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日本の会社は三段重ねの横社会
 だから、部長級がものすごく強い。実際は部長が会社を全部運営している。四十歳代の世代ですね。それが四十より若い社員を鍛えている。
 このグループが非常に強い仲間意識で団結してやっているから、日本の会社はバイタリティがあった。カンパニー・ロイヤルティではなくて「世代ロイヤルティ」。自分たちは仲間。上は仲間ではない。ご苦労さま、ありがとうと感謝はするが、それだけです。それからもっと若い世代には、将来の幸せを祈って親切にしてあげる。訓練してあげる。しっかり団結しなさい。そしてあとは自己責任。
 だから正確に言えば三段階なのですね、日本の会社は。
 日本は横社会なのです。それを日本は縦社会だと書いた東大教授がいるので、不思議に思って読んでみると東大しか実例が出てこない(笑)。東大の中が縦社会なのであって、日本の話ではない。「東大は縦社会」という題名にすべきだったのですが、それを「日本は縦社会」と書いたから、外国人は大喜びして「なるほど」と引用する。向こうの先入観に当てはまっていますからね。日本の学者やマスコミも会社勤務を知らないから便乗する。日本人は野蛮人で、上から下まで命令一下、独裁者がいて下は奴隷のような、知能が足りないのばかりいるんだろうという先入観を持っているので、「日本は縦社会? さもあらん」と鵜呑みにするが、冗談ではありません。私は著者に満座の中で“貴女は間違っている”と言ったことがある。反論はありませんでした。日本の会社は三段重ねの横社会であって、上からの要求は正しければ通すが、理不尽なものは跳ねつける。
 そういうことが成立するには、部長連中が世代の団結をして、上にゴマをすらない。上の命令に従っていたら会社は滅びる。やるべきことは我々でやる、と、しょっちゅう飲み屋で会議をしている(笑)。ノミュニケーションというのがすごいわけです。それから下の若いほうも、「ご恩になりました。教えていただきました。必ず恩返しをいたします」と、つまり協業の貸借関係が、言わず語らずのうちにできていたのが日本の強みであった。
 それが形にあらわれてくると、「終身雇用」「年功序列賃金」「企業別労働組合」になった。会社の利益は自分たちだけでプールして持っているから、よそ者を入れない。若い頃はただ働きだから、大きくなったら山分け。すると終身雇用で会社にいなければ損である。途中で抜けたら損してしまう。「わたしは会社を太らせた。会社に貸しがある。それをもらわなければ途中で辞めるわけにはいかん」というのが忠誠心と退職金と天下りなのです。
 それから、社内研修というのが外国人は不思議でしようがない。「研修した本人はサンキューと言って、他の会社に行ってしまうじゃないか?」と。それは向こうでは当たり前。ところが日本では、本人はサヨナラと言わないで会社にいる。実力がついた人は、だからといって「実力賃金をくれ」と言わない。自分をアメリカにやってくれたのは、会社である。この実力は会社のおかげでついた実力だから、会社へお返しするのであって、実力に見合った賃金をよこせとか、他から引き抜きがあるとかでは動きませんでした。
 ところがだんだんこれが崩れてきた。IT革命論で威張った人たちがそうですが、会社のお金で留学に出してもらったのに、帰ってきたらさっさとどこへでも移ってしまう。会社を踏みつけにする人がグローバル・スタンダードを説いている。
 なるほど、それがグローバル・スタンダードだということは認めます。ただし、日本では嫌われます。仲間の結成とか、協業を見なくては日本は見えません。言いたいのはそういうことです。
 それからもう一つ、日本経済の強みが「協業の精神」にあるとアメリカは見破っていました。そこでワシントンでの彼らの話題は「日本の協業精神を破壊する方法」と「アメリカ人も協業するようになる方法」の二つでした。
 
 さて、日本も一応は近代資本主義で、商法という法律は外国と同じに書いてありますが、その法律どおりにやると、これまで言った実態と合いません。法律どおりにやれば「株主権」があるはずだが、すると社員は「冗談言うな。三分の一しか出資していない株主に発言権はない。会社は誰のものか」となる。
 最近はアメリカ帰りの弁護士や何かが活躍して、「会社は株主のものである。社長は株主のために働くのである。内部留保は全部株主のものである。退職金は慣行であるが、ほんとうは退職金なんかやる必要はない」と主張する。
 となると、社員は「それじゃあ、毎月毎月、自分の働いた分だけください。いつ会社をサヨナラしても損しないように、毎月決済にしてください」と言う。これがパートタイマーとかフリーターとか契約社員になる。日本中に増えました。これはこれですっきりしていていいのです。なぜかと言うと、最後の山分けシステムは会社をみんなで食い物にして、株主のほうへ行かないようにするシステムでした。社員で先にみんなで使ってしまう。「会社は、黒字と赤字のスレスレにしておけ」というのが、日本の大企業だった。ほんとうですよ(笑)。
 だから、株の配当なんかは誰もあてにしていない。「株主空洞化技術」が、世界最高に発達していた。すごいものですよ。たとえば株の持ち合いですが、それをアメリカの策略に乗せられて悪いことだと考えて両方で一斉に売るのだから、株価がこんなに下がってしまった(笑)。アメリカに反論できる学者や官僚がいなかった。「日本は人本主義で資本主義ではない。アメリカこそこれを見習え」と言ってほしかった。
 そういう議論のとき「生え抜き」は重要なキーワードになると思います。アメリカの経営学に「生え抜きの研究」はないから、アメリカ帰りの学者はそれを知らないが、日本人大衆は「生え抜き」の重要さを知っています。これを忘れるとアメリカに旨い汁を吸われることになります。
追記 アメリカ資本は日本企業を買収しようと虎視眈々で、政府から政府へ強い圧力を毎年かけ続けている。「日本政府への米国政府の年次改革要望書」がそれで、これについては関岡英之氏による「そんなバカな! ここまで進んでいるアメリカの日本改造」(『正論』二〇〇四年十月号)が詳しい。
 どうしてそんなに日本企業を買いたいかというと、それは大きな内部留保があるからです。そのためには「生え抜き社員」を放逐する必要がある。そこで考案されたあの手この手があって、それを正当化する理論も作られた。その理論を無批判に礼賛し広げたのが日経新聞でした。日本の景気回復に必要な「構造改革」の第一歩は、こういう学者と言論人の再洗脳で、そのキーワードは「生え抜き」の再評価です。
 
 ところでこの内部留保の山分けに参加してうまい汁を吸おうと思うと、日頃のつき合いが大切です。だから、日本の会社員は「つき合いだ、つき合いだ」となる。つき合っておけば、いつかいいことがある。顔を出していないと疎外される。そういうところが不透明と言えば不透明です。
 真の配分者は「仲間全体の評判」ですが、それを上手に塩梅してくれる人格円満な人を社長に残すのが日本型経営のミソです。
 「日本の会社における社長とは何ぞや」といったら、プール計算の配分者です。公平妥当な配分者。だから、同期生の中でひとりが社長に残ると、残りは「あいつなら、まあ安心だ」と言って、会社を辞めていく。
 そのさじ加減は何か。退職金だけではないですね。子会社への天下りもあります。まだ他にもいっぱいあるのであって、たとえば「販売代理店をやりたいから、その権利をくれないか」というのもあります。もっと面白いのは、「息子を採用してくれ」「娘を採用してくれ。それも、なるべくお嫁に行きやすいように、秘書室か何かに入れてくれ」と言って同輩や先輩が来る。そのとき、社長はどうすると思います?
