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第96回 ビジネスモデルと「コンセプト革命」
PART 1
(二〇〇四年六月十七日)
IT革命よりコンセプト革命
 今日はビジネスモデルの話をします。
 ビジネスモデルという言葉は、この一〇年ぐらいひとしきり流行しました。新しいベンチャービジネスを起こせ、あるいは会社は何か多角化をしろ、新規事業をやれ。そこで何かビジネスモデルを考えろと言うが、サラリーマンはほとんどそれができない。まあまあできたのは、技術進歩から始まる話ならできる。だから、IT革命論に踊らされた。「話は技術から来た」というと、日本人は足並みがそろう。それでほんとうに馬鹿げたことになりました。
 アメリカにはもう一つの流れがある。技術以外に、コンセプト革命から来るニュービジネスがあって、そういうものがたくさんある。それをまとめてニューエコノミーなどという名前をつけましたが、電気通信のほうだけ日本人は見た。eビジネスとか何とか・・・。総理大臣が賛成して、予算が五〇〇〇億円ついた途端に大ブームになった。だから、これはお金に引きずられたものであって、中身は何もなかったということが、この頃はいろいろな本で批判されている通りです。
 コンセプト革命から始まったベンチャービジネスとか、ニュービジネス、ニューエコノミーのほうは誰も紹介する人がいなかった。コンセプト革命、概念、哲学。こっちのほうはみんな相手にしなかった。大学教授がわかっていないからだと思います。大学教授でそんなことを人に教えられる人はめったにいない。教わっていないことはできないのがサラリーマンであって、それで結局流行しなかったのだと思っています。
 
 事業におけるコンセプト、その一番わかりやすい例はマクドナルドのハンバーガーです。別に珍しいものを売っているわけではない。けれども、あれだけの大企業になり、大成功した。日本にも来た。
 あれは最初にコンセプトがある。「全米どこへ行っても同じものを同じ味で食べさせる」。ただそれだけのことですが、それが大変うけた。
 日本人にはわかりにくい話ですね。店屋によって味が違うほうが楽しいじゃないか、みんな同じでどうするのかと思いますが、アメリカの場合はあまりにもバラバラ。移民がやってきて、なけなしのお金で始めるのはまず飲食店商売。これもちょっと成功すると、人に売り払って、どこかへ移動してしまう。しょっちゅうオーナーが替わるし、シェフが替わる。商売は極めて短期的。店に入るときは、何を食べさせられるかわからない、というときにこのコンセプトには価値があった。
 けれども、そのコンセプトを具体化するのには、もう何百何千という知恵が要る。それがあって初めて事業になる。
 それを全部まとめてビジネスモデルと言うわけです。
 このビジネスモデルは、できてから見れば誰でもわかる。しかし、そっくりマネしても案外うまくいかないのは、やはりただのマネでは駄目だからなんです。
 この間亡くなられた藤田田さんが日本マクドナルドを始めたとき、彼は一生懸命に言っていました。追悼の意をこめてそのときのことを紹介しますと、「こんな商売が成功する理由は、一つにはアメリカはバラバラだということと、それからアメリカ人は舌の神経の数が日本人の半分しかない。舌が全然だめだから、何を食べさせてもいい」と。当時そういう批判があったのです。そういう批判をちゃんと藤田さんは認めていた。「だから、日本では成功しないと偉い人はみんな言うが、私は成功させてみせます。理由は、子供に食べてもらうからです。大人は来なくてけっこうです」と、これもコンセプトです。
 大人は来なくていい、子供に食べてもらうというコンセプトですね。「この子供は、味がクセになって四〇歳、五〇歳になっても食べる。だから、大人が食べて美味しいとか不味いとか言ったって関係ありません。私の耳には聞こえません。日下さんには一生来ていただかなくてけっこうです。わが社のお客様ではありません」などと言っていました(笑)。
 これはマーケット・セグメンテーションという考え方ですね。当面は子供だけ。やがてだんだん三〇歳用、四〇歳用、五〇歳用のハンバーガーをつくりますが、それは先の話。
 こういう「セグメントする」という考えも、コンセプトのうちですね。
 
 セグメントを普通の会社はできない。日本の会社は、何か新しいことをやろうというとき会議をするからいけない。みんな集まってきて、いろいろなことを言うのを、人の顔を立てて全部採用するからダメなのです。
 切り捨てられない。だから総花的商売になって、それは全部コストのほうへ行ってしまう。というようなことになっていて、バブル崩壊からこの不況期にかけて、どこの会社でも新規事業をやりましたが、だいたいが失敗しているのは会議を開くからだと私は思っています。会議でコンセプトなんて、説得するのにくたびれ果てる。だから、もう気のきいた社員は独立してしまう(笑)。
 またここでちょっと冗談を言いたくなるのですが、東京財団の評議員に野田一夫さんという方をお願いしています。私はこの人を深く尊敬しています。というのは、先端分野に生きるというセグメントをしている。そこでの成功がある。
 その中の一つに、宮城県が県立大学をつくるとき、学長に迎えられて野田さんが言ったのは、「今どき経済学部だの、商学部だの、そんな既存のものをつくるのはやめよう。自分はまったく新しい学部をつくる。その名前を考えているんだ」と言って、彼がつくったのが事業構想学部です。
 つまり、新しい事業を構想するということは、まずは思いつきのアイデアがあって、かつそれを肉づけして具体化するということですね。構想とは、ちゃんとピラミッドにつくり上げる。屋根も壁も土台もいろいろ考えるという意味です。これが当たりに当たった。偏差値が突然、東北大学の某学部より高いという人気になりました。
 これを皮肉って言えば、野田一夫先生は偉い、そう言えば学生が来ると知っていた。それがビジネスモデルなのだ、と、なぜそんな嫌みを言うかというと、事業構想を教えられるような教授を揃えたかどうかです。流行だから、「あそこへ行けば社長になれる、一攫千金」と学生は来ますが、ではどんな教授が何を教えるか? けれども、そこまで言うのはほんとうは酷な話です。それを私が言ったら、「おまえ、来て手伝え」と言われます。だからこの場所では話しますが、身の危険を感じて声高にはいわない・・・(笑)。
 成功を祈っていますが、仙台でやるのは無理かもしれない。東北のまじめな人が新事業なんて、普通はだめです。広島ならわかる。広島は日本で一番暴力団の多いところです。神戸もそうです。暴力団のいるところでやらなければ、事業構想学部なんて難しい、と、これが私のコンセプトです(笑)。
 
