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8.3 里海 ―瀬戸内海の新しいあり方―
 「人間がいないことが自然を最も豊かにする」という議論を時々耳にします。確かに人間が滅びたら、現在のような環境問題はなくなりますが、人間のいない世界で自然とは何かを論じても、私たち人間にとって意味はありません。
 しかし、本当に人間がいないことが最も豊かな自然を作り出すのでしょうか?実は、「人間がいるからこそ保たれる豊かな自然」が存在するのです。それは里山(さとやま)です。里山にはコナラ・クヌギなどの落葉広葉樹が植えられ、それらは約30年毎に伐採され、燃料や炭やシイタケ栽培などに利用されます。広葉樹の落ち葉は田や畑の肥料となる一方、樹液やドングリの実等を求めて、里山には昆虫・鳥・小動物などが訪れます。里山は人々の暮らしと自然生態系が見事に調和して、双方が持続可能な状態が保たれていました。
 このような里山に人手がかけられなくなったために、近年里山が荒廃してきたことはよく指摘されることで、全国各地で里山を取り戻す運動も始まっています。
 生産性が高く、かつ自然生態系も豊かな里山のあり方を、海でも考えることはできないでしょうか?すなわち「里海(さとうみ)」をつくるのです。「里海」とは「人手が加わることにより、生産性と生物多様性が高くなった沿岸海域」と定義しましょう。
 「里海」を実現するためには、瀬戸内海に一体どれほどの栄養塩が陸から流入していて、それらが植物プランクトン・動物プランクトン・魚・スナメリなどにどのように配分されるのか、沿岸住民が瀬戸内海の自然生態系を維持して、漁業・潮干狩り・海水浴などを通じて豊かな恵みを持続的に享受するためには、瀬戸内海でどのような工事なら許されるのか、どのような工事はしてはいけないのかなど、様々な局面における沿岸住民と瀬戸内海の関わり合い方を具体的に明らかにする必要があります。
 
瀬戸内海における栄養物質の循環
 
 すなわち、瀬戸内海の物質循環を定量的に明らかにして、人々がどの部分にどのような手を加えることが、太く・長く・滑らかな物質循環を保ち、瀬戸内海の生態系を豊かにするかを考えて、様々な自然再生事業を行わなければなりません。
 たとえば、赤潮の発生は栄養塩から植物プランクトンヘの一時的な太い物質輸送を実現しますが、赤潮の発生後、植物プランクトンの大部分は枯死して、その栄養分が上位の動物プランクトンに転送されないため、短い物質循環となります。さらに枯死した植物プランクトンが底層に沈降して、貧酸素水塊(6.4節参照)を発生させることにより、ベントスなどの生態系を破壊するため、滑らかな物質循環を阻害します。
 物質循環を滑らかにするためには、例えば、瀬戸内海と陸岸の境界である護岸は不連続な直立護岸(ちょくりつごがん)より緩傾斜護岸(かんけいしゃごがん)の方が適しています。船の接岸目的など、直立護岸でなければ機能しない場合以外の護岸は、すべて緩傾斜護岸にした方が、豊かな生態系が実現できます。さらに護岸は、コンクリート護岸より石積み護岸が適しています。石と石の間に出来る広い表面に有機物を分解する微生物が多く付着・繁殖して、物質循環の速度を速め、物質循環のパイプを太くするからです。
 以上のような議論から、瀬戸内海の自然再生の基本、すなわち里海を実現するためには、瀬戸内海で太く・長く・滑らかな物質循環を実現しなければいけないことがわかるでしょう。
 注意しておきたいことは、生態系そのものの健全さにも注意しなければならないことです。例えば、瀬戸内海における自然再生事業の成功例として名高い関西国際空港の緩傾斜護岸(8.2節参照)も、そこに移植された海藻類は、この工事を施行したコンサルタントの所在地である東京湾のものです。これは瀬戸内海固有種とは異なるので、瀬戸内海の生態系にある種の混乱を持ち込んでいます。瀬戸内海の緩傾斜護岸には、瀬戸内海の海藻を移植することが望ましいことは言うまでもありません。
 
 「自然保護」とは「自然に触らないこと」ですが、「自然保全」とは「自然を大切にしつつ、利用すること」です。
 
直立護岸(左)と緩傾斜護岸(右)


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