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東京国際アニメフェア2005 第3回アニメーション感想文(評論文)コンテスト「日本の感性は観客によって磨かれる!」

 事業名 基盤整備
 団体名 東京財団政策研究所 注目度注目度5


アニメ映画 ハウルの動く城の届けるメッセーヂと、アニメーション映画の意義
 
第3回アニメーション感想文(評論文)コンテスト 一般部門 優秀賞
丸山 能里枝
 
 映画は軍隊のパレードに沸き立つ、ソフィーの働く帽子屋のある町から始まる。ソフィーは勤勉な些か消極的とも見える可憐な娘。彼女がこの環境の中で平和に生きられない予感は、映画冒頭の空を埋める列車の黒煙と、軍隊のパレードの喧騒がおしえている。彼女は街に出た。案の定、途端に魔法使いも混えた騒動の中に巻き込れた。
 後はあれよあれよのドラマの展開だが、作者の意図は決して観客を色彩、音響、場面の異様さ、転回の早さで振り回す事にはない。現代文明への批判、人間の自然復帰の預望、生命保存の原点に於ける生きる智恵、加えて地球の人類の命逢にある女性、男性の役目を鋭い洞察力で描いている。殊に印象的なのは科学兵器のグロテスクさ、これは我我に戦争の眞の目的は殺人にあるとも教えている。
 そしてこの総べてに立ち向かうのはソフィーが表徴する生命の神秘を体内に持ち、生命の養育に責任を持つ女性である。作者の男性特有の着眼点、強い説得力は女性である私自身の自覚を越え、唯唯脱帽するだけだった。だが、映画は決して理論先行させるものでない。男性のロマンと女性の生産的現実主義の葛藤とその愛の中に、ある時は不思議、ある時は共感、感動を混えて進行して行く。
 
 美男ハウルは実体のない謎につつまれた男性である。その点を云云する向きもあると思うが、見事に的を得た男性の描き方ではある。
 気毒な男性、それは動物達の生殖過程にも見るように、継続する生命の歴史の中では全く補助的な役目しか持たない。偶、力と権力の闘争の歴史を持った人間では、過大な役割を男性に負わせたが、それは自然の摂理に反し、或は人類滅亡の遠因になるかもしれない。作者はその点にも思いを馳せて、ハウルを描いた筈である。
 ハウルは珍しい玩具に目を奪われる少年の如く、自ら求めて魂の代償に魔力を手に入れた。だが魔力は彼から自由を奪い、規制し、孤独に追い込み、細い脚でガタガタと動く醜悪な姿の城に押し込めている。彼自身が告白するように、彼は魔法使いでありながら、彼に敵する魔力を恐れ、部屋一杯、魔力避けを置く弱虫で、ナルシスト、更にその生活は乱れに乱れ、塵の中で暮している。
 一方、ソフィーは全くの現実派。彼女にとって魔力など問題ではない。持つのは現実に立ち向かう労力だけ。それは彼女が90才の老女に変身してからばかりでなく、娘時代、荒野の魔女の要求を毅然と拒否した姿にも見える。娘と老女のソフィーを二人の人格と考えるべきではない。ソフィーはソフィー、彼女は何時でも愛に満ちた女性なのである。
 印象的なのは老女に変身した時、涙も見せず、困難に素早く対処する姿、そしてそれに続く直感と即断が支える行動力、更に常に口にする使いなれた諺、「癇癪で死ぬ人はいない」「年とると失うものが少いのがいいわ」などなど、常識を武器に、掃除、料理、洗濯、自分の出来る事から次次と周囲を見付けながら、このハウルの化け物屋敷を人間の住む所へ変えて行く。そしてそれは何時か、ハウルの中の人間性も甦らせ、此処に寄り合って暮す奇妙な仲間、マルクス、火の悪魔、今は唯の老女になった荒野の魔女、小犬のヒルさえも家族として巻き込む。ソフィーが、ハウルにとって大切な人、或いは恋人となったのは、染毛剤を間違って使って、美しくなければ生きる意味なしと、水になって消えようとした彼を救ったソフィーの姿だろう。その辺りはラブストーリーの楽しさだが、私はソフィーが見せた生命に対する全面的な信頼を言いたい。大体ソフィーの行為はハウルヘの純愛のみでは言い切れない。生命への信頼、明日への夢、自然との共生の歓びなど、今我我人間は失いつつある総べてを含めて示唆している。自然の中に安らむソフィー。其処にこそ、彼女の生命の源泉がある筈である。
 私は些か、ハウルを冷たく扱ったようだ、だが、個人的にはハウルをこの様な、頼りない夢に生きる人物に描き切った作者の意図には、大いに賛成、又、その潔さには敬意を捧げている。人生七十九年、私が生き、持った男性像も大体そんなものだった。その為に、私は奮い立ち、生きて来たとさえ言える。実はそんな状況こそ自然な男と女のあり方でもあるのだ。男性の憧れ、夢がなくては人類の進歩はない。しかし、彼等は時折暴走する。そこでこれを制するのが、女性の原初的な生命保持本能で、その両者のバランスで生命体は保たれている筈だ。そして現代、我我はそのバランスが乱れ始めたのを、気付いている。そんな時代にこの作品の持つ意味はより大きなものになる。
 
 私はこの映画を二回観た。一回目はあれよ、あれよ!!で終わったが、二回目は大いに満足し、此所に登場した総べての人物を愛したくなった。そして気付いた。私がそんな気持になったのは、映画全体に流れるソフィーの愛に満ちた心の呼びかけがあったからだと・・・。愛より出た行為は、総べてを甦らせ、勇気付ける。
 最後に、動く城が崩壊するのも一つの結論だが、一本足のカブが美男の王子に戻ったシーンにも重要な意味が託されている。辛い経験の中でソフィーに遭い、報われぬ恋とは知りながら彼女に寄り添い、その口付けで魔法をとかれる彼こそ、次の時代に責任を持って生きる人だ。彼が最後に残したメッセーヂ、戦争の終結と平和への約束、それこそこの映画のテーマで、我我への警告も含んでいる。重ねて言うが、総べては愛によって甦る。それを作者は衝撃的なシーンの中に、明日に続くロマンとして完璧に描き切った。
 
 映画“ハウルの動く城”はアニメ映画の技法を見事に酷使し、その可能性を見せれくれた。アニメ映画の特点はその非現実性にある。我我は既に、言葉にも映像映画にも、あるリミットに気付いている。人間は不条理な存在である。かつて、この不可思議な人間を、言葉で完璧に表現、説得し出来た人はなく、映像表現も十分とは言い得ない。しかし、人間は自分自身さえ不可解な自分を解明したいと願い、他人にも分って貰いたいとの希望を持っている。そんな人間を救うのは、説得でも理解でもなく、直感が導く共感である。アニメ映画の持つ強い共感に至る力は、その奔放な意外性にある。それはある時は衝撃で、ある時は実存不能な動く絵で見せてくれる。人は一瞬の間に想像の世界に引き込まれ、甦る。現実では決して納得出来ない事も、其処では納得する。それは現在、人間が住む、ネガティブな頭脳の支配する分析、判断、認識の世界ではない。感性と想像の世界であり、新たな可能性も潜んでいる。
 動物が目に見えない災害を予知するように、人間も過去には可視不能な世界に届く、感性、神秘性を持っていた。それを否定し奪ったのは文明である。再び人間性を取り戻さなくてはならぬ我我にとってアニメ映画の持つ意味は重く、製作者の責任も大である。
 アニメ映画を物語に終わらせない為にも、大きく目を見開き、耳を欹てて、我我の命を今此処においた宇宙の声も聞くべきだろう。
 アニメ映画に期待するのは夢の実現である。
 
 
第3回アニメーション感想文(評論文)コンテスト 高校生以下部門 最優秀賞
桃通 ユイ(ももつう ゆい)
 
