日本財団 図書館


新規範発見塾
Lecture Memo
 
vol.21
第98回 ビジネスモデルと「コンセプト革命」 part 3
第99回 ユートピアは終わった
――トーマス・モアからブッシュまで part 1
第100回 理想主義か現実主義か
――トーマス・モアからブッシュまで part 2
 
東京財団
 
新規範発見塾
(通称 日下スクール)
vol.21
 
本書を読むにあたって
 
「固定観念を捨て、すべての事象を相対化して見よ」
――日下公人
 これからは「応用力の時代」であり、常識にとらわれることなく柔軟に物事を考える必要がある。それには結論を急がず焦らず、あちこち寄り道しながら、その過程で出てきた副産物を大量に拾い集めておきたい。
 このような主旨に沿ってスクールを文書化したものが本書で、話題や内容は縦横無尽に広がり、結論や教訓といったものに収斂していない。
 これを読んだ人が各自のヒントを掴んで、それぞれの勉強を展開していただけば幸いである。
(当第21集は、2004年8月から3回分の講義を収録している)
 
KUSAKA SCHOOL
 
PART 3
(二〇〇四年八月十二日)
具体策も大切だが、コンセプトもさらに大切
 おはようございます。こんな暑い日にようこそおいでくださいました。
 「ビジネスモデルとは、コンセプトのことである」ということを、いろいろな具体例でお話ししています。
 ここで大切な点は、ビジネスモデルと言ったとき、なんでコンセプトから話を始めるのかということです。日本人はすぐ具体策のほうへ話が行ってしまい、もともとのコンセプトの話を嫌います。「そもそも」という話が嫌いなのでしょう。「そもそもが何であろうと、結局これをやればいいんだ」と、すぐ具体的応用、具体的行動のほうへ行く。
 そして、そこではなかなか賢いのです。それはそれで日本人の素晴らしいところなのですが、そのかわりもともとの究極の目的はどこかへ消えてしまう。そのため、気がつくと全滅とか破産とか、そういう話が多いものですから、「本来のコンセプトを大事にしなさい」という話をしています。
 もしアメリカ人相手に話すのであれば、「コンセプトの話はいいかげんにしなさい」と言います。屁理屈ばかり多くて、具体的行動を起こす人が少ないからです。
 もしヨーロッパであれば「ちょうど中間で、だいたいよろしい」と言います。余談を言えば、中間と言っても、実はイギリスは、ドイツ、フランスと違います。
 
