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「科学的社会主義」と「ユートピア社会主義」
 これでおわかりだと思いますが、ギリシャ時代はまだキリスト教がありませんから、ギリシャ人は「人間が知恵を絞って考えよう」というやり方です。だからプラトンとかソクラテスとかアリストテレスには、「理想の国家はこうだ、理想の政治家とはこうである」という考えがあって、それが本に書かれている。その意味では「ギリシャに戻れ」ということにもなります。プラトンやアリストテレスと同じことを、突然ヨーロッパ人は始めた。
 その口火をトーマス・モアが切って、何十人という人がそれぞれ自分の理想を書きました。理想を紙の上に書くだけですから、こんな楽なことはありませんね(笑)。王様に当てこすりになっているところだけ注意して、理想主義でよいことずくめを書けば誰でも賛成してくれる。
 かつての社会党と同じ人たちです。この人たちは人道主義者ではあるのです。弱い人を愛している人たちではある。つまり性善説の人です。だいたい心優しい人たちがそういうことを書き、少しは私財を投じて実験もしてみて、「やはりだめだ」というときにマルクスが出てきました。
 マルクスは、ただ紙の上に夢を書いたってだめだ。自分のは科学的である。・・・どこが科学的か怪しいんですけれど(笑)。とにかく学者だって、新説を売り出すときには魅力あるネーミングをしなければなりません。それで「科学的社会主義」とつけた。自分より前の人は全部「ユートピア社会主義」である。彼らはダメだと決めつけてしまった。そう言いながら、けっこう部品をいただいているんです。
 さて、このときは本当にかわいそうなプロレタリアがたくさんいましたから、彼らは大喜びしました。「今度のは科学的らしい。歴史の法則として、やがて資本家は滅びる。王様も滅びる。我々は解放されて幸せになれる」と大流行します。
 しかし、するとそこで矛盾が起こるのですね。歴史の法則、必然の法則というなら、ただ待っていればいいはずで、「革命のために立ち上がれ」というのは矛盾ではないのか。立ち上がったら損をする。なんで死刑覚悟で運動しなければいけないのか。何もしなくたって待っていれば来るはずじゃあないか、というわけですね。これは共産党の中で、その頃からある議論なんです。
 そこで共産党の中で、アクティブになれとか、活動家になって方々で細胞をつくって、そこを拠点にして革命を起こせ。シンパをつくって、・・・というのをアクションプランと言っていた。やられるほうは迷惑ですね。変な人が入ってきて、みんなを扇動して、それで理想社会になったかと言えば、なりはしません。組合の幹部は贅沢ばかりして、月給天引きで闘争資金を山ほど持っていて、みんなをたきつけるがほんとうに闘争するかというとしない。社長と取引して、組合の幹部が自分だけ社宅をもらったりする。皆さんもいろいろ知っているでしょう。特に生え抜きでない、銀行から天下ってきた社長は基盤がないから労働組合を甘やかす。あるいは官庁から天下ってきた社長も労働組合を甘やかす。
 いろいろな紆余曲折がありまして、最近ようやく日本人の目が覚めて、「もう労働組合なんかに入らない、社会党には投票しない、彼らが説く理想はみんな絵にかいた餅である。それより現実主義から出発しよう」ということになったと思います。
 
 私がいま思っているのは、マルクスに続いて理想主義は今度はアメリカから来るんです。「アメリカから来るならこれは共産主義ではない、左翼ではないからいいじゃないか」と思われるかもしれませんが、中身の本質は一緒です。やっぱり決めつけで、絵にかいた話であることは同じなんです。きわめて空虚なことを高飛車に言う。日本人の一部はわりとそういうのが好きで、誉めていえば世界で一番哲学的な民族だと思います。しかし弱点としては、途方もないことをけっこう信ずるところが頭でっかちです(笑)。
 それで、グローバル・スタンダードだとか、国際会計基準だと言われると「そうか、みんながやっているのか」と真に受けてしまう。
 そもそも常識で考えてください。世界中みんながそれをやっているなんて、そんなことがこの世にあるわけがない。腹が減ったら食べるとか、夜になったら寝るぐらいは一緒です。動物としてはみんな一緒ですが、会計制度が世界中で一つにそろっているはずは絶対にない。これが健全な常識ですよ。聞いた途端に「怪しい」と思うのが常識ある人です(ただし田中最高裁長官が「国際法がもしできるとすれば、それは商法から生まれるだろう」と言っているように、会計制度が世界統一に近いものであることは感じます。国際貿易が進めば・・・です)。
 グローバル化はまだ遠い先の話なのに、そうは思わない人種がいて、秀才とか、偏差値が高いとか、教授に褒められたらすっかり偉くなったつもりとか、そんな人たちは懐疑心ゼロで「そういうものがある」と信じてしまいます。「自分は知っている。国民は知らない。だから自分が国民のためにこれを教える。これを導入してやらせることが日本のためである」と、あまり深く考えずに思っている。
 そこでそういう理想主義にすぐ走る人の生い立ちが興味をひきますね。また、いつか話しましょう。アクションをしたがる人の精神基盤です。
 東京財団で毎週行っている虎ノ門DOJOで、麻生太郎さんに講演してもらったことがあります。こう言いました。「財務省の人がきて、時価会計というのは世界中がみんなやっている。日本だけいつまでも取得簿価で帳面をつくっているから会社の真実が見えない。と、そういう説明だったから、世界中みんながやっているならと導入に賛成したら騙された。そんな国はアメリカしかない。世界中という話なら、世界中でやっているのは、社長が簿価か時価かそれぞれ選ぶことになっている。だからこれからは、時価会計をやめるほうに賛成する。そうしないと日本の会社は潰れる」と。
 日本の会社を揺さぶって、潰して、安く買ってやろうという人たちが、陰謀で時価会計と言ったのでしょう。世界とはどういうものか、その正体をちゃんと見なさいと自称国際派の人に言っておきます。
 
