1997/12/11 読売新聞朝刊
[ビッグインタビュー]明石康・国連事務次長(下)国益追求のための手段
◆日本の安保理常任理事国入り
――日本人の国連観、国連外交をどう見るか。
「九月の読売新聞の世論調査で『外国から武力攻撃を受けたら日本をどう守るべきか』との問いに、三五・八%が『国連の紛争解決にゆだねる』と答えている。この数字には驚いた。日本人は国連の力をまだ過信している、と痛感した」
「一九五六年の日本加盟後、日本人の国連観は両極化した。観念的なインテリが、神棚に奉るかのように国連を美化、理念化する風潮が高まった。調査結果は、幻想に基づく非現実的国連観が根強いことを示したものだ。一方、主に外交に携わる人たちの間には二国間外交こそが本物で、国連外交は虚構であり、国連は無力な存在に過ぎない、との偏見がある」
「今、日本外交に必要なのは、国益推進のための道具として国連をいかに利用していくか、という視点だ。米国ほど国益追求のための国連利用が巧みな国はない。湾岸戦争の際、国連という錦の御旗を押し立てて米国の安全保障政策を遂行した。日米の立場は違うが、したたかな国連利用のありかたも参考にすべきだ」
――日本の安保理常任理事国入りをどう考えるか。
「常任理入りは国益追求の一つの手段にすぎず、自己目的化すべきでない。常任理入りは日本外交の質的転換点となりうる。今急ぐべきは、日本が希求している平和で安定した世界の構築、民主主義の徹底、人権尊重という、あるべき世界のビジョンをいかに、早く実現させるかの戦術・戦略論を明確化することだ。政府・外務省にだけ任せるのではなく、言論、経済界、非政府団体(NGO)、そして国民全体が真剣に取り組むべき重要な課題だ」
――常任理入りにより、平和維持活動(PKO)などで紛争に巻き込まれる恐れを指摘する声もある。
「常任理事国になったら、国連憲章第六章下で行われる強制力を伴わない在来型PKOであればあらゆる本体業務に参加するようになってほしい。戦禍に苦しむ世界の民衆を助けることもなく、日本のみがぬくぬくと平和を享受していては、国際社会の一員とは言えまい。時によっては日本人が血を流すこともありうる。日本の平和主義の落とし穴は孤立主義につながりかねない点だ。ボスニア紛争の際、日本はマケドニアのPKOの予防的展開で軍事監視員の派遣すら出来なかった。この時、私は強い挫折感を味わった」
――国連を舞台にした日本の活動をどう見るか。
「加盟後しばらく、日本の国連外交はサイレンス(沈黙)、スマイル(愛想笑い)、スリープ(居眠り)の3S、と揶揄(やゆ)された。だが、最近は、各種軍縮決議や通常兵器国連登録制度の提唱、カンボジア紛争解決などでそれなりの実績を上げた。現在は安保理の非常任理事国に選ばれ、アフリカ問題などで積極発言が目立つ」
「とくに常任理事国になったら、米国との距離をどう保つかが、大きな課題となる。日本の安全保障にとって日米安保体制は基軸であり、冷戦後、米国だけが軍事力を背景に迫力ある行動をとれる国であることは冷厳な事実だが、問題によっては日米が異なる立場をとることも避けてはならない。『日本は米国に従順すぎる』と各国に言われ続けることが、日本の国益につながるかどうか」
――今後、国連で働く日本人に対しての期待は。
「外交が意思伝達の世界である以上、国連外交には虚実を峻別(しゅんべつ)した上での雄弁さが必要とされる。ときには論理や修辞法を絢爛(けんらん)と使う口舌の徒にならなければならない。ところが、最近、谷崎潤一郎の『文章読本』を再読して感じたのだが、日本語は演説の文章ではなく物を書くための言語で、日本文化は『言挙げせざる文化』だ。これから国連内外で活躍する日本人に対して、英語は訥々(とつとつ)でもいいが、相手を説得する内容ある話術を磨くことを望む。我々の後を継ぐ日本の若い人たちに期待している」
(聞き手 ニューヨーク支局 水島敏夫、古本朗)
◇明石康(あかし やすし)
1931年生まれ。
東京大学教養学部卒業。バージニア大学大学院修了。
日本国連代表部大使、国連事務次長、国連カンボジア暫定統治機構代表、事務総長特別顧問などを歴任。現在、東洋英和女学院客員教授。
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