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三種の神器は戦争中に大量発生
 話が大きくそれましたから(笑)、元へ戻りましょう。「日本型雇用関係」と言われるものを学者の議論で言うと、これには三種の神器がある。「終身雇用」「年功序列賃金」「企業別労働組合」です。
 この三つだと言うが、しかし、みんなこれしか議論しないのはおかしい。たとえば「社内研修」や「出向」がある。「生え抜き」というのもある。「何でもっと広く考えないんだ」と言いたいのですが、前回も少し触れたように、この三種の神器は日本にとっては戦争中に大量発生した現象です。ですから、日本人みずからがびっくりした。戦争体制として日本中が終身雇用になり、年功序列賃金になった。
 それから、一九二〇年代に日本に労働組合運動が入ってきたときは産業別組合だった。それを戦争中に、無理やり企業別組合にされた経緯は前回触れました。そのとき言わなかったことを付け加えれば、戦争中、労働問題の学者が急に日本に出てきた。それまでは労働問題を考える人は「ソ連の回し者だ。スターリンのスパイだ。家を捜せば、マルクス・レーニンの本が出てくる。逮捕して牢屋へ入れてしまえ」という時代ですから、労働関係の学者は、もしもいたとすればそれは政府の傘の下にいた。そのとき政府の要求は、どうやって労働者をもっと働かすかです。「働く」という意味は、「軍事物資をつくれ」です。だから大体は重工業で、わかりやすく表現すれば「工場で働くとき、日本国民はどう言ってやればよく働くか」という話です。それを国家総動員体制とか総力戦体制とか、いろいろなスローガンに言い換えて研究した。
 そういう人たちが生き残って、戦後、今度はマルクス主義が堂々と言えるようになりました。そういう人たちは、昔は日本陸軍のために研究をし、戦後はGHQやアメリカ様のために研究し、それから労働組合や自分のために研究した。もうじきソ連軍が南下して攻めてきて、日本中が共産主義で真っ赤になる。アメリカ軍は逃げて帰る。そのとき、自分がまた浮かび上がれるように、両方に保険をかけておけ・・・と考えたかどうかは知りませんが、どちらにしろ「日本は悪い」と言っていれば、アメリカにもソ連にも気に入られるであろう(笑)。自分は国際派で賢そうに見える、とまあそういう人たちです。そうでない人たちもいるのですけれど、その人たちは、そもそもそういう研究をしないし、発表しないし、発表しても載せてくれる雑誌がない。だから世間に伝わらないのでした。
 そのような背景で、「日本型雇用関係」の特徴はこの三つだと、そういう人たちが言った・・・というより、それしか言わなかった人たちが学校に残り、マスコミに売り込んで有名になったのです。私の体験から言えば、戦後大学院に行ったり助教授になったりする人は、極端な運動家が少しいて、残りはむしろ意欲に乏しい人たちでした。たいていの男は会社員となって働く。当時は大学へ入って教授の後を継ごうというのは、一生貧乏覚悟です。そしてポストをもらうには、上の先生に気に入られなければいけない。今はしばしやむを得ない・・・という「しばし」が、いつの間にか定年まで続いてしまうような人が多かった。当り障りのある話ですみません(笑)。
 彼らは、日頃の恨みも交えてかは知りませんが、日本を悪く言った。「この三種の神器があるから日本は駄目な国である。これを直さなければ、アメリカには追いつけない」という結論になっていた。
 そこに上智大学のアベグレン教授が現れて、という話は前回しました。そのとき言わなかったことを付け足せば、この人も意見が変わる人で、もともとは日本経済が弱いときは「三種の神器が悪い」と言っていたのです。ところが、奇跡の日本経済の成功が出現して、日本はアメリカに負けない。むしろ勝つ。なぜ勝つかというときに、「これがいいからだ」と言い出した。
 アメリカでも日本でも社会科学の学問は、結果にくっついて歩く。良いときは良いと言い、悪いときは悪いと言う。テレビのスポーツ評論家と一緒です。ホームランを打ってから、「あれは、腰のタメがいい」などと言っている。打ってから言うのなら、こんなラクな話はない。専門家なら「この打席で彼はホームランを打つでしょう。なぜなら腰のタメがいい」と言ってほしいのです(笑)。
 
 さて、アベグレン教授の話を聞いて、日本の進歩的な学者はアッと驚き、やがて同調します。アメリカでも日本研究がものすごく進みました。
