日本財団 図書館


新規範発見塾
Lecture Memo
 
vol.20
第95回 日本型終身雇用が復活する part 5
第96回 ビジネスモデルと「コンセプト革命」 part 1
第97回 ビジネスモデルと「コンセプト革命」 part 2
 
東京財団
 
新規範発見塾
(通称 日下スクール)
vol.20
 
本書を読むにあたって
 
「固定観念を捨て、すべての事象を相対化して見よ」
――日下公人
 これからは「応用力の時代」であり、常識にとらわれることなく柔軟に物事を考える必要がある。それには結論を急がず焦らず、あちこち寄り道しながら、その過程で出てきた副産物を大量に拾い集めておきたい。
 このような主旨に沿ってスクールを文書化したものが本書で、話題や内容は縦横無尽に広がり、結論や教訓といったものに収斂していない。
 これを読んだ人が各自のヒントを掴んで、それぞれの勉強を展開していただけば幸いである。
 (当第20集は、2004年5月から3回分の講義を収録している)
 
KUSAKA SCHOOL
 
PART 5
(二〇〇四年五月二十日)
「法人名目説」と「法人実在説」
 雇用の問題は今日で最終回となります。
 終身雇用の問題を考えていくと、その根本は「法人名目説」をとるか、「法人実在説」をとるか、になります。
 「法人」はいわゆる会社のことですが、法人名目説とは、会社は株主のものだという意味です。株主が実在していて、会社は名目だけであるという考えですね。
 それから法人実在説は、会社は社会的活動体として現に存在する。株主のほうが名前(名目)だけだという考えです。
 こういう二つの考えがあって、会計学でも、あるいは検査、評価、いろいろなときに「この二つのどっちでやるのですか」という問題が出てくる。
 アメリカは、会社は株主のものである。だから株主が社長を選び、取締役を選び、従業員などはいくらでも取りかえればいい。いつクビにしてもいいのである。法人のほうは名目で、実在するのは株主様である。これがグローバル・スタンダードであるというやり方ですね。
 これはウソを言っていると私は思いますが、それを真に受けて、日本中が法人名目説の時代になって、さあ今のお気持ちはどうですか? ということです。
 日本は、会社は実在する。それは取引先も含めて、社員はもう自分の一生をかけている。その社員が上がっていって、経営者になっていく。命がけで自分の全人生をかけて働いているから、ほとんど無限責任です。働いている社員もまた会社のことを一生懸命考えて、みんなで頑張ってやっている。
 彼らから見れば、株主なんて有限責任にすぎない。株券をパーにすればそれでおしまい。株主は、それ以上のことは背負わないのですから、人生をかけているわけではない。出資金ゼロになるのを覚悟すればいいという人です。
 それから中小企業のオーナーは、多くの場合は大株主で、そのうえ全人間的に会社の責任を負っている。従業員にボーナスを払えないときは死ぬほど辛い。女房の財産を売ってでも従業員にボーナスを払う、滞りなく払うんだという人が日本にはたくさんいた。だから、社員もまた「おやじさんに迷惑をかけないように」と頑張って働き、おやじさんにもう売る財産がなくなったのなら「クビになっても仕方がない。私たちの働きが足りなかった」という気持ちの人たちです。
 だからカルロス・ゴーンさんは、村山工場を閉鎖したとき、「日産の名前が残るならやめます」と皆が静かに去っていったので、びっくり仰天した。村山工場の周りの、下請の中小企業の人も、「しようがない」と言ってやめていきました。
 
 さて、法人は名目で株主が実在というのは、わかりやすく言えばこういうことです。
 株主には愛社精神がない。株の値上がりが目的で、値上がりさせるために社長がいる、それから取締役がいるが、それでは社員に愛社精神が湧かない。全力投球してくれないのは困る。そこで発明された制度がストックオプションです。これをやると、社員と株主が一緒になる。正確にはまだ株主ではないが、その権利を持つ。すると社員が一生懸命働くであろうと株主は思った。
 しかし、実際は営利目的の株主になるだけでした。
 道徳が低い国でそれをやると、ストックオプションのためにインチキをする社員が出てくる。じつにたくさんのアメリカの経営者が、株主である自分のために仕事を悪用してインチキをしました。たとえば「私はこういう発明をしたから、もうじき株が上がるはずである」とか、「ワシントンへこういう政策を吹き込んだから、ブッシュ大統領が近く二〇〇〇億円の予算をつけるはずだ」とか。
 わかりやすい例がエンロン、ワールドコムですが、株がわっと上がって、自分のストックオプションをがっぽり取って、「はい、さようなら」とやめていく。会社を自分の金もうけの道具に使う。ありとあらゆるインチキをした。最後にばれたところで世界はあきれまして、こんな制度をやっているアメリカという国の会社の株はもう買わないとなった。
 それから、下にいるまじめな従業員は、こんな会社で働くのはもう嫌だと雪崩を打ってやめていく。上はインチキしてでも黒字計上して、「自分の功績だ」と一〇億円、二〇億円のボーナスをとる。そのため社員の給料はなるべく安くする。どんどんクビを切る。「IT革命で合理化したから、あなたはもう要らない」「インド人なら同じ仕事をもっと安くやってくれる」と言う。会社をインド人と中国人ばかりにしてしまう。だからIC革命だと言う人もいる。インディアンとチャイニーズだらけ。
 アメリカの普通のホワイトカラーのサラリーマンは、もうアメリカの大企業からどんどん追い出される。優秀な人だって、ああいう悪らつで強欲で、思いやりのかけらもないような経営者のもとで働くのは嫌ですから、アメリカ人はだんだん去っていく。もっとコストの安いインド人と中国人ばっかりになるというほうへ、今は話が進んでいる。
 統計の表面だけ見ていると、アメリカ経済は個人消費が回復したとか、設備投資が良くなったとかいいますが、もっと中身を見なければいけません。私はサラリーマンを三〇年やったから中が見える(笑)。
 そんなアメリカの会社で、誰が全力投球して働くものか。そんなことでは今は良くても未来は暗いだろう。
 才能がある人は、外に出る。才能のない人だけが残る。インド人や中国人も、要領を覚えたら自分の国へ帰って独立する。それでライバルになる。だから、インド人を使えば安く済むなどと言っているが、間もなくインドにライバル会社がたくさんできる。すると長期予測では、アメリカの会社は潰されます。
 そういう目で見ると、悲観説を裏付ける材料がたくさんある。
 つまり、アメリカの「会社は株主のものだ」というやり方は行き詰まるのであって、その実例がたくさん出てきました。
 
 では、日本型経営はというと、株主空洞化のテクニックが世界一発達していた。
 株主はいますが、それは商法に書いてあるからしようがない。しかし発言させない。株主には配当だけあげて、その配当もなるべく払わない。黙ってそこにいなさい(笑)。それが一番会社がうまくいく、というのが日本型経営で、その一番いい方法は過少資本です。
 例えば、朝日新聞は大きな会社ですが、全然増資しない。資本金六億五〇〇〇万円とは、あの規模の会社としてはものすごく少ない。サントリーも有名ですね。佐治・鳥井さんご一族が持っていて、上場はしない。しかし、それはそれでうまく行っている。
 日本は株主空洞化方式。その第一は増資しないし、株主を変動させない。
 それから第二は上場しない。上場しなければ、誰かが買い占めるという心配がありません。大株主が少数いるだけだから、働いている人は個人商店の番頭、手代ということになりますが、それで良いという人だけで心合わせて、成功している会社がけっこうある。
 高島屋というデパートは飯田ご一族が昔からの大株主ですが、ダイエーの中内さんが高島屋の株を買いしめようとした。それで、ある日気がついたら、飯田ご一族は二、三%しか株を持っていない。東海銀行とかが大株主で外にいる。
 さて、ダイエーが八%ぐらい買い占めたから、もうこれからは高島屋はダイエーのものだ。社長も飯田ご一家からではなく、中内さんが決めるのだ、というその瞬間から、日本中が「中内さんは悪い人だ」と大不評。「株を買い占めて威張るとは何事だ」と、日本中の新聞が中内さんを攻撃しました。あまりの評判の悪さに、中内さんは乗り込んで支配することができませんでした。
 
