億6000万人が結核既感染であり、年間187万人が結核で死亡している。年間796万人が毎年新しく結核にかかり、その中の95%以上が途上国の人々であり、死亡例にいたっては99%がやはり途上国の国民である。結核高負担国といわれているのはインド、中国、インドネシア、バングラデシュ、フィリピンなどである。
 結核は感染から2年以内に約80%が発病する。しかし、発病そのものは感染者の10〜20%にしかおこらないといわれている。
 感染経路は空気感染のため塗抹陽性で排菌をしている患者が感染源となり、さらに新しい患者をつくっていく。この菌陽性患者をできるだけ少なくするのが理想的な結核対策である。治療はイソニアジドやリファンピシンなど多剤を用いた化学療法を行う。
 WHOではDirectly Observed Treatment Short Course(DOTS)という結核対策を行っている。全ての発見された喀痰塗抹陽性結核患者(感染源)に対して直接監視下で短期化学療法を行うことと、生後早期のBCG接種を行うことが基本戦略である。
 目標は2005年までに塗抹陽性結核の新患者の85%を治癒することである。このDOTS戦略は180の国で採用されていて、この地域の塗抹陽性新患者は82%が治癒に成功している。途上国では政府の強力な取り組みのもと、州、市、地域保健所などでヘルスワーカーを含む様々な人達が対策にあたっている。 (文責:名倉)
 
佐川さんのお語
 
8月4日 今日の一言
 
石井:ハンセン病資料の佐川さんが辛い思い出話をして下さった。なにもかも鮮明に覚えていらっしゃり、過酷な生活が伝わってきて涙が出そうになった。
稲田:ハンセン病患者の隔離が無益であることが明らかになってから40年近く、何故らい予防法は廃止されなかったのだろうか。
上原:ハンセン病を通して本当に多くのこと、特に差別や偏見に関して、深く考えさせられました。多くの人にハンセン病の事実を知ってもらいたい。
遠藤:夜の話し合いの場、そこには2年前、私が考えていたことを今現在、考え悩むメンバーがいた。そこには、2年後、私が悩むであろうことを今現在、考えているメンバーがいた。そこには、私とは違う角度から国際保健を考えているメンバーがいた。多種多様な悩みや考えがこの研修を面白くしそうである。
大渕:今日も暑かった。ハンセン病の歴史をこれからどうやって活かすか考えさせられる。
坂上:ハンセン病の施設には初めて行ったのでとても興味深いものだった。日本人はこの歴史を負の遺産として決して忘れてはならないと思った。
坂口:今夜は国内研修まとめのディスカッションがあった。進め方には不慣れだったけど、皆の素の声が聴けて良かった。ゼロから企画し、準備し、盛り上がった懇親会では、メンバーの結束が強まった。良かった。良かった。
佐野:かつて国家がとったハンセン病政策について様々聞いてはいたが、実際に見学してみて非常に違和感を感じざるを得なかった。過去に於いては隔離政策が必要であったが、転換点を誤ってはならない。
田名:全生園見学ではその広さに驚きました。さらに資料館では佐川さんの体験談や展示室での説明を聞き、今度もまた涙してしまいました。
土居:元ハンセン病患者さんの佐川さんの話はとても興味深かった。戦争の時代を過ごされた方のお話はそれだけでも考える所が大きいのに...。今日も夜更かし。噂の寝不足の日々の始まりか?
名倉:ハンセン病ほど人が人らしく生きられない病気はない・・・と思いました。
野中:ハンセン病の歴史から学んだことを、どのように生かしていくことができるのかを考えなければいけないと思いました。SARS、鳥インフルエンザなどで感染症対策における公衆衛生と人権が問題になっているので、そのような視点からも考えていきたいと思います。
山道:科学、公衆衛生、行政、、、政治的ってどういう意味なんだろう。
横田:今までハンセン病について考えたことがあまりなかったけれど、今日1日で自分にとってハンセン病の問題がぐっと近くなった気がします。


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