 話を戻しますが、日本のマンガやアニメがどうして欧米でこんなに受けるのか。
 その説明として私は最近、こう話しています。先ほど言ったように欧米人には、「人間は神様から知性をもらった。この知性を磨き抜かなければいけない」という思い込みがある。それが大学とか、教授とか、博士号という制度になる。それを尊敬する風習にもつながる。
 日本では知性やそれに発するアカデミズムをたいして尊敬しません。たとえば私がワシントンに行くと、いろいろな人が会いに来て、私の名刺を見て、三回目ぐらいになって親しくなると「あなたはドクターではないのですか」と聞く。私は「東京大学がくれると言ったが断わりました」と言います。「それが日本だよ」という意味です。なぜかというと、その頃私は銀行員ですから、銀行員がドクターになっても何の得もない。むしろ損をする。まず、忠誠心が分散したと思われる。銀行は実業の世界で、そこに誇りを持っていなければいけないのに、学界から賞をもらうとは裏切り者です。「博士になって嬉しいのか」とみんな不愉快に思いますから、銀行の中に何か問題が起こると、「これは日下に聞けばよい。おい博士、ちょっと来い」とやられるに決まっている。みんなからいじめられる(笑)。何の得もないというのが一つですね。
 時々もらう人がいるが、それは裏切り者で、銀行の中ではもう出世しません。だから辞めてどこかの大学教授になってしまいます。大学教授になりたいなら、もらってもいいんです。ただし給料は安くなる。
 さて、そんなことに薄々気がついたアメリカ人がいまして、「日本人にはドクターがさっぱりいないが、しかしみんな知性は備わっている」と言いました。大学に行かなくたって知性なんて初めからある、とこちらは思っているのでおかしかった(笑)。結局、日本経済の結果がよいから、日本人には知性があると認めているらしい。そもそも有色人種には知性が足りないはずだというのが前提です。
 どうしてそんな考えになるかと言うと、もともと北欧人はローマ、アラブ、ギリシャから見下されていたのをアカデミズムで追いついたと思っているからです。だから遅れて文明圏に入ったアジア人も、必ずアカデミズムを通って追いついてくるものだと思っているのです。
 「日本を研究したいから教えてくれ」と言うのでお相手をしているうちに、だんだんわかってきたことは、どうやら日本経済を潰そうという研究会をやっている。日本を揺さぶって、長所を壊して、短所が表に出てくるような手はないか。それが見つかったらホワイトハウスへ持っていって、自分が出世しようという研究会をワシントンのあっちでもこっちでもやっているらしい。それで「スミソニアンに行けば、ちょっと変わった意見を教えてくれる日本人がいるよ」というので私のところへ来る。
 彼らは悪巧みのことを“インテリジェンス”と言うのです。「これは知性である」「神からもらった」。だから、それをやる人は貴族であって、全然彼らは後ろめたいとは思っていない。頭がいい人というのは陰謀をめぐらせて、人を騙して儲けるのである。騙されても気がつかないのはバカだからで、自分が悪いのだからあきらめろ。これがマーケット・セオリーである、これがグローバル・スタンダードである、・・・そう思っているのだということをひしひしと肌で感じました。
 
 それで日本へ帰ってきてから、「今にこういう陰謀をされるぞ」と言ったのですが、「まさか」と誰一人聞きません。日頃自分たちがそういうことをやっていないからで、たいへん麗しい日本人です。むしろ「アメリカ人をそこまで悪く言うものではない」と、私のほうが叱られてしまう(笑)。「アメリカにもちゃんとした人はいるだろう」と言うが、それはもちろんいます。しかし日本では想像できないようなヒドイ人がたくさんいます。
 「非文明圏にはアホウがいる。むしってやれ、たかってやれ」と、世界にはそんな人がたくさんいるのですから。そのことを忘れてはいけません。
 という根本を日本人がわかってくれないものだから、もういいや、私個人は何とか暮らすから大丈夫と思っていたら、ほんとうに私のいた銀行が揺さぶられて、潰れました。そのときの揺さぶる順番、潰れていく順番、全部かつて私が聞いた話です。それを大蔵省も、学者も、誰も私のほうにはつかない。アメリカのほうへついてしまった。
 銀行はつまらないことで引っ掛けられているんですよ。銀行の決算報告がウソだったというが、それをやっているときは日本中がやっていたことでした。だから、まさかこれで捕まることはないとみんな思っていた。それから不良債権。しかしこれも大して罪にはならないんですね。
 私があのころ言ったのは、「愚か罪」という罪をつくれと言ったのです。「愚か」を罰する罪がないのがよくない。財務省などは愚かの固まりですが、愚か罪がないから捕まえようがない。言いわけで済んでしまう。
 私は父が裁判官でしたから、警察とか裁判所は、今まで見逃していたものを急に捕まえたりすると子供のときから知っています。だから、「今はよくても将来捕まるかもわからない。それに気をつけなさい」と言っていたのですが、そのとき返ってくる答は「日本中がやっている」とか「大蔵省も承知している」とかでした。それで「大蔵省はいざとなったら逃げてしまうだろう。私が指導しましたなんて、民間をかばってくれるはずがない」と言っていましたが、やはりそうなってしまいました。
 つまり、民間企業は甘かった。愚かだった。それと同じく大蔵省も、アメリカに対して甘くて愚かだった。







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