 では、社員一同がなぜ飯田さんを支持して、中内さんを嫌ったか。飯田さんの人徳でしょうか? それもあるかもしれませんが、一番大きな理由は、自分がこれまで働いてきた功績を飯田さんはよく知ってくれている。突然別の人が来たら、過去の功績が全部パーになる。全部白紙になってしまう。それでは長年、自己犠牲で高島屋に尽くしたことがパーになる(笑)。
 だからトップが代わるのは嫌だとなるが、これが終身雇用から発する事情だということに注意してください。社員が保守的になるのです。それは自分の勤務評定がやたらと長期だからです。勤務評定が一年刻みになっていれば、上なんかいくら代わってもかまわない。もらうお金はもらったのですからね。
 ところが、会社に尽くして、まだ見返りをもらっていない。それは退職金とか老後の処遇とかで、そのためには上が代わるのは反対なのです。
 それが終身雇用下における社員の気持ちで、その実例として高島屋と中内さんのお名前を借りましたが、似たような例が日本ではいくらでもあります。
 さて、どっちが良いか悪いかですが、アメリカという国ではやはりアメリカ式になる歴史がある。日本という国にも、日本式になる歴史や事情がある。
 中内さんは新聞紙上で、「自分は飯田さんの三倍もたくさん株を持っている。最大の利害関係者だから、それだけの発言権がある。会社を赤字にしたら一番損するのは自分なのだから、自分に任せてもらいたい」と言っていたが、“乗っ取り”という評判は変わらなかった。
 
 さて、中内さんは何を乗っ取ろうとしたのでしょうか。最大の利害関係者とはいったい誰でしょうか?
 乗っ取ろうとしたのは会社の「内部留保」です。それは取引先や銀行や社員がこれまでもらうべきものをもらわないで、会社を太らせるのに協力してきた「未払金」です。内部留保は商法上は株主のものですが、実体は関係者一同のものなのでした。まさかのときに備えての「積立貯金」というのが日本型企業の実体で、それを預かっているのが飯田さんなのでした。新入りの中内さんに預金を自由に引き下ろされてはたまりません。
 それから「最大の利害関係者」は社員でした。社員たちは自分の生活はもちろん、信用も名誉も喜びも悲しみも“高島屋”に預けている人たちでした。それは中内さんが投じた買い占め金の多少よりよほど尊いものだと国民は考えていたのです。
 この気持ちが崩されたのがこの一〇年間で、「市場原理導入」「競争讃美」「資本の論理」「グローバル・スタンダード」「民営化」等々のスローガンが乱舞しました。
 ハゲタカファンドにエサを提供するようなことを政府はしていますが、経済新聞は何も言いません。中内さんは悪くて外国人なら良いとは不思議な新聞と学者です。
 だが、それにも限度がありました。日本型経営への回帰と再出発が見られるようになりました。
 日本では、この一〇年間、突然日本式からアメリカ式に乗りかえた。そのとき日本の根本が変わっていないのなら、それはそうなるはずです。
 ただし、すでに外資に売られてしまった会社の関係者一同は、内部留保を取られてかわいそうでした。内部留保はもうゼロだったのだ(=債務超過)と外資は主張し、日本政府はそのお先棒を担いでいます。不良債権の査定がそれですが、金融庁が権力で査定するとは“市場原理”ではありませんね。学者はいったい何をしているのでしょうか。







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