 社長は、この人は会社に足し算をした人か、まあトントンの人か、ぶら下がっていたダメ社員かということを掌をさすようによく知っていまして、人事部長のところに行って、「きみもよく知っている山田さん。そのお嬢さんが、今度大学を出るそうだ」。そこで一言付け加えます「ぜひ採りなさい」。あるいは「本人がよかったら採りなさい」。あるいは、「試験を受けさせて、そのあと山田さんにはちょっと挨拶しときなさい」とか(笑)。
 これが老後の処遇なのですね。その人物が何十年間、どの程度働いたかというのが、そこへ出る。ひどいお嬢さんでも「採りなさい」というのがある。すると、人事部長は文句を言うが、社長は「いろいろあってね」と言う。それで周囲も事情を察する。
 というあたりで、きちんと経済計算が合っていた。それはそうですよ。合っていなければ、日本全体がこんなに豊かになるはずがない(笑)。ただ、途中の不透明が多くて、そこをわかるようにしなくてはいけないという問題はある。しかし、わからない方がかえってよいという世界もある。それが「塩梅」という日本語の世界です。それは、大企業になってはいけないという意味です。中小企業なら、細かな事情がよくわかる。そこで大企業は分社化せよになった。小さい会社に分けてしまえば、今までどおりに仲間で暮らせるだろう。それで分社化がひとしきりはやりましたね。
 アメリカは策略成功、圧力成功と喜んでいます。電電公社をNTTにせよ、郵貯を廃止せよ等々ですが、しかしそれは日本にとっても成功でした。この辺はまたいつか話しましょう。
 アメリカが日本の大企業、大組織、大銀行を目の敵にしたのは日本弱体化が目的だったとすれば、それは短期的には成功しても、長期的には的はずれで、長期的には日本はかえって強くなるだろうと思っています。それは二種類の会社を持つ国になるからです。
 
 さて、一九三〇年代から日本はふたたび戦争へと向かって行きます。そのとき日本国家にとって一番大事なことは生産増強です。利益増強ではないことに注意してください。三井、三菱、住友という当時の財閥にとっては、利益が大切でした。古くからの株主もいました。
 しかし陸軍・海軍がつくった工場は、生産増強が第一で赤字でもいい。「赤字は後で何とかしてやるぞ」であって、どうすれば生産増強するか。もちろん新鋭機械を据えつければいいが、足りないときはどうするか。それは人間が頑張るしかない。しかし戦争中のこういう場合、いずれ山分けとは言えません。戦争が二〇年も続くわけではありません。
 そこで今まではブルーカラーだった人を、ホワイトカラー扱いにした。すると、これがものすごくよく効いた。日本人は名誉心が強い。なんで名誉心が強いかというと、やっぱり知性が高かったのでしょう。あるいは、ここで武士の伝統が活きてきたのかもしれません。その分析は長くなるので機会を改めますが、とにかく田舎の隅々にまで、日本人は名誉心が強かった。
 三井、三菱、住友の現場へ行くと、イギリス式で、職員と工員、ホワイトカラーとブルーカラーは判然と分かれていました。まだその下に日雇いとか、ボーイとかの名称がいろいろあって、賃金体系がいろいろ違っていて、下はひどい扱いです。ブルーカラーは食堂も別、服も別、出入り口も別。
 特にひどいのは出口です。身体検査をするのです。なぜだと思いますか? 工場の中のものを持ち出して泥棒してはいけないからです。それで身体検査をする。昔の日本人は和服を着ていましたから、ふんどしのひもで物をつるして帰る方法があった。実際の例を言えば、出口のところに、一メートルぐらいの段があるのです。そこを飛び降りなければいけない。それを下から見上げる係がいた。
 というぐらい信用されていなかった。事実、泥棒する人がいた。泥棒がいたという証拠のおもしろい話を紹介すると、坂井三郎という有名なゼロ戦パイロットがこんな話を書いています。
 彼は最初は戦艦の砲員だった。砲員になったと話すと、親切な人が呉の町をかけ巡ってある重要部品を一つもってきて渡してくれた。「これはよくなくなる部品で、これを紛失すると死ぬほどナグられるから、しっかりもっていろよ」。呉の町の人は海軍のことなら何でも知っていて、軍艦を建造したり修繕したりするとき、大事な部品はこっそり泥棒してもっていたらしい。
 つまり、海軍の最高機密造船所でも泥棒は防げなかったことがわかる。これは高級な泥棒の話だが、他に金目のものを盗む身近な話ならたくさんあったでしょう。日本中が貧乏だったのだから仕方がありませんが、イギリス式に人を扱うと、扱われた人はイギリス人並みになるということでもありました。犯罪は民度によって違います。
 そういう時代でしたが、戦時下の軍需工場ではそうした身分的な差をつけるのをやめた。「みんな天皇陛下のために命をかけて働いている兵隊さんと同じだ」と言った。「諸君もあしたから兵隊に行くかもしれない。みんな兵隊だ」と言った。そのときの兵隊は、官吏という意味です。役人ですから、給料もきちんと給料表に従って決める。さじ加減のデタラメではない。食堂も一緒、服も一緒、全部一緒です。ということにしたら、感激してものすごく働いた。
 しかし、こういう感激は長続きしないもので、しばらくすると「それは当然だ」と言ってまた怠けるようになるんです(笑)。
 ということを経て、だんだん社会主義の日本になっていくが、それはまた次の回で話しましょう。社会主義の良い面は戦争中に、悪い面は戦後に出てきました。







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