日本財団 図書館


1995/09/24 産経新聞朝刊
【オピニオンアップ】50周年の国連に一石を 日本がイニシアチブとる好機
論説委員 千野境子
◆華やぎとは裏腹な冷気
 例年この季節になると、ニューヨークのイースト・リバーを臨む国連本部は、国連総会の開催に合わせて世界中からやって来る加盟国の代表団で、慌ただしさと華やかさを増す。とりわけ第五十回という節目の今年は十九日から始まった通常会期に加えて、来月の記念総会特別会合など多くの催しを控えて一段とにぎやかになりそうである。
 しかしそうした表面の華やぎとは裏腹に、いま国連を取り巻いているのは熱気よりも冷気、希望よりも諦観のようだ。国連平和維持活動(PKO)史上、最大規模で投入された旧ユーゴスラビア紛争の国連防護軍(UNPROFOR)が展開されてから三年半、五十回総会開催を前についに撤退を提案する報告書が、ガリ事務総長から安全保障理事会に提出されたのは何より象徴的である。
 冷戦後の一九九〇年から九三年にかけて、活力を取り戻した(かに見えた)国連をニューヨークで取材していた私には、時のうつろいの早さという感傷めいた感想さえ浮かんでくる。
 国連新時代、国連ルネッサンス、あるいはパックスUN(国連による平和)・・・など、希望に満ちた言葉がメディアに乱舞し、国連にスポットライトが当たったのは、わずか数年前の数年足らずのことだった。
 とはいえ国連のこうした「受難」は、実は何もいまに始まったことではない。奇しくも十年前の国連四十周年にも、同じように国連への批判や幻滅などが盛んに語られていた。
 四十周年と五十周年の記念すべき節目に、共通する要因は米国の国連離れである。米国が国連の専門機関のユネスコから脱退したのはまさに四十周年の八五年。八一年に登場した共和党のレーガン政権は、国連がいわゆる第三世界に牛耳られているとして、敵視を強めるとともに、「小さな政府」推進のため、国連予算を削減し、かつ不払いを決め込んだ。
 一方、九三年に登場した民主党のクリントン政権はレーガン政権とは異なり、当初は国連活用に乗り気だった。世界の警察官であり続けるためと言えども、米国だけではその意志も能力も十分でないことをクリントン政権は分かっていた。湾岸戦争で国連の旗の下に多国籍軍が果たした役割は、米国民にそうした確信を深めさせた。
 しかし五十周年を前にした九四年五月、クリントン政権はPKOに関する新たな大統領決定指令(PPD)を公表。PKOの選択的、効率的参加やPKO費用の分担削減などを打ち出し、国連離れを明確にした。共和党支配の下院議会では通常予算の分担削減も決めており、米国の国連離れは加速気味だ。
◆悲観と楽観交錯に特徴
 もっとも国連五十年を冬の時代だけで語るのは一面的にすぎるだろう。国連五十年はその評価が上下し、悲観と楽観とが交錯してきたところにむしろ特徴がある。国連四十周年と五十周年の歴史の皮肉な類似を見る時、想起したいのは、四十周年にあたって日本がとった国連行財政改革のイニシアチブである。
 レーガン政権の国連行財政への批判に対して、日本は北欧諸国などの後押しのもと八五年の四十回総会に決議案を提出。十八人委員会(賢人会議)が設置され、高官削減などの行革が八九年まで進められた。改革は完ぺきではなかったが、数少ない日本主導の国連改革として記憶されている。
 時代は巡る。大国・米国が孤立主義に回帰し、内向きとなってしまった五十周年だからこそ、イニシアチブの出番が日本に回ってきたと考えることはできないだろうか。
 安保理改革は早々と先送りが決まり、日本の常任理事国入りは当分なくなったとの見方が強い。安保理作業部会を来年一月に再開し、同年九月までに「合意が得られる勧告を含む報告の提出」が目標だとされる。しかし議論は出尽くし、もはや問題は、いつ、どこが、どのように改革のリーダーシップを取るかにかかってもきている。
 国内の論議も十分でない日本は、常識的にはイニシアチブなどもってのほかかもしれない。しかし将来、拡大された安保理における常任理事国のトップ候補がドイツとともに日本であるという認識が国連の現実である以上、安保理改革で日本がリーダーシップの一角を占めることは不自然どころか、国連改革への具体的貢献となる。
◆もっともだが薄い印象
 明後日二十六日には河野外相の総会一般演説が行われ、十月二十二日から三日間にわたって開かれる記念総合特別会合では村山首相が演説する。河野外相の演説は、報道されている内容から判断する限り、経済・社会開発分野への貢献、軍縮・核不拡散の推進、国連改革の推進−といずれももっともながら、総花的で印象に薄い。
 また演説では核実験禁止決議案を総会に提出する考えを表明する予定だ。中国、フランスが世界中からの抗議にもかかわらず実験を強行し続ける中、禁止決議案はむろん圧倒的賛成多数で採択される。しかしこの種の総会決議は、実は山とある。
 五十周年に国連が直面する状況の四十周年と決定的に違う所は、冷戦後の新しい世界情勢の中で、国連にどのような役割を与えるのか、国連の可能性と限界について、国際社会、具体的には加盟国がなお確たる像を描けないことにある。
 それは四十周年の時のように、単に機構改革や行革を提案するだけでは解決できない問題でもある。国連の置かれたこうした現状に一石を投じ、二十一世紀の国連を展望できるようなイニシアチブを日本の外相や首相の演説に期待することは無理な注文だろうか。
 村山首相の私的諮問機関である「国連改革に関する懇談会」は近く会合を開き、討議内容を首相演説に反映させるという。願わくば、国連の現実を踏まえ、日本の国連外交に時代を画せるような提言をしていただきたいものである。恐らく最初にして最後の国連演説を行うことになる村山首相のためにも。
 
 
 
 
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。








日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION