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自由学園の思い出
【浜田】 なんで高校を退学になったんですか。
【日下】 今のご質問は浜田麻記子さんです。有名な方ですから改めて紹介はいりませんね。えー、・・・、また話がそれてしまう(笑)。私が学んだ自由学園をつくった羽仁もと子、吉一のご夫妻は理想に燃えていました。自分の好きに学校を運営するのはいいのですが、私たち生徒は卒業後は現実に生きていかなければいけません。
 昭和二十三年、六三制移行のとき自由学園でも大学をつくろうという構想が発表されて、私が行くと第一回生になるというとき、行こうと思っていたのですが、ただし、三つほどお願いがありますというのを文書で出しました。
 第一は、新制大学の認可をとってほしい。我々はだいたいサラリーマンになるのだから、「各種学校」では行く先が狭くなる。私はそのころから新聞記者か評論家か小説家になりたいと思っておりましたから、各種学校でもいいと思っていましたが、それは狭くて危険な道です。早稲田大学文学部中退と同じです。早稲田大学の文学部の人は、中退のほうがいばっていますね。卒業した人は、「おまえはあっちへ行ってろ」と言われると聞きました。とはいえ、友達を見ると、金持ちの息子はいいとしても、普通の経済水準の家の子もいますから、文部省にかけあって新制大学の認可ぐらいはとってくださいというお願いです。
 それから第二は、専門教育をしてくださいということです。自由学園の精神は、生活教育と人間教育で、たとえば自分で豚を飼ってみろ、何でも自分でやってみろ。だからその点では金を使うのです。旋盤を据えつけて、この旋盤を回して自分でネジをつくってみろとか、自動車が壊れたら「部品を自分でつくれ」。
 これは、なかなか楽しいんです。つぶれたT型フォードが置いてあって、「これを自分で直してみろ」と。誰も方法を教えてくれないですよ。それから当時は久留米村に学校があったのですが、小川に水力発電機を据えつけて、これを自分たちで管理して、電気ができたら自分で使ってみろです。それをやればワットの計算は自然に覚えてしまいます。水のエネルギーが電気になるとどのぐらいのエネルギーになって、こんな雨が降っているときは三キロワットの電気が出る。三キロワットの電気だとパンが焼けるとか、全部簡単な計算ですから、中学一年生でも目の前に実物があればすぐわかります。
 というわけで、六年間そんな生活をして、では大学を受けるかと問題集を買ってきて、開いて見たらばかばかしい。こんなことで済ませているほうがおかしいと思いましたが、こう書けば合格だというならそう書こうという態度で勉強して、私の友達はそれぞれ慶応、早稲田、東大へ入りました。みんなやっつけ勉強で入ったのですけれど、まあそういう時代でもありました。
 さて、私より一年、二年、三年上の先輩は、自由学園卒のままの学歴はゼロで、実力だけで教授や博士になった人が何人かいる。だから「教えてくれないからこうなった」という言い方はおかしい。しかし、そういうことはわかったうえで、「だけどそれほどでない人もいるのだから、やはり専門教育をしてくれ」と書いた。
 三番目がおかしいのですが、当時は男子部と女子部とありまして、これが林を透かして見える。「向こうに女子部があって、ちらちら見えるのはよくない」。世の中が一斉に共学になりましたから「共学にしてくれ」と、以上の三点を文書で出したら、「ちょっと今夜来い」と言われてご自宅へ伺った。「自分の理想をしゃべるから、まあ、聞いていろ」と、夜の八時から九時半まで、一時間半ぐらい二人きりで話をしてくれました。答は「きみは、ここにいないほうがいい」ということなのですが、私はほんとうに礼儀をもって追い出されたと思っています。しかし世間の人は退学と思っている。あるいは、自由学園精神に凝り固まった人から見ると、「それ見ろ、追放だ」と思ったかもしれません。あるいはその後文部省認可の大学へ行ったから「裏切り者」となりました。
 その時の話はこうでした。「私は反文部省である。文部省の指図は受けない。これは自分の一生の仕事だから、新制大学の申請はしない。くれると言ったらもらうかもしれんが、自分からは申請しない。これは私のわがままだけど、許してくれ」と話されました。それから専門教育については「金がない」と言われました。「私も専門家に頼んで、どのくらい金がいるかを調べた。それができるなら新制大学をとってもいいと思っていたが、今はそこまではいけない金額だった」と。それから男女共学については、自由学園は全寮制が売り物でもあったので、広く全国や海外から子供が来ていました。外務省の人で、名前を言えばご存じのような人のお嬢さんや息子もいたのですが、「日本全国のみならず、世界各国からお嬢さんを預かっているので、一緒にするわけにはいかない」と言ったのです。自分はオオカミ扱いされたのか・・・とは言いませんでしたが(笑)、世の中はもう変わるのだがと思ったことを覚えています。
 それで「他へ行ったほうがいい」と言うから、半分はホッとしたんです。だけど半分は、父親の後を行くというのは悔しいと思っていたんです。だから東大法学部は行かないぞというわけで、経済学部・・・。まあ、このくらいで身の上話はやめましょう。
【浜田】 そういうお話は、皆さんも興味あると思うんです。
【日下】 話というのは、どうもそういうものらしいですね。そこに『新規範発見塾』の第一九集が置いてありますので、よろしければお持ちください。終身雇用が是か非かというのがメインのテーマですが、そのとき「春になりました、今朝うぐいすが鳴いていましたね。うぐいすといえばこんな漢詩が・・・」という雑談をしたら、反響はそこばかり(笑)。「終身雇用制の話はさておき、春になってうぐいすが鳴きましたという、あそこがたいへん面白かった」と評判の(笑)、第一九集が置いてあります。
 
 でも不思議なもので、それでいいのかもわかりません。ギリシャに逍遥学派というのがありますが、逍遥とは「散歩して歩いている」という意味です。散歩しながら話したことを、弟子が書いて残したのですが、それがスクール(学派)になった。スクールの語源はスコーレで、暇潰しのことらしい。人間の印象に残るのは理屈ではない、感情だけでもない、両方が混ざっていないとだめらしい。
 だから総合的なものなのです。カントでもゲーテでも、みんなそう知ってはいるが、それを言うとキリスト教教会につけ込まれるから、情感はゼロにして理屈だけでどこまでいけるか、悲壮な実験をしようというのがヨーロッパの合理精神の始まりなのです。
 そこで教会も情感だけではバカにされると思って、理屈の研究を始めます。最初は修道院、教会の中で始まります。神学校というのをつくって、神学すなわち神様を学で極めようと、努力をいたしました。その神学から派生したのが法律、政治、哲学とか芸術、・・・芸術も学にしようとしたのです。これが大学へ移っていき、宗教色を一切抜いた神学校が大学です。
 しかし宗教色は抜いたといっても残ってしまうもので、学や学者に位をつけるなどはほんとうはおかしいのですが、助手、助教授、教授、名誉教授と、いちいちみんなで判定会議を開いて判定する。それをまた人が「誰から博士をもらった?」と言う。「A先生から博士をもらった」と言うと、「おお、そんなら大したもんだ」とは変ですね。アカデミーのはずなのに個人色がついているなんて、これは変です。でもそれがヨーロッパのアカデミーの世界です。教会組織のマネをしたからです。
 日本は知性が高いから、そういうものはバカにして受け付けないのですが、まあまあ受け付けた部分もある。それは何といっても実用性があったからです。当時ヨーロッパに学ぶことには実用性がありました。その限りにおいて日本国民は大学を尊敬し、プロフェッサーを尊敬しました。
 「その限りにおいて」ということが大事です。これは東大の独文だった妹が言っていた話ですが、ドイツ人の教授が来たときのことです。肩書きがいっぱいついていまして、まずフォンとつけると貴族。で、ドクトルと言わないといけない、博士ですね。それでプロフェッツエル。フォン・ドクトル・プロフェッツエル○○○さんと言わなければ絶対振り向かない、返事をしない(笑)。ドイツというのはそういうところかと思って、日本の学生はそれを軽蔑した。尊敬していない。「大層なわりに教えてくれることは大したことなかった」と、こういう結論だったらしい。
 アカデミーの世界でみずからを尊しとして、そういう演出をするのが通じるとは、ヨーロッパの民度は低いということです。または、教会の権威を借りているということです。教会のマネをしていると、純朴な大衆は教会同様に大学を尊敬してくれると思っていたらしい。日本では尊敬しないのですが(笑)。
 
 さて、ここで話が戻ってきます。そういうアカデミックの世界というのがあり、その世界ではマルクス学派以外は、理屈で理想の国家を考え続けています。
 今日の話は、最後はブッシュへ行きますから、実は戦争論のほうへ持っていきたいのです。トーマス・モアは『ユートピア』の中で「ユートピア国がする戦争は今の戦争とは違う、こういう戦争である」と書きます。つまり絶対平和論は言っていない。「これが理想の戦争だ。こういう戦争ならしてもいい」と言う。完全に戦争をなくせとは、理想の極みですが、彼はそんなことは言っていなかったのです。
 お手元の資料をご覧ください。
 トーマス・モアが考えた、理想国が行なう戦争は以下の通り九項目です。
1. 専守防衛でも不戦でもない。
2. 自国民の生命と安全のためには戦う。
3. 武力以外の手段を最大限に用いる。
4. 兵士の死傷を避ける。
5. 傭兵を使う。そのために日頃、金を多額に準備する。
6. 最後にはユートピア国民も戦う。
7. 相手国の非戦闘員は殺傷しない。
8. 賠償はとる。
9. 奴隷にはしない。
 お読みいただくとわかるように、専守防衛でもないし、まったく戦わないというのでもない。多少現実的、少なくとも今の日本の左翼の人よりは現実的です。「時には攻撃することもある」と言っている。
 そのときの理由は、「自国民の生命と安全のためには戦う。それ以外の理由、目的は掲げない」ということです。
 これをブッシュが言っていることと比べると、ブッシュは自国民の生命と安全をだいぶ拡張して、「テロ、ゲリラは人類の敵である、文明社会の敵である」と言う。文明社会などという大層なものを持ち出す。この論法の元祖は誰か知りませんが、私が証拠に挙げられるのはチャーチルです。チャーチルは、アラブへ行ってさんざん悪いことをするとき、「文明を広めた」と言いました。「我がイギリスが行かなければ、彼らはいまだに・・・」という論法です。それからインド支配においても、「インド人には文明を教えた」という言い方をチャーチルはしています。
 ですから、多分ブッシュも「日本人には文明を教えた」と言いたいのでしょう。「マッカーサーの日本統治は、あんなにうまくいったではないか」と言っているのは、我々は日本を文明化した、それと同じことをすればいいんだと言っているわけです。ただし“日本人に文明を教えた”と英語で言ったか言わないかは、私は知りません。案外言っていると思うのですが、日本の新聞記者は、そこは削ってしまうでしょう。あるいは日本の外務省の人も、そこは削ってしまうのではないか。
 でもワシントンにいる人たちは日本に文明を教えたと思っています。だから日本人が「マッカーサーがこんな悪いことをした」といくら言ったって、「しかし文明を教わって、君たちは幸せだろう、新憲法を与えたぞ」と言います。
 そんなとき「賛成」などと返事をしてはいけません。日本はその前から文明的だったのです。その証拠にマッカーサーはフィリピンの文明化に成功していません。それを言える教養が外務省の人には必要です。







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