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(7)米国中心主義への牽制
 
 アメリカが進める海洋安全保障イニシアチブへは、多数の国々が原則として賛成してきた。改正SOLASの施行、PSI合同訓練への参加、CSI協定の受け入れに関して、アメリカに対して真正面から反対できる国は少ない。いずれの構想も米国が強引に実現していったものであり、性急さや政策の曖昧さに当惑している国々もあるが、テロ対策という大義名分を否定する国はない。
 しかし、RMSIに対しては、マラッカ海峡と周辺海域に利害をもつ多数の国々が、警戒感を強め、アメリカの行動を牽制しようとしている。アメリカのRMSIが発表された直後、東南アジア地域では2つの異なる反応が見られた。賛成派はシンガポールとタイで、アメリカの海軍プレゼンスを海洋安全保障の前提に置いている国々だ。反対派はマレーシアとインドネシアで、アメリカがマラッカ海峡周辺に洋上基地を作ることで、国家主権が侵害されると警鐘を鳴らす国々である。賛否両論が交差するなかで、時間の経過とともに新たな対応も芽生えてきた。アメリカの一方的な東南アジア関与を牽制するグループの結成である。
 牽制派としては、2つのグループが登場した。第1グループは5カ国防衛協定(FPDA: Five Power Defence Arrangement)を活性化させて、旧英連邦系の存在感を高めようするグループの登場だ。FPDAを構成する5カ国とはイギリス、オーストラリア、ニュージーランド、マレーシア、シンガポールで、アメリカはメンバーではない。FPDAは1971年に、シンガポールとマレーシアを外部の脅威から防衛するために設立されたものである。これまでFPDAは、ほぼ毎年軍事演習を実施してきたが、敵国の戦艦や航空機からの攻撃を想定した訓練を主体としていた。
 しかし2004年9月、マレーシアのティオマン島沖で行われた軍事演習では、従来型の演習に加えて、初の海上テロ対策のための演習も行われた。合同部隊が、武器を違法に積載しているとされる船舶に乗り込み、船舶内を捜索する訓練を行ったのである。5カ国から軍艦31隻、潜水艦2隻、戦闘機60機、3500人以上の兵員が参加し、近年では最大規模の演習となった。こうした動きは、FPDAに新たな意義を与えることで、旧英連邦系の結束を確認し、対米交渉力の強化という政治的意味も包含している。
 第2グループはシンガポール、マレーシア、インドネシアの3カ国である。いずれもマラッカ海峡沿岸国で、同海峡の安全保障のための共同パトロールを推進することで、海峡沿岸国の主体性をアメリカへ見せ付けることに意味がある。特にマレーシアとインドネシアは、アメリカの軍事プレゼンスの増加に対して強く反発しており、両国合同の海上治安組織創設を提唱したり、インド海軍との間で合同パトロールの協議を行ったりするなど、アメリカの動きを強く牽制している。このグループはテロ対策ばかりでなく、同海峡で頻発する海賊問題への対応で、初めて足並みをそろえたことは特筆されてよい。
 以上のように、いずれの国々もテロ対策で対米協調を標榜しつつも、アメリカの軍事力に偏重した問題解決の発想には慎重な姿勢と警戒感を示しており、PSI、CSI、RMSIへの対応にも温度差が見られる。テロや海賊の問題は国境を越えて発生するのであり、問題の解決のためには多国間協力の実現が不可欠である。しかし結果的に、アメリカ主導の海洋安全保障イニシアチブは、この問題に関するアジア域内の多国間協力をかえって難しくしてしまう危険性を持っている。
 