 その頃のことをよく覚えているのは、こんなことがあったからです。私は自分が就職したこともあって、なんで日本の会社は強いのだろうとぽつぽつ本を読んでいた。幸い家には戦前の本がたくさんありました。それから戦後たくさん出た本も買いました。
 本を読みながらそれに自分の経験を重ね、それを全部まとめて書くと次のようになるのです。
 「日本は、資本主義という名前はあるが、実際は『人本主義』である。人間本位である。資本なんかないのに無理やり工業化をしたのであって、日本は資本なき工業化である。すると低賃金長時間労働で我慢して働くしかない」。後進国は「それは嫌だ」と言うから、発展しない。かわりに「援助をくれ」と言う。
 ところが、日本人は嫌だと言わなかった。低賃金長時間労働をやると決心した。「資本は自分の手でつくる」と考えた。だから日本の会社が資本主義らしくなるのは、設立してから二〇年後三〇年後なのです。最初はやくざの集団と同じ・・・と言うと表現が悪いかもしれませんが、要するに人間が集まっているだけです。だって、そもそも資本家はいないのですから。
 そういうときに、「それでもやろう」と五、六人で集まって、ともかく何か仕事を始めるのが日本の会社。そこで当時の資本主義の特徴を言えば、株式会社と名前はついているが、資本は誰も払い込んでいない。でも、形だけそうなっている。
 というのは商法の特例がありまして、「払い込み資本三分の一をもって成立を認める」というのがある。資本金一〇〇万円と言うけれど、その横には括弧して(払い込み済み三三万四〇〇〇円)と書いてある。資本金幾ら、払い込み済み幾らと「二行立て」で書いてある。
 実際の払い込みは三分の一しかなかったというような状態で、それを出した人が資本家ですが、それではあまり発言権がない。残りは銀行に借りに行きます。これが今アメリカから「日本はおかしい」と言われるのですが、別にインチキをしたのではなく、歴史的な事情があるのです。それを知らない人が日本人でも増えてきて、アメリカに言われると一緒に日本を批判する無知には困ったものですが、それはともかく残りは銀行借り入れで、なんとか機械を買って据えつけて、借金は返済しなければいけない。だから賃金は遠慮して、長時間残業した。
 そして、銀行借り入れをどんどん返し終わると、その機械は誰のものですか? 会社の帳面では資本家のものになる。しかし、それはみんなが承知しませんね。もらうべき賃金をもらっていないのですから。だから「この機械、設備はみんなのものだ、会社のものではあるが、それは株主のものではない」となる。ボスもそれをわかっている。
 「会社はみんなのものだ」というのが日本の雇用関係の根本です。
 
 一番最初の話に戻せば、そこが協業の原理なのです。
 日本は協業の原理がすごい。それは資本がなかったからです。だからコミュニティ、つまり共同体でやっていくしかない。だから日本には資本はないが、相互信頼がたっぷりあった。その上での会社経営なのです。
 「日本型経営学」というのは、そこを言わなければいけない。
 そういうことをまったくわからずして、英語を翻訳して「成果主義はいい」とか「実力主義はいい」とか、「日本のサラリーマンは低賃金で酷使されて奴隷状態であった」とか、「日本の資本家は悪らつであった」とか、言いたい放題書きたい放題の人がいるのはたいへん困ったことです。言葉から言葉へ跳んでいるだけです。
 実情はどうかというと、「会社は我々のものだ」という背景がある。だから第一期生、二期生、三期生というのが威張っている。後輩はあまり威張れない。
 会社をつくった人たちが、やがて銀行借金を返済し終わったら、「さあ、賃金をたくさんくれ。なんなら会社の内部留保はゼロになるまでもらって辞める権利がある」となる。これは老後の処遇がべらぼうに手厚いとも言えるし、後払い賃金だとも言えるわけです。その後払い賃金を三〇年待てる人が終身雇用を承知します。もちろん日本人なら誰でも待てるというものじゃないですよ。待てる人と待てない人と二種類いる。待てない人は、さっさと会社を辞めてどこかへ行ってしまった。待てる人だけ残った。だから残っているのは、見た目は会社と呼ばれるが、その本質は中心人物と周りの人との相互信頼社会ですね。
 同じことでも、名前のつけ方はいろいろあるのです。ワシントンにいるとき、「日本人は不思議な民族だ。賃金に差がないのに全力投球するとはなぜか?」とよく聞かれたので、「いや、差はある。ただしそれは後払いで、老後にものすごい差がつく。それをわかっているから、みんな頑張って働く」と答えました。すると納得してくれる。