 今ある商売は、全部その昔、誕生したときは新商売です。そのときはやはりビジネスモデルがあった。こんなことをすれば、まあまあ行けるだろうと始まって、世の中のある人は感心し、ある人は非難、攻撃した。まあ、最初はだいたい非難や攻撃をされることのほうが多い。
 江戸時代であれば町奉行に密告して弾圧してもらうとか、あるいは町奉行の統制は意外に緩かったものですから、ライバル業者が集まってきて嫌がらせをする。そこの従業員を引き抜くとか、その店屋の前にふん尿をばらまくとか、みんな自分で努力したのです(笑)。しかし、その頃のほうが元気がありました。
 そのうち商売人がおとなしくなって、監督官庁に届けてあらかじめ相談する。始める前に相談することになってしまった。だから、日本にはニュービジネスがない。ビジネスモデルといったって、役所の人がこうせよと言ったとおりに従うのでは、画期的なビジネスモデルは日本にはなかなか出てこない。
 ここで次のことが言えます。役所の指導に従うな。従うようになったら、ニュービジネスなんて出てくるわけがない。ビジネスモデルなんかつくれるわけはない。
 私の経験では、お役所の言うことなんか聞かない、そもそも相談に行かないというのが瀬戸内海地方の全体の空気です。あるいはもう少し言うと、港町の雰囲気です。そういうところから、ほとんどの商売は現に出ている。
 しばらくするとそれが成長して、世の中に定着する。その頃はもうコンセプト革命とは誰も言わなくなる。それは「常識」になり、「当たり前」になる。そういう事例がたくさん集まったのをまとめて理論化して、大学教授が教えるようになる。たくさんまとまらなければ教えられませんからね。
 だから大学で教える頃には、五年か一〇年もう経っている。それを学生に教える。賢い学生はそこからコンセプトだけ、スピリッツだけつかみとるんです。しかしそういう学生は多くはいませんから、普通は形だけ、上辺だけとるわけです。「そういうふうにやればいいのか」と形だけ学んだ学生が大企業では採用される。だから、ますます大企業からは新規事業が出てこない。それで大企業はいずれ潰れてしまう。
 
 これを普通の説明では、「社会条件が変わったから」だと言います。世の中が変わったから、滅びていった。つまり、そういう必然性があったのだと教えます。
 けれども、私はそうは思いません。「ニュービジネスをつくる人に負けたんだ」と言います。あなたが若いとき、老舗を倒した。今、あなたが老舗になっている。若い人がまたニュービジネスをつくって、あなたを倒す。あなたは倒されて消えていく。これは人間の主体的努力から見た考えですが、人間から見たらそう言えるわけです。
 ところが大学は理論化を焦るから、人間とは言わない。人間はどうであれ、必然的に世の中の流れでこうなったと教えたい。
 これはマルクスから来た悪い病気です。病気であって、真実でも何でもない。そういうふうに理論めかして言ったほうが格好がいいだけ。だから、駄目な教授ほどこういう必然論を言う。私はもう大学時代、ほんとうに飽き飽きしました。あまりに飽き飽きしたから「そうじゃない」という答案を書いたら、たちまち不可を食らった(笑)。まあいいや、不可がたくさんあるほうが名誉だと思ったりしたことがあります。
 そういう盛衰の波は昔からあることで、別に珍しいことではないのですが、しかし不景気が長引いているので「規制緩和せよ」という議論が盛んです。
 実は私は、規制緩和はずいぶん進んでいると思っています。それは、自分がニュービジネスを考えて始めればわかります。昔は、新商売を始めるとお役所が飛んできて「やめろ」と言ったものですが、今は言わない。何も言ってこないとは寂しい(笑)。そういう時代の変化は自分がやってみればわかるわけで、何もやらない人はお役所が変わったことに気がつかない。お客が変わっていることも気がつかない。従業員が変わっていることに気がつかない。
 ご自分はといったら、「誠心誠意、不動の姿勢で去年と同じことをやっている」と威張る。去年と同じことを誠心誠意やっているのに売上げが下がっていくのは小泉首相が悪い、自分は悪くないと思っている。
 しかし、誠心誠意というのはよくないのです(笑)。不動の姿勢もよくない。去年と同じことをやっているのはよくないのであって、本業を一生懸命心を込めて磨き上げるというのも時にはよいが、時にはダメなんだということが、まじめな人はなかなかわかってくれません。







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