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第93回 日本型終身雇用が復活する
PART3
(二〇〇四年三月十八日)
ウグイスから連想したこと
 おはようございます。二、三日前、私の家の庭でウグイスが鳴きまして、春になったなあと感じました。瞬間にいろいろなことを思うわけですが、小学校のとき「庭の小枝でウグイスが 春が来たよと歌います ホーホーホケキョ ホーホケキョ」という歌がありました。皆さん、知っていますか? ああ、これだなと思いました。
 その次に、教科書では、「ウグイスが鳴きました。『もう春ですよ。マサオさん、起きなさい』と、お姉様が言いました」というのがあった。ありましたよね? えっ、なかった? じゃあ、あれは北海道の副読本だったのかもしれない。そのころ北海道にいましたから。それを読んだとき私は妹が二人いるのですが、姉がいない。だから、お姉さんがある人はいいな、それからマサオさんなんて、普通の名前のほうがよかったな、などと思ったことを思い出しました。
 そんなことばかりではなく、もっと難しいことも思いました(笑)。ウグイスが一羽鳴いた。経済企画庁、今は内閣府ですが、あそこは景気見通しを一生懸命やっています。今やっているのは十〜十二月の統計が出たという話です。十〜十二月の統計が出てみたら、大変よかった。「これは景気が回復したのではないか」と言うと、周りは寄ってたかって、まだわからないと言うのです。一〜三月の統計が出たらまた落ち込んでいるかもわからない、と、そんなことを言っている。
 ウグイスが一羽鳴いたぐらいでは、まだ春が来たとは言えない、たくさん鳴かなければだめだと言うが、たくさん鳴いたときは、もう誰が見てもわかりますから、そんなものは景気見通しでも何でもないんです(笑)。
 ともかくあそこは年中、次の統計を見るまではわからないと言っている。そんなことを言わないで、今この日本で生きているのだから、三月の統計が明るいか暗いか自分で町中を歩いて感じてみればいい。統計になる前に感じられないのか。観測して歩けばいいではないか。それなのに自分は働かない。ただ上に乗る。システムをつくって、予算をとって統計をつくって、それから議論するから遅くなるんです。
 だから、経済企画庁は無くなってしまいました。五〇五人いた人は、リストラされて三〇〇人ぐらいしか残っていない。景気見通しとか計画づくりは、もう結構だとなってしまった。そんなことも、ちょっと思いました。
 
 そこで大きな話題は、失業率が五%を切ってきた、それから求人数も増えてきた。これは十二月までの話です。雇用条件はよくなってきた。それを反映して、春闘も満額回答だと今日のテレビでやっています。気前よく払う会社が出てきた。もっとも要求がずいぶんつつましやかになっています(笑)。昔みたいに、ふっかける組合はない。ウグイスからここまで考えるのは、いかに私がまじめな人間か、いつも日本経済を考えているかがわかります(笑)。
 失業者は英語で「unemployed」と言います。統計ではそういうことになっているのですが、英語で言う「unemployed」と、日本で言う「失業者」とは同じものですか? ということも考えていただきたい。それを考えずに、増えた減ったと言っている。それから日本では、ホームレスがいるが、これは英語で言う「ホームレス」とは、全然中身が違っている。
 たとえば日本のホームレスに聞くと、「私は失業者ではありません」と言う。「働く気がないから会社に行かないだけで、単にこうやって暮らしている。それから私はこじき(beggar)ではありません。通行人にお恵みを頼んではいません。実は、年金もあるんです。郵便局へ行けばもらえる。実はホームもある。ただ女房がいて、怖いから帰らないだけです」と言う。
 一体これは何なのか? ホームはある、収入もある、仕事はないから、ジョブレスと言えばいいが、英語のジョブレスとはまた全然違う。だから、外国人に説明するなら、「ファミリーレス」と言ったほうがいい。ホームはあり、インカムもあります。ファミリーがレスだけれども、それは怖いから逃げているだけで(笑)、ないわけでもない。
 そういう特殊日本現象を、統計にしたり、英語にしたりして、それで国際比較をして「不景気だ」とか「ジョブレスの人がこれだけいる」と言うのが正しいかどうかです。統計で言えばそうでしょうが、日本のジョブレスの人は、いま日本で一番ウグイスを楽しんでいる人ですよ。サクラの花のつぼみが出てきたなと、見回して楽しんでいる人たちです。だから、あれは失業者と言うべきではなく、「風流人」という日本語を使うべきであると思います。
 その点私たちはかわいそうなものですよ(笑)。サクラのつぼみは一瞬見回すだけで、あくせく会社へ行かなければいけない。風流人でない生活をまだやっている一番気の毒な人間です。
 ホームレスと簡単に言いますが、原因や状況からもう少し考えていくと、日本ならではの話があって、要するに意欲がないということでしょう。ウィル(Will)がない、ウィルレスの人たち。しかし、これは日本語で言えば風流人になるのです。アメリカでは、そんな人たちはしようがない存在かもしれないが、日本ではそうとは簡単に言えない。だから「風流に生きている」という日本語を使うべきではないか、とウグイスを聞きながら一瞬のうちにこれだけたくさん考えた。
 
 ここで話すときは、順番にこうやって並べていますが、気持ちとしては一瞬です。ここが人間の思考の不思議なところです。
 あるいは、ついでにこういうことも考えたのです。中国の宋の詩人、戴益の「春を探るの詩」の一節ですけれども、「盡日(じんじつ)春を尋ねて春を見ず」。二月ごろ、散歩に行って、もう春は来ていないかと一日中歩き回ったけれども、春はどこにも来ていなかった、まだ冬枯れの寂しい散歩であった。「帰来試みに梅梢をとってみれば春は枝頭にあって既に十分」。ところが家に帰って梅の木の先をちょっと取ってみたら、つぼみがもうあった。冬枯れの中にも、つぼみがもうあった。春は既に梅の枝の先にあって、既に十分である、もうじき咲くぞになっていた、という漢詩がある。
 こういうのを思い出すと、これを教えてくれた中学二年のときの漢文の先生が、つばを飛ばして教室を歩いていた(笑)。その声が耳に聞こえるんです。「春は枝頭にあって既に十分」なんて、こっちはばかばかしいと思って聞いていた。もっと役に立つことを教えてくれと思っていたんですが、役に立つことはみんな忘れてしまって、こういうことばかりを覚えている。
 こんなことを一度にいろいろ思い出して、今、ここでつけ加えて言えば、モーツアルトという人はたくさん交響楽を書きましたが、頼むとすぐ四、五日で書いてくれたという。それで、人が「あなたは天才ですね。交響楽なんて一生に何本つくれるかというものを、あなたは四、五日で書いてしまう」と言ったら、「いや、それは注文をもらった瞬間、頭の中に全部できるんです」と答えた。たとえば私の娘がいよいよ結婚するから、何かつくってくれと言われた瞬間、あのお嬢さんがもう結婚するのか、おめでたいなと思った瞬間、全部できている。それをいちいち楽譜に第一楽章、第二楽章と音符を書くのが大変なのであって、作品自体は瞬間にできるものですよとモーツアルトが答えて、それをさすが天才だと本に書いてあるが、普通の人だってそういうことはあるのです。
 むしろ、それが人間の頭の構造だと思います。
 洞察力というのは、実は誰にでもあるものだと思っています。
 それを、頭の働きから科学的に分析して、「不思議だ」と長い間言ってきたが、最近は医学の進歩がすごいですから、特に脳に関してはそうですから、脳神経細胞のこれがポイントだというのがわかってきた。脳の働きは側頭葉とか連合野とかの部位論を越えて、細胞のところまで分解して言うようになってきたから、あまり神秘的でなくなってきました。それは少し寂しいですね(笑)。
 そんなことを思い出して、家を出て、ここへ来ました。雑談が長くなりましたが、記憶に残るのは往々にして雑談のほうだから、今日は中身が濃いのです(笑)。
 
 さて、お手元の資料です。人を雇って、働いてもらう。代わりにあげるものは、もともと賃金だけではないのです。名誉心とか、働く喜びとか、仲間がいる楽しさとか、いろいろなものがある。それが上手くはまると、向こうもまた全能力を発揮して働いてくれます。人間はもともとそういうものです。褒めてあげる、というのもあるし、「奥さんは病気だそうだが大丈夫か」と聞いてあげるのもある。老後のつき合いもあるし、いろいろなことがあって、それがツボにはまると働いてくれる。働いてあげようと意欲的になってくれる。
 というのが雇用関係の根本なのですが、アメリカだけはそうでなかった。
 次から次へと移民がやってきて、気心は知れない。どんどん西部へ動いていきますから、末長くつき合うことはない。まずはそういう前提です。しかも、人間的につき合うなどは例外である。時々しかない。一応こういう建前になる。
 これは建前です。実際はアメリカでも人間関係は大切であって、おやじさんが気に入ったから死ぬまでここで働かせろということはある。しかし一応、人間は動き回る、その場限りのつき合いだという建前でやっている。
 となると、そんなに難しいことは頼めない、複雑なことは頼めない。頼むときは特別な給料を払う。専門職手当や管理職手当です。その管理職もまた勤務評定して、一年きざみで雇う。
 面白いですよ。私のいた長銀がアメリカに支店を出しました。すると、まだ三十いくつぐらいの男がロサンゼルス支店とかニューヨーク支店に行きまして、何とかの係になります。日本で言えばただの係長ですが、アメリカではそれがボスなんです。その部門を完全に任される。部門の仕事を片づけるのに、男性二人、女性一人必要だ、と判断するのも彼の責任です。必要な人間を見つけてきて、雇って、給料を決めて、一年間やらせるのも彼の責任です。
 日本にいれば、まだひょろひょろした行員です。もしも国内支店にいて係長といったら、前後左右上下を囲まれていますから、ほとんど自分で決めなくても済みます。「前からこうなっているから、こんなものですよね」と、のらくらしていても務まる。
 それがたとえばロサンゼルス支店に行って係長になると、テキパキやらざるを得ないが、そうなればやるのです。「へえ、きみがね」ということになるのですが、彼の体験した話を聞いていると、働いている女性が賃金を上げてくれと言ってくる。どういう理由かと聞いたら、去年三〇〇ドルで契約したけれども、この一年間に私はずいぶん日本語を覚えた。東京からの電話をぱっととって、山田と言えばあの山田部長さんである、この電話をつなぐのはこちらの木下さんであるとか、社内事情に詳しくなりました。だから、私は役に立っているはずですから五〇ドル上げてください、という説明をきちんとするという。
 「そのくらいなんだ」と昇給をはねていると、「私は住友銀行のロサンゼルス支店からも引き抜かれています。あちらへ行けば三八〇ドルくれると言っていますが、あなたが好きだから三五〇ドルで、このままここで働きたいんです」と言う。うそをつけ、住友の人に会ったら聞いてみようかと思いますが、まあそれは言わない。
 「三三〇ドルどまりである」と突っぱねたとしましょう。こちらも全体のコストを上から厳しく管理されていますからね(笑)。しかしケチると、彼女は意地があって辞めてしまう。それで、住友銀行にほんとうに行く場合もある。もっともほんとうに三八〇ドル払っているはずはない。多分、三三〇ドルしかもらっていないはずだと想像するが、ともかく彼女は辞めて他の銀行へ行ってしまった。
 ところが、時々ふらっと遊びに来るというのです。誕生日か何かを覚えていて、ちょっとプレゼントをくれる。クリスマスごろになるとまたやってきて、住友銀行よりこっちのほうがいいから、戻ってきてあげるから三五〇ドルはどう? となかなか手が込んでいるそうです。
 それをお相手するのにくたびれると言っていました。
 つまり言いたいことは、日本とは違った「管理コスト」があるということです。







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