 大陸と島国の違いがそこにあります。
 島国イギリスのほうは経験主義で、やることも現実主義で、あまり理屈を立てません。大陸のフランス、ドイツのほうは、むやみに理屈を立てます。具体策はその後です。
 こうなる理由として、ローマ法が適用された地域と、されていない地域という分け方ができます。ローマの自慢は法律の体系をつくったことで、「こんな立派な法律体系は世界中で使えるはずだ。現にローマはこのとおりヨーロッパで一番成功している。みんな真似をせよ」とした。だからローマの植民地になった国は、みんなローマ法を一生懸命勉強するようになりました。つまりラテン語を勉強するようになった。「ラテン語で法律を理解できるようになった。したがって自分はインテリになった、文明人になった」というのがフランス、ドイツです。
 しかしイギリスは「ローマの植民地にはなったが、それは昔の話である」と、独立性が強かった。ここはイギリスである、したがってイギリス人の幸せに基づいた考えがある。イギリス人の生活を乱してほしくない。グローバル・スタンダードはお断りだ。ローマン・スタンダードはこうだと言われても、イギリス人はそのとおりできない、という選択をしました。
 これを私は今の日本に向かって言っています。日本の大学へ行って勉強した人は、みんなローマ法信者ならぬグローバル・スタンダード信者になってしまう。しかもそういう人は子供のときから秀才で、友達に嫌われて、東京で偉くはなったが日本全体のことは全然知らない。国民にとってはほんとうに迷惑だと思っています。コンセプト倒れの原理主義者はいけない、と思っています。
 さて、イギリスと、フランス、ドイツを比べると、裁判所の判事は何をするかというのが全然違います。裁判所の判事は、イギリスでは「法の発見が仕事だ」と言います。ドイツでは「法の適用だ」と言う。つまり正しいことはローマ法として法律に書いてあるから、それを適用するのが仕事である。法を解釈して、それから現実を見て、法を当てはめていくのが裁判所の仕事である。
 ところがイギリスは違う。法の発見が判事の仕事である。法とは、このイギリスで一〇〇〇年間もみんながやってきたことで、「自然法の概念」と言いますが、みんなの身についていて「これでいい」と生活の中でやっている法が、この争いについてはどういうふうに出てくるべきかという、「法の発見」をするのがイギリス判事の仕事です。
 どっちが賢いと思います? それは常識的に考えれば、法の適用をするほうは馬鹿でもできる。これは検査官とか評価者などと同じで、インテリの仕事としては低級な仕事です。ところが法の発見をするというほうは、何もかも総合的に考えて、「この人には勝たせよう。それがイギリスの伝統だ。イギリスの精神だ」という自信を持って判決を下すのですから、このほうが高級ですね。
 面白いですよ。渡部昇一さんがイギリスで家を借りて、家賃や敷金のことで裁判を起こした話を教えてもらいました。相手の家主はユダヤ人だそうですが、渡部先生は不当な要求に対しては闘って必ず勝つという決心をして、裁判に行きました。渡部さんはそのことをあまり書いていません。日本では裁判を起こしたという、それ自体あまり好かれないからでしょう。
 ともかく、そのときイギリスの裁判は面白いものだと思われたそうです。判事が一人真ん中にいて、原告と被告と弁護士がいて、両方一〇分ぐらいずつ話すと、判事が「はいわかりました、あなたは損害賠償を一〇〇〇ポンド払いなさい」と、たちまち判決です。三〇分ぐらいでポンポン判決が出る。普通に常識で判決すれば、そんなに時間のかかるものではないということがわかります。
 ところが日本は五年でも一〇年でもやっていますね。あれは判事が責任を逃げているのです。とまあ、また話がそれましたが、これは裁判にもコンセプトが二つあるという余談です。ではマクドナルドへ戻りましょう。
 
 マクドナルドのコンセプトについて、私は二五年前、まだハンバーガーを始めたばかりの藤田田さんに話を聞いたことがあるのですが、実に元気いっぱいの人ですから、質問しなくてもたくさん話してくれました(笑)。だから新聞記者の人には、成功して丸の内や大手町の社長室にいるような人ばかり取材するなと言いたいのです。そういう人はなかなかしゃべってくれませんが、駆け出しのときに行けば、相手はばんばん教えてくれる。そこにはニュースの面白味もあるんです。
 お手元の資料にマクドナルドのコンセプトが書いてあります。
【コンセプト】
1. 多店舗展開
2. どこでも同じ味
3. どこでも同じ外観
4. 大衆食品(ハンバーガー)一本槍
5. 早く、安く
【その具体化】
1. 威勢よく売る
2. しかも安く売る
3. 長期展望
 これをじっと見て、全部総合的に味わってください。「こういうものの総合体なのか」と味わっていただきたいのです。そのために三分間ぐらい沈黙していてもいいと思うのですが、皆さんはせっかちだから、「早く解説をせよ」とおっしゃるでしょう(笑)。それが学校だと思うのが間違っているのです。学校はすぐ箇条書きにして、逐条解説を先生はしてくれる。しかし箇条書きとは、バラバラに分解してしまうことです。
 それをもう一回組み立てるのは、誰が組み立てるのですか。藤田田さんはそれをやって形にしているのです。しかし学生は、分解した部分品ばかり覚えて、「試験にはここが出るぞ」とそれだけは覚えていて、試験が済んだら忘れてしまう(笑)。実にもったいない。
 では、皆さん味わってくださったとして、解説をいたします。
 まず「多店舗展開」です。多店舗展開にはいろいろな利益があります。弊害もあります。こんなことは日本でも江戸時代からわかっています。日本の場合、多店舗展開の一番大きな利益は、番頭に対して「あちらの店でやれ」と将来の処遇ができる。それは番頭のほうから言えば、働く希望です。いつの日か独立しよう。そのときに越後屋とか、そういう商号を与えてくれる。同じ看板でやると信用がつく。それから品物を本店がかなり安く卸してくれる。
 つまり本店は人材と資材の卸屋なのです。日本のデパートの本店や、問屋はいったい何なのか。金融機能だという説が多い。それはそのとおりです。独立したときはお金がないから、もとの店の応援が必要です。それで「甲州屋とか越後屋の名を汚すようなことはいたしません」「まあそうだろう、おまえなら信用できる」となるが、そういう場合、だいたい奥さんもそこの店の人なんです。伊勢屋に働いている男と女が結婚して独立する。夫婦ともよく知っているわけですから、親類づき合いみたいになります。そういう多店舗展開の姿が江戸時代にあります。
 ところでアメリカでは、お互いに見ず知らずな人ばかりで、新移住民がそれぞれに開店しています。店が成功すれば売ってしまう。そこで多店舗展開すると、アメリカでは成功する。マクドナルドは「どこでも同じ味」ということを売り物にした。どこへ入ってもマクドナルドなら同じ味で、同じ値段で、「これなら安心だ」とお客が入ってくる。アメリカはそういうマーケットなんです。
 これは言い換えれば、大衆食品とか大衆商品のマーケットです。大衆が「だんだんお金も儲かるようになったし、もうちょっといい生活をしたいな」と思ったとき、そのためにいちいち日本橋の三越までは行けない、ボストンまでは行けないというとき多店舗展開で近くに店を出すと、ぞろぞろお客が入る。これが大衆商品マーケットの特徴です。
 
 これはマーケットが大衆消費段階に入っていないとできない。同じような人間がたくさんいなければできません。
 例えばインドでは、このごろは大分変わったのですが、中流階級などというのはありませんから。人間は全部さまざま。それぞれのなじみの居酒屋へ行く。なじみでないところへ入ったら何を食わされるかわかったものではない(笑)。それでも不自由がないというのは、住民が動かないからです。同じ町で生まれて、同じ町で死んでしまう。
 ところがアメリカ人は動く。西へ行けばもっといいことがあるかもしれないと、人間がどんどん動くから、知らない者ばかりという状況の中でマクドナルドは同じ味を違う町で提供した。
 それを証明するために、同じ外観をつくる。藤田さんは「我々のやっている商売は、普通に考えたらお客さんは腹を立てるはずですよ」と言いました。「絶対腹を立てなきゃおかしいんだ」と、これはご本人が言ったのです(笑)。しかし腹を立てないように、あらかじめ大きな字で「M」という看板を出しておく。すると、最初からそういうところだと諦めて入ってくる。「あれは全部、諦めさせるためのものである。同じ外観のほうが宣伝効果が上がるとか、統一看板はよいとか、そんなことを言っているのは世間を知らない学者の後講釈で、ほんとうの目的はお客に諦めさせるためだ」と言っていました。
 面白いと思ったのは、この赤坂近辺の和食の高級料亭。そこにもやっぱりコンサルタントみたいな人がはいっていますが、そういう人は、実はお客だった人のなれの果てです。昔は金をさんざん使って、赤坂その他の上客だったのが、没落したらコンサルタントになる。これは「芸が身を助くるほどの不幸せ」と言うんです。もっとも本人は「いいや、幸せだ」と言うでしょう。江戸時代からありますね。遊び人が落ちぶれると、たいこ持ちになるとか、客引きになるとか。今だとコンサルタントになるらしい(笑)。
 そういう人が言ったのは、高級料亭はみんな粋な黒塀に見越しの松がかかっていて、枝折戸のドアがあって、そこから大して広くもないのに飛び石が曲がりくねって、歩くと玄関になって、式台があって、両手をついて挨拶してくれる。「あれはどういうメッセージだと思いますか?」と聞かれたので、「高級感を出しているんでしょう」と言ったら、「だからあなたはサラリーマンだ」と言われてしまったんです。あれは、「お客さま、覚悟はいいですか。帰りのお勘定書は高いですよ。覚悟ができたらお入りなさい」という演出だそうです(笑)。
 マクドナルドも同じことなんですね。ここは画一的なサービスで、それ以上は何を注文したっていたしません。そのかわり安いですよ、とか、ハンバーグの味は均一ですよ、覚悟して入りなさい、というメッセージです。







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