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提言1 凶悪化する海賊問題を直視し、海上テロを警戒せよ
解説:アジアにおける海賊問題のいま
 
(1)脅威にさらされる「日本の生命線」
 
 アジア海域における海賊事件の凶悪化・多発は、日本に直接的な影響があることはいうまでもない。日本人の生活を支える石油の実に80%が、中東からVLCCと呼ばれる大型石油タンカーに積まれ、アラビア海、インド洋を越え、マラッカ海峡を通過し、南シナ海を経て日本へとやってくる。これは「日本の生命線」と呼ばれるオイル・ルートである。ペルシャ湾のクウェートから横浜まで、およそ6800マイル、約3週間の航海となる。そのあいだ、船はさまざまな危険海域を通航しなければならない。日本の安全保障のためには、アジア全体の海の安全を考えることは不可欠である。凶悪化・多発する海賊問題を直視し、日本として何をすべきか。ここにこそ本報告書の問題意識の原点がある。
 1994年11月に発効した「国連海洋法条約(海洋法に関する国際連合条約)」の第101条によれば、海賊行為とは「私有の船舶又は航空機の乗組員又は旅客が私的目的のために行うすべての不法な暴力行為、抑留又は略奪行為」であり、「公海における他の船舶若しくは航空機又はこれらの内にある人若しくは財産」に対して行われるものである。つまり単純にいえば、海賊行為と呼ぶためには、その行為主体は民間人であり、また行為の現場が公海上でなければならない。
 しかし、実際の海賊事件は、この国連海洋法条約の盲点をつくかたちで多発している。例えば、私有船舶の乗組員だけが船舶を襲撃するとは限らない。ある国家の軍服を着た海賊グループの存在や、税関の船がほかの船舶を襲って略奪を働いたケースなどが報告されている。
 アジアにおけるもっとも重要な海上交通路であるマラッカ海峡は、武装グループによる船舶の襲撃が多発する海域の一つである。しかし、同条約の定義を厳密に適用すれば、ここで発生する襲撃事件は海賊行為ではなく、「武装強盗(armed robbery)」にすぎない。というのは、この海峡は幅が狭く、航路は沿岸国であるインドネシア、マレーシア、シンガポールの領海内に入っているため公海ではないからである。
 実際に海賊行為の多くは、島や入り江が多い沿岸部や、航路幅が狭い海峡地帯で発生しており、国際的な公文書では「海賊および海上武装強盗」という表現を用いて現状に対応している。いずれにせよ、襲撃を受ける船舶にとってみれば、海賊も海上武装強盗も変わりはなく、法律上の解釈の問題にすぎない。ここでは、海上で行われるすべての不法行為を海賊行為として扱う。
 