(8)コーストガードの連携・協力が築くアジア海洋安全保障秩序
 
 こうしたなか日本は、自らが比較優位に立つ警察権と司法権の行使によって、アジア諸国の連携・協力体制を実現しようとしている。軍事力万能主義が支配的になりつつあるなか、これまで営々と築き上げてきたアジア諸国との海洋安全保障ネットワークを堅持し、深化させるいまこそ日本にとっての正念場である。
 海賊対策にとってもっとも重要なことは、各国の沿岸警備能力の向上であり、その前提としての海上保安体制の整備である。こうした認識のもと、これまで海上保安庁は、インドや東南アジア諸国と海洋安全保障ネットワークを地道に築いてきた。同庁は、アジア各国に大型巡視船を派遣し、捜査・救難技術の供与のため共同訓練を行っている。また、広島県呉市にある海上保安大学校に留学生を受け入れ、人材育成にも力を入れている。
 このように海上保安庁は、アジア諸国のコーストガードとの連携を緊密化させることで、海洋安全保障ネットワークを構築し、信頼醸成メカニズムを始動させてきたのである。アジアの海上輸送路は日本にとってまさに「生命線」であり、その安全確保が日本を中心とした各国海上警備機関の連携によって実現するならば、それはまさに日本の国益にかなう。
 海上保安庁は、とりわけインドとは連携訓練を毎年実施している。2004年11月にはインド西海岸のムンバイ(ボンベイ)沖で、日本から派遣された巡視船「みずほ」(名古屋海上保安部所属)が、インド・コーストガードの巡視船艇や航空機と連携訓練を行った。海洋安全保障における日本の存在感は想像以上に大きいことを我々は認識しなければならない。同様のことは、東南アジア諸国についても当てはまる。海賊やテロに関する会合や、日本がタイ、マレーシアなどと行ってきた連携訓練を通じて、日本は海洋安全保障の分野で明らかにイニシアチブを発揮している。
 
(9)コーストガード創設をめざすアジア各国
 
 現在、アジア各国における海上保安体制は、そのための独自の組織を保有する国は少なく、海軍や警察などの下部組織として活動しているものが多い。
 日本の海上保安庁によれば、アジア各国における海上保安活動・体制を比較した場合、大きく4つのパターンが観察できる。すなわち、(1)運輸省(国土交通省)のもとにあり、軍事組織からは独立したタイプ(たとえば、日本の海上保安庁やフィリピンのコーストガード)、(2)国防省のもとで、軍の直轄型(たとえば、インドのコーストガードやベトナムの海上警察)、(3)海上警察として、内務省管轄の陸上警察と同列か、陸上警察のもとに置かれる型(たとえば、シンガポール)、(4)海上保安業務が、海軍や警察など複数の省庁にまたがっているタイプ(たとえば、マレーシアやインドネシア)である。
 アジアでは、海上警察で内務省のもとか、もしくは陸上警察のもとにおかれる第3のパターン、もしくは混在型の第4のパターンが多いが、伝統的には海上警備体制が海軍を中心に構築されてきた経緯から、海軍の影響力が強い。逆にいえば、日本の海上保安庁のように、運輸省のもとで独立した組織・官庁としてコーストガードが存在しているのはむしろ例外であるといってよい。
 現在アジア諸国では、沿岸警備は軍事力ではなく、警察機関であるコーストガードの力で行うことをめざす傾向が生まれている。海上における国境紛争や民族・宗教対立を抱える国々は、軍部の直接介入は軍事衝突に発展する恐れがあるため、法に基づき警察機関によって対処されることが望ましい。
 また軍部の腐敗が問題視されているなか、国民の政治に対する信頼を取り戻すためにも、新しい組織の創設を望む機運が高い。海洋安全保障秩序を、軍事力を背景にしたものではなく、法と警察力を根拠にした多国間の協力体制にすることが重要である。
 こうした傾向を示す例として、東南アジア各国の海上警備機関の関係者が集まったアジア海上保安長官級会議(東京、2004年6月)では、採択文書に「海上テロ」という用語を使用せず、「海上不法行為(unlawful acts on the sea)」という文言で文書を統一することを合意した。もちろん会議の現場では「テロ」という言葉は何度も使われていたが、東南アジア各国の関係者が「海上テロ」という表記に抵抗を示したのである。これは、「テロ」という言葉を使うと、軍部の管轄となってしまう恐れがあるため、「海上不法行為」と表記することで、海上保安機関がイニシアチブを握ろうという狙いがある。
 日本の国際貢献という文脈でも、こうした動きは歓迎されるものである。海賊・テロを念頭においた海洋安全保障で、日本が比較優位に立てるのは、軍事力ではなく、警察権と司法権にある。過去の歴史から、日本の軍事力(自衛隊)がアジア地域の安全保障に貢献することに依然として強い抵抗がアジア地域にはある。日本がアジア各国と海洋安全保障の分野で協力関係を構築する場合、カウンターパートして望ましいのは軍事組織ではなく、あくまでも海の警察、すなわちコーストガードである。
 そして警察組織としての海上保安機関となれば、日本をはじめさまざまな国際組織による積極的支援も期待できるようになる。日本から支援する場合、政府開発援助(ODA)や国際協力機構(JICA)による技術協力・援助は軍事組織に対しては不可能であるが、警察組織に対してならば援助・協力は可能である。アメリカ政府もテロ対策の文脈で、インドネシア国軍への支援は見合わせたが、国家警察への支援は実施しており、途上国の警察力を強化させることが、世界的なテロ対策のトレンドでもある。
 さらに重要なことは、コーストガードを通じた国際協力が、アジアの民主化にも資するという点である。一般的に途上国では、国軍が国防と治安の双方で巨大な権限を持ち、国内の利権構造を掌握する傾向がある。陸から海を切り離し、さらに軍事組織から海上保安機関を切り離す意義は、国内の民主化促進という観点からも大きい。
 
(10)コーストガード創設に不可欠な日本の貢献
 
 フィリピンはいまのところ東南アジアで唯一、独自の海上保安組織を持つ国家である。フィリピン・コーストガード(PCG)は、フィリピンにおける唯一の保安機関となっている。1967年の設立当初は、国軍(海軍)のもとに置かれていたが、1998年に国軍から独立し、運輸通信省の外局として位置づけられるようになった。現在のところ、職員数は4000人強で、年間予算は13億7100万ペソ(約25億円、2004年の数値)であった。
 PCGは設立から年数が浅いため、基本的な研修教育カリキュラムの欠如、手薄な講師陣、教育訓練機材の不足など、士官の教育、訓練のための環境が整っていない。そうしたなかで日本のJICAは2002年から5カ年計画で「フィリピン海上保安人材育成プロジェクト」をスタートさせた。海上保安庁からOB一人を含む専門家5人が長期派遣され、若手士官の育成のための協力・支援を行っている。
 同プロジェクトの教育・訓練内容は、国際法や法令執行職員としての心構えについての講義から、捜査機材の使用法、逮捕術・証拠採集術のノウハウにまで至る。2004年12月、総仕上げとしての洋上総合訓練がマニラ湾沖で実施され、日本からは、海上保安庁の巡視船「しきしま」(横浜海上保安部所属)が参加した。PCGには船艇28隻、航空機2機があるが、財政難による燃料不足で実際に運用されているのは6割程度である。このように財政面、装備面では厳しいが、日本の協力によって、PCGを規律とプロ意識を持った組織にすることが同プロジェクトの目標である。
 PCGが独自組織として再スタートを切って以来、同じような傾向がほかのアジア諸国にも波及している。これまでマレーシアの沿岸警備任務は、海軍、首相府国家安全保障局、海上警察、運輸省海事局、税関など11もの省庁にまたがっており、効率的な体制とはいえなかった。
 2004年になり、マレーシアは、コーストガードに当たる「海事執行庁(MMEA)」の設立法を国会で採択した。これによって複雑な海上警備体制が整理され、日本の海上保安庁をモデルとしたアジアで第2番目のコーストガードが2005年3月に誕生する。MMEAは、海軍、海上警察、海事局から人材を募り、800人規模で設立を予定している。沿岸3海里以内が海上警察、12海里から200海里が海軍、3海里から12海里の沿岸域を新設のMMEAが所掌することになる。
 またインドネシアでは、スハルト体制の崩壊後、海上警備を行っていた国軍、海上航空警察、運輸省海運総局の3機関が共に機能不全に陥っていた。しかし、沿岸域での海賊事件の多発、海上テロの脅威に備える必要から、スシロ・バンバン・ユドヨノ新大統領の指導でコーストガードの設立が検討されている。同大統領は、前政権の調整大臣の頃から、コーストガードの新設を構想していたという。
 フィリピン、マレーシア、インドネシアの3か国は、日本の海上保安庁を手本とした海上警備機関を目指している。海上保安庁も各国に海上保安官を派遣し、人材交流とともにノウハウを提供し、日本がリードしてアジアの海上保安協力体制の枠組み作りを推進している。日本の生命線とも呼べるアジアの海上輸送路の安全確保が、日本を中心とした各国海上警備機関の連携によって守られるならば、それは日本の国益にかなうものであり、日本としてもアジア各国のコーストガード創設の流れを積極的に支援すべきである。







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