 愛する者の死と対峙したとき、人はなんと言うのだろう。
 「目を開けて」
 「逝かないで」
 もしくは悲鳴を上げ、名を呼び、大きな声で泣きわめく。現実の世界と同じように、アニメーションの中でも、さまざまな死の場面が、それぞれに涙を伴って繰り広げられている。
 たくさんの二次元での死を私は目にしたが、その中で最も精神を揺さぶられ、記憶に強く印を押されたのは、この言葉だった。
 「おいていくのか、私をおいていくのか!」
 『ベルサイユのばら』、銃弾に倒れたアンドレが逝ったときのオスカルのセリフだ。泣ける名場面特集か何かで初めて見たとき、私はこの作品を全く知らなかったのに、なぜか、先のとがった鋭いもので刺し抜かれたような気持ちになった。「おいていかないで」と縋るのではなく、「おいていくのか」と問い詰めている、哀しい絶叫。目の前で一人の人が息絶え、微動だにしなくなるという恐怖を、私は真に迫って経験した。テレビの画面を通してではなく、一時的にそのガラスを乗り越えたかのごとき錯覚を伴って。
 ただ、初めて見たときはまだ話の背景を知らず、付されたさまざまな設定も知らなかったので、オスカルの哀しみに共鳴したというよりは「死」そのものの残酷さに怯えて泣いていた。
 人は死ぬときあんなふうに、苦しそうに息をとぎれさせて、時には目を開いたまま死んでいく・・・。それまで、死というものはおしなべて安らかに、眠りのように訪れるのだと信じていた私には、強烈な意識の改革だった。
 たくさんのアニメに親しんできて、何となく思うのだが、昔のアニメ(いわゆる懐かしのアニメ)と現代っ子の見るアニメでは、死の表現が微妙に異なっているのではないだろうか。昔のアニメが死に伴う肉体的な苦痛を細かく表現しているのに比べて、今のアニメは精神的な別離や美化し拡張化した感情の描写を強調しているような気がする。個人的な見解なので確かな根拠などはないのだが、見比べてみるとやはりそう感じるのである。
 昔のアニメの死の場面は、より恐ろしくリアルに、一つの個体の死を見せてくれる。呼吸がとぎれとぎれになり、言葉が「最期のもの」になっていくあの瞬間。死は肉体的な感覚を伴って伝えられる。『ベルサイユのばら』においても、ロザリーという少女の母親が馬車に轢かれて亡くなる場面が特に印象的だ。ほんの数秒間の描写なのだが、瞳が反転しているところまで描かれている。作品全体を通して、すんなりと目を閉じて死ぬ者は少なく、死者はほとんど目を見開いたままだった。中には、「腐臭がする」というような、目をそらしたい部分にまで及んでいる場面もある。
 もはや死は、美しく感傷的な非現実のものではなく、社会の中の小さな滅亡として捉えられているのだ。確かに、人は死ねばやがてその身体は腐り、嫌な臭いを放つようになるだろう。夢そのもののような少女アニメの世界でも、その法則は変わらない。この場面は、婚約者に裏切られて自殺した妹のそばで何日も哀しみ続ける兄を描いているのだが、彼の深い哀惜に対して、現実はあまりにも無情で残酷だ。アランというその男を心配してオスカルとアンドレが訪れてきたとき、そのアパートには猛烈な腐臭が漂っていた。事情を知らぬ階下の人が迷惑そうに、
 「ねぇ、もし会ったら注意しておくれよ。おおかた安い肉でも大量に買い込んで腐らせちまったんだろうからさ」
 と、オスカルたちに言う。
 愛する妹の自殺。その亡骸と別れられず泣き伏せる兄。そんな、悲しくも美しい場面に、死のリアルは容赦なく押し寄せる。「腐った肉の臭いがする」という、切なさにはまるでそぐわない事実。精神面でのつらさになどおかまいなしに、肉体面での別離の証が、腐敗の形をとって現れる。死とそれに連なる現実が、くっきり描かれた場面だなと思った。
 対して、精神的な「死」とそれを取り巻く感情がよく写し取られているのは、最近のアニメだ。少々偏りはあるかもしれないが、私のリアルタイムで見たアニメの死の場面は、光に包まれながらであるとか、眠るように目を閉じて死ぬとか、幻想的な雰囲気を強調したものが多かった。死にゆく者の動作よりも、残される者の哀しみやこれまでの回想などに力を入れ、背景はより強く精神世界を表す色に塗りかえる。本当の場所がどこであろうと、今まさに歩み寄ってくる死にふさわしいように、光やその他そこにはないもので覆いつくすのだ。バックで流れる音楽も、昔のもののように悲痛な曲ではなく、優しいメロディーであることが多い。
 そういったアニメの死を何度も見ているうち、私の頭にはいつのまにか、「死は安らかに訪れる」という考えがプリンティングされて根を張った。しかも、現実には絶対にありえない「生き返る」という現象ですら、最近のアニメは頻繁にこなしていたので、私の「死」に対する感覚は、より絵空事的なものになった。
 だから、「おいていくのかッ!」とオスカルが、死にゆくアンドレに問い詰めるあの場面を見たとき、自分のもつ「死」のイメージが粉々に打ち砕かれるのを感じた。突然に愛する人を亡くすということは、答えの返らない問いを発してしまうほどにつらいことなのだ死という永久の別離は、幻のような光の中で訪れるわけでもないし、人は何の苦しみもなく死ねはしない。アンドレが死んでしばらくの間、オスカルはただぼうぜんとして佇んでいる。先ほどまで確かなものとしてそこにあった声が、今はもう聞くことさえできず、その目が自分を追って動くこともないという事実を、まだ受け入れられずにいるのだろう。「おいていく」というのは、そこを去ってもう二度と会えないということなのだ。
 命が絶えて意志の疎通がはかれなくなるという「肉体」としての死と、一人の人間が思い出の中に消えるという「精神」の上での別離、その両方を私はこの場面から感じ取った。現実の世界での死と同じく、亡くなった人は二度と姿を現さない。オスカルは一度、幸せだったころを思い浮かべてはいるが、それも彼女の脳内だけにあるものだ。『あの微笑はもう還らない!』というサブタイトルが、しっかりとした重みを持って目に焼きつく。
 実際に人の死を看取ったりした経験のない私は、「死を見送る」ということをアニメの中で教えられた。たくさんの人が私の前で死んでいったけれど、「精神」に重点を置いたものであれ、「肉体」を中心に描写に徹したものであれ、哀しかったことに変わりはない。死がまだ日常の中にきっちり組み込まれていた昔は、主として「肉体」の死、「心の時代」と呼ばれる今は「精神」を主軸に据えた死、ならばこれからのアニメはどんなふうに死を表現するのだろう。二次元の中の「死」の瞬間がどう変わっていくのか、これから生まれるアニメがすごく楽しみだ。







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