(2)海賊とテロリスト:新しいタイプの海賊の出現
 
 海賊行為そのものは有史以来続く犯罪である。東アジアでは、13世紀から16世紀頃、日本人の海賊「倭寇」が朝鮮半島、中国の沿岸地域を略奪していた。またヨーロッパでは、北欧において、8世紀後半から11世紀前半にかけて、スカンジナビア半島を拠点にバイキングが活動し、ヨーロッパの大西洋沿岸部各地を襲撃していた。15世紀から17世紀の大航海時代には、領土的野心を持つ国家が私掠船を公認し、敵対する国の船舶を襲い掠奪することを認めていた。
 その典型的な例が、イギリスの海賊ドレイクで、スペインの交易船をたびたび襲撃していた。彼はのちにイギリス艦隊の副提督としてスペインの無敵艦隊を撃破(1588年)している。この功績が認められ、彼はエリザベス一世からナイト(騎士)の称号を授与されている。18世紀に入り新世界アメリカの時代を迎えると、海賊はアメリカ大陸沿岸に巣くった。海の追いはぎと呼ばれ、恐れられたバッカニーアである。カリブ海を根城に、アメリカ大陸とヨーロッパを往来する船を襲っていた。
 このように海賊行為は、数百年間にわたり海洋における深刻な脅威となってきたが、その形態は社会情勢・国際情勢に合わせるように変化している。90年代中ごろから海賊問題が注目されるようになった背景には、「ハイジャック型海賊」と呼ばれる海賊事件が多発したことにある。
 その先駆けともいえるのが、1985年秋に発生したイタリア客船「アキレ・ラウル」号事件であった。同号が地中海を航行中、パレスチナ人らのテロリストグループによって占拠され、アメリカ人乗客一人が殺害された。
 一般に「ハイジャック型海賊」では、航行中の船舶を襲い、乗組員を拘束して別の船に乗り移らせ、積荷ともども船を奪い去る。奪った積荷はブラックマーケットで売却し、船は船名を書き換えられ、偽造船籍証を携えて世界の海を航行する。偽装された船は「ファントム・シップ(幽霊船)」と呼ばれ、主に密輸・密航・詐欺など犯罪に使われる。
 こうした「ハイジャック型海賊」は、国際犯罪シンジケートにより組織されていることが判明している。船を襲撃するグループ、奪った船を襲撃するグループ、奪った船を操船するグループ、略奪品を売却するグループ、遠隔地で各グループの行動を指示する司令塔など役割が細分化され、それぞれのグループは、互いに交流を持たないため情報の共有がなく、事件の捜査を難しくしている。ハイジャック型海賊事件は、複数の国が関係し、国際捜査協力の重要性を社会に知らしめた。
 また1999年10月にマラッカ海峡で起こった「アロンドラ・レインボー」号事件は、「ハイジャック型海賊」の典型的な例といえよう。この事件では、船長・機関長2人の日本人は殺害されなかったものの、ゴムボートでの漂流を余儀なくされた。同号は数千トンのアルミニウム塊を積載し、インドネシア・スマトラ島のクアラ・タンジュン港から日本に向かって出港した直後に、武装した海賊から襲撃を受け、その後消息を絶った。積荷の一部はマニラで発見されている。
 同号の捜査は、海賊に関する情報収集と対策を行う国際組織である国際商業会議所国際海事局(IMB: International Maritime Bureau)を中心に行われた。IMBからの捜査依頼を受けたインドのコーストガードが、インド洋をアラビア海方向に逃走する同号(船名は「メガ・ラマ」に変えられていた)を発見、海軍と協力して捕捉し、同船に乗り込んでいた海賊12人を逮捕した。「アロンドラ・レインボー」号事件の起こった翌2000年は、これまででもっとも海賊事件が多発した年で、年間469件が発生している。
 そして21世紀に入り東南アジア海域での海賊問題の最大の特徴は、海賊とテロリストが結びついた、いわゆる「テロリスト海賊」による海賊事件の多発である。これは反政府活動組織とみられるグループが、襲撃した船舶の乗組員を人質にとり、身代金を要求するというものである。
 例えば、2004年1月には、シンガポールの海運会社の保有するタグボートが海賊に乗っ取られ、船員6名が人質に取られる事件が発生した。誘拐グループは身代金を要求し、10万シンガポールドルを海運会社から受け取ったとされる。
 こうした海賊とテロリストとの結びつきは、東南アジア特有の現象といってもいい。欧米の発想で考えれば、海賊とテロリストは別のものとして捉えがちである。しかしマレーシアやフィリピンでは、テロリストが活動資金を調達するために海賊行為に手を染めている。ただし、ここで「テロリスト海賊」といっても、欧米でイメージされる大規模なネットワーク、豊富な資金を持つ集団ではなく、こうしたイメージは東南アジアの実情には必ずしもそぐわない。東南アジアにおける海賊やテロリストの実態は、小規模でありもっと泥臭いものである。
 「テロリスト海賊」は、自動小銃などの銃器で武装し、十数人のグループで活動する。その活動範囲は、インドネシア・スマトラ島北部のアチェ地方沿岸部、フィリピン南部のミンダナオ島周辺など、まさに自由アチェ運動(GAM)やアブ・サヤフ・グループ(ASG)などの活動地域沿岸部と重なる。
 そのようななか2004年2月10日には、海賊とテロリストグループの密接な関係をはっきりと示す事件が発生した。AK47自動小銃などで武装した海賊が、同海域で操業中の漁船を襲撃し、救助のために現場に向かったインドネシア海軍とのあいだで銃撃戦を展開した。銃撃戦の結果、インドネシア海軍は数人の海賊を逮捕し、彼らへの取り調べを行ったところ、海賊グループがGAMのメンバーであることがわかったのである。またインドネシアのイスラム系反政府組織ジェマ・イスラミア(JI)がマラッカ海峡で海上テロを企てていたとの現地報道もある。
 GAMが海賊事件に関与しはじめたのは2001年にさかのぼる。この年の6月、GAMのスポークスマンは、「マラッカ海峡を通航する船舶は、GAMの許可を受けなければならない」という声明文を発表し、2ヶ月後の8月にはマラッカ海峡を航行中の商船を襲い、船員を拘束して身代金を要求した。
 この事件は、直後にアメリカで起こった9・11テロの陰であまり注目されなかったものの、海運業界に衝撃を与え、以後、マラッカ海峡を通航する船舶の多くは、アチェ地方沖の海図に「海賊警戒地域」と書き込むようになった。実際に2004年1月には、アチェ沖で小型のタンカーが海賊グループに襲われ、船員13人が人質にされる事件が発生した。犯人側のおよそ600万円相当の身代金要求に対して、船主側は応じず、両者のあいだで交渉が何度か行われたが、最終的に船員4人が殺害された。なお、そのほか9人は海に飛び込み、浮遊しているところを救助された。
 以上のように、東南アジア海域では海賊と海上テロが結びつき、人類共通の財産である海が不法地帯になる危険性が高まっている。
 