 あるいは、こう答えてあげるとアメリカ人はよくわかる。「差はちゃんとありますよ」「では、その差をつけて配分するのは誰なんだ。ボスの社長がするのか?」。当然アメリカ人はそう思いますよね。「そこが違います。仲間全部で顔を見合って分ける」。その後に次のように付け足す。「日本では言わず語らずのうちに、山分けが大変うまく進む。なぜかというと、歴史が長いからもうそれを千年もやっている。アメリカは二三〇年しか歴史がないから、山分けと言うと喧嘩になる」(笑)。
 実際、そういう面があるのです。アメリカは「配分はおれが決める。それでよいな。嫌な者はもっと西へ行け。西のほうには幾らでも土地がある」という形で仲間をつくってきた。だから、人間集団づくりでは初めから中心になるボスというのがある。大統領制というのもその一つです。発明者が利益の何割をとるか―が社内では決められなくて裁判所へ行くのは「法」がボスだからです。
 
 イギリスの場合、ボスになった人は資本を出した人です。金持ちがいたからです。金持ちがあって工業化を始めたから、なるほどイギリスは文字通り「資本主義」でしょう。では、その金がどこから来たかというと、奴隷貿易でもうけたとか、インドへ行ってさんざん略奪してきたとか、そんな話は以前集中的に話したとおりです(編集部注・第15集に収録)。
 ですからマルクスは、「資本というのは血みどろの姿をしてこの世に誕生した。頭のてっぺんからつま先まで、全部インド人の血にまみれている」と表現した。あるいはアフリカの黒人をほんとうに死ぬまで使った。ここに触れるとまた終身雇用の話が進まなくて困るけれど(笑)、・・・アフリカの黒人を連れてきてブラジルで砂糖とかコーヒーをつくらせる。四十五歳ぐらいになってきて働きが悪くなるとサンパウロの丘の上(当時はまだ低い丘だった)へ連れていって体力テストをする。これをかついで走れとやって、不合格は殺してしまう。食わしても無駄になったら殺してしまえというわけです。その死骸が山になって今は丘になっている。白骨の山の上に教会が建っているとは皮肉ですが、サンパウロで地下鉄を掘ったとき、その丘のふもとまでたどり着いたら、掘れども掘れども白骨。さすがに嫌になって、地下鉄はグッと曲がったコースになった。当時の新聞に載りました。
 だから、アメリカの経済学者がコスト・パフォーマンスと言うのを聞くと、「食わせただけ働かない者は殺してしまえ」という意味に聞こえます。コスト・パフォーマンスなんて非人道的なことを平気で言うのは、相手を人間と思っていないからです。
 日本人は相手も同じ仲間だと思っています。コスト・パフォーマンスなんて、そんなものは黒板の上では言えますよ。しかし、実際にどれがコストで、どれがパフォーマンスですか?ということです。そういうことは、言わず語らずのうちにわかるものであって、書き上げたらわかるというものではないでしょう。ところが、アメリカへ留学して帰ってくると、それにカブれてそのとおりを大学で教える人がいる。世の中を知らないからです。理論と数式だけ覚えて帰ってきた。しかし数式になればいいというものではありません。歴史経済学の立場から言えば、サンパウロの丘に立ってコスト・パフォーマンスなどを語れますか?ということです。それがホントの知性というものです。
 その後、さすがにブラジル全体が豊かになりますと、殺さずに奴隷を解放する。しかし「解放」というと言葉は美しいが、解放奴隷はたいてい飢え死にしていく。その中で才能のある人だけが、今で言うベンチャー・ビジネスをつくって新しい仕事をして食べていけるが、まあ決して多い数ではありません。
 もう一つ大事なことは、アフリカから輸入してくる奴隷の値段が、どんどん上がっていく。「新品」の値段が上がれば、「中古品」の値段も上がる。それなら殺さずに使うわけで、ともかく定年延長になった。
 それでもまた枯渇してくる。アフリカでは人口が一億人減ったと言われています。欧米に到着したのは二〇〇〇万人です。統計が残っていますからね。減ってくるから値段が上がってきたわけで、かといって「新品」をもっとと思っても捕らえられなくなる。ブラジルの支配階級は労働力がなくなってきた。
 それで、日本へ「移民をくれ」と言ってきた。日本の外務省は、国際貢献という言葉は当時はないけれども、みんな行けと言った。行ってしまえば後は知っちゃいないという話で、当時から国民を愛する気持ちなんかまったくない(苦笑)。行った人がひどい目に遭うのは当然です。黒人奴隷がいないから、じゃあ日本人でも入れようかという話ですからね。







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