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2000/09/04 読売新聞朝刊
[地球を読む]国連改革 国家超越できるか
明石康(寄稿)
◇日本予防外交センター会長
◆同床異夢の安保理論議
■平和の成果は60点
 六日から三日間、ニューヨークでミレニアム国連サミットが開催される。国連加盟国の首脳が一堂に集って、「二十一世紀における国連の役割」というタイトルの下に、貧困と開発、紛争予防、環境、国連強化の四テーマについて見解を述べ、共同の行動を探ることになっている。
 ミレニアム報告の中で、アナン事務総長はグローバル化の大きな恩恵とともに、その不平等な配分を指摘している。とくに地球人口の五分の一を占める所得一日一ドル以下の人々の生活についてである。また八月末、事務総長高級パネル(いわゆるブラヒミ委員会)が、従来より強力な平和維持活動(PKO)の導入を勧告している。
 ミレニアムサミットとそれに続くミレニアム国連総会は、五年前の国連五十周年記念総会と同じく、首脳レベルの絢爛(けんらん)たるお祭りに終わってしまうだろうか。それとも制度疲労の見えはじめた国連再活性化のきっかけをつくることができるだろうか。
 四十五年にわたる冷戦時代の硬直した国際関係を経て、国連は十年前、世界の期待を担って再登場した。当時の高揚した空気を結晶させたのが、ガリ事務総長の「平和への課題」(九二年)だった。だが頻発する内戦と民族紛争を処理しきれなかった国連は、早くもその二年半後に、より現実的な路線への軌道修正を迫られる。政策のぶれの烈しい(はげしい)米国は国連への失望を表明し、一国主義と地域主義への傾斜を深めていった。
 ミレニアム総会はわが国にとっても、ともすれば観念的に流れたいままでの国連観を改め、グローバル化に対応する具体的姿勢を語る機会といえる。米国との同盟関係、民主主義と市場経済に立つ他の先進国との協力、アジアの近隣諸国との地域協力とともに、国連を通じる活動は、日本外交の大きな支柱であり、「小切手外交」の印象払拭(ふっしょく)の時がきている。
 国連五十五年の成果を、簡単に検証してみよう。第一の側面である経済分野では、国連はいち早く南北格差の是正を唱え、発展途上国の貿易や債務の問題をとりあげた。国連開発計画(UNDP)を中心として途上国援助を実施している。しかし世銀グループとの最近まで疎遠だった関係や、国連貿易開発会議(UNCTAD)によるイデオロギー的偏向もあって、具体的成果には乏しかった。採点すれば、百点満点の五十点というところだろう。
 第二の政治・平和面では、紛争の終結と調停、平和維持に国連はかなり精力的に取り組んできた。しかし安保理事会における対立などのため成果は限られていて、六十点くらいだろう。これからの課題は、PKOや人道援助活動の強化や、できれば事態が悪化する前に紛争の予防にのりだすことであり、核・化学・生物兵器と小型武器の両面で、積極的に軍縮を推進していくことだ。
 第三は人権、環境、人口、麻薬、感染症防止などの社会面であり、国連は共通目標の確立や認識を広めることで役割を果たしてきた。人権理念の普及と国際条約締結では見るべきものがあった。この面での成果には、七十点をあげてもおかしくない。
 
■グローバル化進行
 私の採点はちょっと辛すぎるかも知れない。だが国連憲章が掲げる遠大な目的と原則からみて、甘い点数をつける訳にはいかない。では、どうして国連は、これ以上のことをなしとげることができなかったのか。それは機構に欠陥があったためだろうか。それとも関係者の力量や努力が足りなかったのだろうか。
 そのどちらでもないと、私は思う。これ以上の成果を上げることができなかったのは、国連が主権国家の集合体であり、その合意に基づいてしか行動できないという基本的な制約からきている。世界連邦でも世界政府でもない国連は、それを構成する加盟国、とくに安保理常任理事国の意志にかなり左右されてしまう。こうした国の国家エゴを超越できなかった国連の姿があり、それを急激に変えることは不可能であろう。
 しかしグローバル化の仮借ない進行は国境の垣根を浸透し、人類帰属意識が高まっている。国家横断的な結びつきや、共通の価値観が、とくに若い世代で育っている。
 同時に、異質的なものとの接触は、かえって民族意識を目覚めさせ、文化的アイデンティティーの主張につながっていく。原理主義はアラブ世界だけでなく、キリスト教、ヒンズー教地域にも見られる。経済関係の深まりによって、国家や政府の役割は低下するどころか、交渉案件は増大している。発生する緊張を、情緒的ナショナリズムに訴えるのでなく、多元的グローバリズムの観点から処理する各国民の知恵が問われている。
◆早期の具体化望めぬ
■時代遅れ特権集団
 創設から五十五年、国連加盟国は発足時の五十一か国から百八十九か国へと四倍増に近い。その間、安保理事会と経済社会理事会の一部手直しはあったが、任務を終えた信託統治理事会は有名無実の存在である。安保理事会にしても、非常任理事国が六か国から十か国に増えただけで、常任理事国数は一九四五年以来まったく変わっていない。
 憲章改正を伴わない改革の方は、過去何回も行われている。肥大化を批判される事務局の改組もあった。縦割りの欠陥是正のため、アナン事務総長は事務局内に四つの執行委員会を設けたし、総会は副事務総長制を導入した。
 古色蒼然(そうぜん)としているのが安保理事会の構成であるが、改革の雰囲気はできている。事務総長はいまの安保理事会がグローバル化した世界を反映していないので、それをもっと実効性と正統性を持ったものに変えるべきだといっている。沖縄のG8サミット宣言でも、安保理改革を含む国連の強化が強調された。しかしイタリアなどの反対で、それ以上具体的に踏みこむことができなかった。
 主要国がこぞって安保理改革を力説しても、真意には違いがあり、「同床異夢」といってよい。米国は「効率」を重視するが、それは国連の重役会議といえる安保理事会が小さくないと、すばやい決定ができないという懸念からである。わが国とドイツは、自分たちが大きな財政負担を引きうけることで理事会行動に「実効性」があたえられる点を強調する。中国やインドは人口十億人を超える大型途上国として、自らの参加が国連の「正統性」を保証することになるという自負がある。
 先進国の立場からは、国連予算の負担比率が不当に高く、それは、途上国への軽減措置が大きすぎることによるが、国連の過半数を占める中小途上国にとっては、総会の多数勢力を構成する彼らの利害を十分に反映しない安保理事会こそ、時代遅れのエリート集団として映るのである。
 こうした多様な利害と思惑の間の最大公約数を見いだすのは並大抵でない。安保理事会の構成だけでなく、現常任理事国がもっている拒否権についても、それを存続すべきだとする意見、廃止すべきだとする見方、強制行動の採択だけに限定すべしとする意見などがあり、開けたらパンドラの箱になりかねない。また現常任理事国と新規常任理事国の間に差をつけるのか、新しい常任理事国の一部だけに拒否権を認めるかなど、問題は多い。
 三年前、当時のラザリ総会議長(マレーシア)が中心になってまとめた安保理改革案は、常任、非常任理事国をともに増加させ、日独などを常任にするもので、賛成する国も多かった。しかしイタリア、パキスタン、エジプトなど、常任理事国になりたいがなかなかなれない国々の猛反対にあい、日の目をみることができなかった。
 結局、安保理改革はその振りだしにもどって、一歩一歩具体化を目指し、外堀から埋めていくしかないようだ。改革が非常任理事国だけを増やすに終わるのは、日本として避けたいところだ。最近ニューヨークにおけるわが国代表の説得の結果、米国が理事会議席数を二十一以上に拡大するのに反対する従来の方針を変えたことは、歓迎されてよい。先進国と途上国とのバランスを、総数二十一か国以内で充たす(みたす)のは不可能といってよいからである。
 ドイツとイタリアの間では、激しい競争が行われている。ヨーロッパからすでに英仏両国が常任の地位を占めていて、これに独伊がともに加わるとヨーロッパ四か国となり、他地域からの強い反発がでるのは自明だからである。ラテンアメリカ地域でも、ブラジルに常任理事国を収斂(しゅうれん)するのは容易でないだろう。
 
■財政も大きな問題
 わが国が常任理事国を目指すのは、米国に次ぐ財政負担の大きさもあるが、そのためだけでない。国際連盟時代のように、大国の「特権クラブ」に参加する誇りのためであってもならない。非軍事大国としてのビジョンと実行力を示し、世界平和とアジアの安定に欠かせない信頼される国として、衆望を担ってのことでなければならない。特権風を吹かすのでなく、中小国が懐いて(いだいて)いる国連の政策決定からの疎外感を踏まえ、安保理審議の透明性拡大の努力も続けるべきである。
 安保理改革だけでなく、慢性化した財政危機の解消も大きな課題だ。米国などの分担金支払い遅延のため、国連財政は火の車であり、歴代事務総長は自分を高級物乞い(ものごい)だと自嘲(じちょう)する有り様である。国連通常予算は世界各国の軍事予算の三百分の一にもみたず、わが国国民一人当たりの分担は年額三百円に達しない。加盟国政府に依存しきった現在の制度から、企業、個人、財団などからの寄付を増やしたり、石油・天然ガス採掘や国際航空運賃への課税をもって国連活動資金の一部に充当する案なども、検討してよいのであるまいか。
 あくまでも国民国家を主人公とする国連だが、これからは政府以外のNGO(民間活動団体)、企業、有識者、自治体、職能・宗教団体などの参加が増えるにちがいない。国際NGOの多くが欧米諸国に偏在しているのは問題であるが、その専門知識、経験や行動力が国連機関にとって、ますます貴重なものになっていくだろう。
 来世紀にはきっと、世界各地の市民によって選出された代表からなる諮問機関がつくられ、その意見や要望に国連機関が耳を傾けることが多くなるだろう。
 私たちは、国際社会のあるべき将来像を大胆に構想しながらも、現実の国際政治をきちんと見すえ、一歩一歩しぶとく前進していくしかない。 
 (英文は本日の「デイリー・ヨミウリ」に掲載しています)     
◇明石康(あかし やすし)
1931年生まれ。
東京大学教養学部卒業。バージニア大学大学院修了。
日本国連代表部大使、国連事務次長、国連カンボジア暫定統治機構代表、事務総長特別顧問などを歴任。現在、東洋英和女学院客員教授。
 
 
 
 
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