1995/10/19 産経新聞朝刊
【混迷と模索】国連50周年(3)冷たい祭典 華やかな中残る難題
マンハッタンの中心部。クリストファー・コロンブスの石像で有名な「コロンバスサークル」は、セントラルパークの西南の角にある。そのコロンブスの広場に面したニューヨーク市観光センターの地下ホールで今月十一日、国連五十周年記念ニューヨーク市ホスト委員会の記者会見が開かれた。壇上のジーン・スタフォード事務局長が約百人の記者団に向かって、こう説明した。
「特別総会の期間中、世界の新聞のトップニュースは連日、ニューヨークが飾ることになる。世界の首都にとってはまたとないショーケースです」
国連は一九四五年十月二十四日、第二次大戦の連合国を中心にした五十一カ国の国連憲章調印国の過半数が憲章に批准した時点で、正式に発足した。五十年を経て、加盟国は百八十五カ国に拡大している。
日本やドイツなど、かつての敵国の加盟、六〇年代のアフリカ諸国の植民地からの独立、冷戦終結に伴う旧ソ連の解体。加盟国の増加は戦後五十年の世界の歴史をそれ自体で表すものでもある。
二十二日から国連デーの二十四日までの三日間の特別総会には米国のクリントン大統領、ロシアのエリツィン大統領、核実験強行で批判にさらされているフランスのシラク大統領と中国の江沢民国家主席、南アフリカのマンデラ大統領、キューバのカストロ国家評議会議長、日本の村山富市首相ら国家元首と首相だけでも百六十人以上が出席をする。
これら世界の指導者たちに随行してニューヨークにやってくる記者団も含め、特別総会を取材する記者は推定二千五百人。世界の新聞の一面がニューヨーク発のニュースで埋め尽くされると表現しても必ずしも大げさとはいえない。
ホスト委員会は地元のジュリアーニ市長がニューヨーク政、財界に呼びかけて作った国連五十周年の応援団だ。「ニューヨークは国連の理想の見本です。多様な人々が一緒に働き、暮らしやすい町をつくろうとしている。そのような場所が世界の中に存在しうることの証明です」とジュリアーニ市長は国連を持ち上げ、同時に、しっかりニューヨークの魅力をアピールする。
特別総会開催二日前の二十日から、市内では「ごらんの通り、ニューヨークこそ世界の首都」とさまざまな歓迎行事が計画されている。二十日の夕方には通勤乗降客でごったがえすグランド・セントラル駅の大待合室をわざわざ借り切り、世界中から集まる報道陣の大歓迎パーティーまで開くという。国連五十周年の祝賀ムードを盛り上げ、「世界の首都」を文字通り世界に売り出そうという作戦だ。
これから各国指導者が続々と乗り込んでくればニューヨークのお祭りムードは一段と高まりそうだが、こうした「世界の首都」の盛り上がりぶりとは対照的に「米国の首都」の国連に対する熱はすっかり冷めてしまったように見える。
国連本部と道路を隔てた歩道上ではこのところ、中国によって故郷を追われた亡命チベット人たちが「国連はノーベル平和賞まで受賞したダライ・ラマがオブザーバーとして総会で演説することを認めるべきだ」とハンストを続けている。しかし、国連事務局は安保理で拒否権を持つ中国に遠慮してチベット人の訴えにも、国連復帰を求める台湾の要求にも知らん顔を決め込んでいる。
緒方貞子・国連難民高等弁務官は今月十六日、同弁務官事務所(UNHCR)の理事会で「大量の難民にうんざりし、国境を閉ざしていることを多くの国が認めている」と訴えた。緒方さんによると、世界の難民は一千四百五十万人だが、国内で家を失った避難民や紛争にさらされている市民などを含めるとUNHCRが何とか助けなければならない人の数は二千七百四十万人にも達している。冷戦後の内戦型の紛争では戦闘員でなく市民をターゲットにする傾向が以前より顕著になっているからだ。
冷戦が終わった後の世界の苦い現実に対する答えを国連はまだ見いだしあぐねている。国際政治史上に例のない大規模なサミットとなる特別総会は同時に、華やかではあるが、どこか冷めた空気の流れる「冷たい祭典」でもある。
(ニューヨーク 宮田一雄)
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