(3)多発・凶悪化する海賊事件
 
 また2004年の特徴は、海賊事件が東南アジア海域に集中していることである。世界全体の海賊行為の発生件数は減少傾向にある一方で、マラッカ海峡、ならびに周辺海域における海賊事件は増加し、世界全体に占める割合も4割を超える。この海域は日本のオイル・ルートであり、海賊問題は日本の「エネルギー安全保障」にも多大な影響を与えかねないものとして捉える必要がある。
 マレーシアのクアラルンプールに海賊レポーティング・センターを置くIMBが2005年2月に発表した最新の報告によれば、2004年1月から12月までの世界中で起きた海賊被害件数は、前年に比べ3割近く減少し、325件であった。しかしその一方で、マラッカ海峡では、前年の28件を上回る37件が報告された。またインドネシア海域での海賊事件は121件から93件へと減少したものの、世界全体の3割近くを占めており、依然として同海域が世界で最も危険な海域のひとつであることに変わりはない。
 しかも、そもそもIMBが把握している海賊事件数は実際よりも少ないと考えなければならない。それは船主が海賊事件の被害を報告すると、保険会社が保険料率を引き上げるために、船主らが保険料負担増を嫌って、報告を避けようとするからである。
 また海賊の武装は年々、過激化している。海賊グループの多くが銃器により武装していて、乗組員を射殺するなど、凶悪なケースも増加傾向にある。例えば2003年8月には、インドネシア・アチェ沖のマラッカ海峡をシンガポールに向けて航行中の台湾の貨物船「トン・イー」号が、2隻の小型船に分乗した海賊に襲われている。海賊は、2時間にわたり同船を追尾し、自動小銃による銃撃を繰り返した。貨物船はどうにか逃げ切ったが、船長が足に銃弾を受けて負傷した。
 また同じ時期に、同じマラッカ海峡内のインドネシア領海において小型タンカー「ペンライダー」号が、漁船に乗った10人の海賊に襲撃された。海賊は自動小銃、グレネード・ランチャーを発砲し、船を停止させ乗船し、船長・機関長・二等機関士の3名を人質にとり逃走し、船主に身代金に10万ドルを要求してきた。IMBはこうした事態を受け、マラッカ海峡を海賊危険地域と指定して、この海峡を通過しようとする船舶に対して、頻繁に海賊警報を発している。
 日本は、アジア海域における海賊事件の多発・過激化を、国民の経済的安寧に直接的な影響を及ぼしうる問題であると深刻に受け止め、アジアの海の安全を確保するために「海洋国家日本」として何ができるのか、真剣に考えるときが訪れている。
 
海賊事件の発生件数(1998〜2004年)
  1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004
インドネシア 60 115 119 91 103 121 93
マレーシア 10 18 21 19 14 2 8
マラッカ海峡 2 16 80 24 21 28 37
その他東南アジア 17 14 28 27 27 29 28
(東南アジア小計) (89) (163) (248) (161) (165) (185) (167)
その他地域計 113 137 221 174 205 260 158
世界計 202 300 469 335 370 445 325
出典:国際海事局(IMB)







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