日本財団 図書館


提言2 軍事力中心ではなく、コーストガードが主導権を発揮する海洋秩序形成をめざせ
解説:アメリカの海洋安全保障イニシアチブとコーストガードが築く海洋安全保障秩序
 
(1)軍事力偏重のアメリカの海洋安全保障イニシアチブ
 
 海の安全保障をめぐる思想と対策は、2001年9月11日の同時多発テロを境にして、劇的に変化した。東西冷戦以降、9・11テロまでのあいだは、海賊や密輸、密航にどう対応するか、に海洋安全保障の主眼が置かれていた。もちろん9・11テロ以後も海賊や密輸、密航などは後を絶たない。しかし、9・11テロ以後はそれに加えて、テロ対策が重大な課題としてのしかかってきたのである。9・11テロは、いうまでもなく、空の安全保障の「盲点」を突いた事件であった。あの、映画の一シーンのような大事件は、現代人の脳裏に焼きついてしまい、消去することはできない。
 だが、将来のテロが同じ方法で繰り返されるとは思えない。テロ組織はむしろ、だれもが気づかないような「盲点」を攻撃する、と想定する必要がある。そもそも、現代のテロ戦とは、正規軍同士の正面衝突では決して勝つことができない、弱い組織が実行するものだ。テロ組織は、アメリカのような唯一の超大国を相手にした場合でも、強烈な一撃を加えることを狙う。そのためには、防御が手薄な弱点をもっとも効果的に攻撃するに違いない。極めて非対称的な戦争である。次の戦場を予測するのは容易ではないが、海洋や港湾が戦場になることを想定しなければならない。海上輸送されるコンテナなどがテロの手段として使用される恐れもあるのだ。
 以下では、9・11テロを受けて、新たに取り組まれている海の安全保障対策、つまり(1)「海上人命安全条約(SOLAS)」の改正、(2)「拡散防止構想(PSI)」、(3)「コンテナ安全保障構想(CSI)」、(4)「地域海洋安全保障構想(RMSI)」などを中心に論述していきたい。
 
(2)海も対テロ戦争の戦場に
 
 対テロ戦争の戦線は、9・11テロを実行したイスラム過激派の武装国際ネットワーク、アル・カイダに対する攻撃にとどまらず、大幅に拡大した。ことの是非の論議は別として、ブッシュ政権が対テロ戦争で、大きく網を広げる戦略をとったからである。
 第一に、ブッシュ大統領は、テロ組織をかくまう国家を「同罪」と断じて、孤立させる、と宣言した1。2002年1月29日ブッシュ大統領の一般教書演説で挙げられた「悪の枢軸」、すなわちイラン、イラク、北朝鮮の3カ国、さらに2005年1月18日、ライス国務長官が上院外交委員会で「圧政の拠点」に挙げた北朝鮮、イランのほか、キューバ、ミャンマー、ベラルーシ、ジンバブエの6カ国が「問題国家」として脚光を浴びることになった。
 第二に、国連安全保障理事会の決議において、テロ組織の資金調達を根絶させるとともに2、すべての国がテロ組織に大量破壊兵器を提供することをやめさせることになった3
 ブッシュ政権の対テロ戦争は、こうした脈絡で、2001年10月7日からのアフガニスタン攻撃(11月13日のタリバン政権崩壊)、2003年3月20日からのイラク戦争(4月9日のフセイン政権崩壊)、と続けて行われた。
 それと同時に、海の安全保障をめぐっても、いくつかの注目すべき、新しい対策がとられはじめた。海ないしは港、港湾施設が対テロ戦争の戦場となり、さらに海上輸送コンテナがテロ組織の攻撃ないしは大量破壊兵器運搬の手段として想定されるに至ったからである。そのうえ、大量破壊兵器の輸送を阻止するためには、海上での国際的な協力ないしは共同行動が必要だとの認識が拡大した。
 事実、アル・カイダは海で繰り返し、激しいテロ攻撃を行った。
 
*2000年10月12日、イエメンのアデン港に停泊中の米海軍イージス戦闘システム搭載の誘導ミサイル駆逐艦「コール」に爆弾を満載したゴムボートが突撃して自爆、大爆発となり、アメリカ兵17人が死亡。
*2002年10月10日、アデン沖で起きたフランス船籍の大型石油タンカーに対する小型船の自爆攻撃で乗組員1人が死亡。
*2004年4月25日、イラク南部バスラ沖で、二つの石油輸出ターミナルにボート3隻が接近、阻止しようとした米海軍艇に対して自爆攻撃し、アメリカ兵3人が死亡。
 
 大量破壊兵器の海上輸送をいかにして阻止するか、も大きな課題として浮上した。9・11テロ以後、その重要性を浮き立たせたハイライトは、
 
*パキスタン「核開発の父」アブドル・カディル・カーン博士(68)が構築した闇の核市場ネットワーク
*北朝鮮の核兵器開発
の二つである。
 
 パキスタン政府がカーン博士のネットワークを公表せざるを得なくなり、リビアが核兵器開発の断念を公表するきっかけになった事件として、2003年10月に起きた「BBCチャーターリング・アンド・ロジスティック社」(ドイツ・ハンブルク)所有の貨物船「BBCチャイナ」号の海上臨検事件がある4。この貨物船がペルシャ湾からリビアに向けて、遠心分離機の部品を輸送している――、との米英情報機関からの情報を得て、ドイツ、イタリア両国の当局が、この船がスエズ運河を通過したところを海上臨検し、イタリアの港に寄港させた。船内を点検したところ、積荷のなかから遠心分離機の部品数千点が発見されたといわれる。
 リビアはカーン博士のネットワークも利用して、ウラン濃縮計画を進め、遠心分離機などの機器を調達していたのである。
 「拡散防止構想(PSI)」を推進してきた米国務省のジョン・ボルトン国務次官(軍備管理・国際安全保障担当)にとって、この事件はまさにモデルケースとなった。ボルトン次官は、PSIが「カダフィ政権が濃縮機材の輸送船の臨検を受けて輸入を阻止され、大量破壊兵器の『完全放棄』を決断させる決定的な要因となった」5とPSIの重要性を強調し、中国など非加盟国にも協力するよう求めた。さらに、北朝鮮に対しても、リビアの例にならって、核兵器開発を放棄するよう要求したのである6
 北朝鮮の核兵器保有宣言については、ここでは触れないが、ブッシュ政権は北朝鮮が核兵器ないしは核兵器への転用が可能な核物質をテロ組織に売り渡すことを懸念している。弾道ミサイルをパキスタンやイランなどに売却した歴史からみても、その可能性は十分あるというのだ。ハワード・ベーカー前駐日アメリカ大使は2005年2月16日、離日を前にした一部記者団との会見で「個人的には北朝鮮が核兵器を持っているということよりも、それを売ることにより大きな懸念を感じる」7と述べている。
 アメリカをはじめとする先進諸国はこれまでは、北朝鮮から中東諸国へのミサイル輸送や先進諸国への麻薬密輸に目を光らせてきた。例えば、
 
*2002年12月9日、イエメン沖ソコトラ島近くで、北朝鮮船「ソ・サン」号がスペイン海軍と米軍爆発物処理チームの臨検を受け、10基から12基の地対地スカッド・ミサイルが発見され、押収された。
*2003年4月20日、オーストラリア・ニューサウスウェールズ州ニューキャッスル沖で、ヘロイン密輸に関与した疑いでツバル船籍の北朝鮮トロール船「ポン・ス」号がオーストラリア連邦警察と税関(customs)の特殊部隊に拿捕された。
 
 後者は、いわば従来型の海洋安全保障対策と位置づけることが可能だろう。しかし、今後は、前者のような9・11テロ以後の21世紀型の新しい脅威、つまり核物質や核関連機器など大量破壊兵器の海上輸送に対して警戒を強める必要が高まってきた、というわけだ。
 カーン博士の闇のネットワークからテロ組織への核技術の流出も懸念されている。博士の名を冠したイスラマバード近郊カフタのカーン研究所に、アル・カイダと関係があるとみられる研究員がいて、アフガニスタンでウサマ・ビンラディンと接触した可能性も度々パキスタンのメディアなどで指摘されているのである。
 しかし、前者と後者では、対策の有効性は大きく異なる。前者について、ブッシュ政権が「鳴り物入り」で大問題として取り上げたものの、結局、ミサイル取引そのものは国際法に違反する行為ではなく、北朝鮮のミサイル運搬船「ソ・サン」号は解放されてイエメンに向かい、積荷のミサイルはイエメンで陸揚げされてイエメン当局に引き渡された。チェイニー副大統領とパウエル国務長官がイエメン指導部と電話で協議し、イエメン側は「ミサイル輸入はこれが最後で、テロリストにも渡さない」との確約を得たという8
 当時の外務省中東アフリカ局長安藤裕康氏は同年12月12日、イエメンのホーシー駐日大使を外務省に呼んで「二度とこういうことのないよう本国に伝えてもらいたい。ミサイルが今後、無責任な第三者に渡ることのないよう強く求める」と抗議した。これに対して、ホーシー大使は「ミサイルがイエメンから第三者に渡ることはない。申し入れの点は確実に本国政府に伝達する」と答えた。
 いずれにしても、今後ミサイル輸出入は関係当事国の自主的判断にゆだねられる。政治的な玉虫色の決着で終わった、といえる結果になった。
 しかし、後者については、結果は全く異なった。ヘロイン密輸に関与した北朝鮮トロール船「ポン・ス」号の乗組員30人はオーストラリア当局に拘束され、取り調べを受けた。そのうち船長ら4人が、受け取り側のアジア系3人とともに本裁判にかけられ、司法の裁きを受けることになった9。18人は北朝鮮に国外追放され、「国家ぐるみの麻薬密輸」という実態は未解明ではあるものの、刑事処罰が加えられることになったのは、特記すべきことだといえる。
 このように、海の安全保障体制を構築するための秩序づくりはなお「発展途上」である。以下に、その現状について各レジーム別に説明したい。
 

1 2001年10月7日、アフガニスタン空爆開始に際してのブッシュ大統領のテレビ演説。
2 2001年9月28日、国連安保理決議1373。
3 2004年4月28日、国連安保理決議1540。
4 Wall Street Journal, December 31, 2003.
5 2004年10月19日、シカゴ外交関係評議会でのボルトン次官演説。
6 2004年7月21日、韓国・延世大学でのボルトン次官演説。
7 『朝日新聞』2005年2月17日。
8 2002年12月11日、フライシャー米大統領報道官記者会見。
9 2004年8月3日、オーストラリアAAP通信報道。







日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION