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1994/10/24 産経新聞朝刊
【主張】国連と“悪魔の子ら”の時代
 
 きょう二十四日は国連デー。国連創設五十周年という節目の年を来年に控えて、ポスト冷戦時代に適応できる国連の在り方について考えてみたい。
 今日の世界は、冷戦構造が崩壊した結果、一挙に紛争や問題が噴出した格好で、地域、民族、宗教紛争、テロ、核拡散、核軍縮、経済、貿易、難民、人口、環境、エイズなど多種多様な問題をかかえている。まるで「悪の帝国・ソ連」(レーガン元米大統領の言葉)が滅亡したあと、“悪魔の子ら”が続々と産出されたかのようである。
 しかし、紛争や問題の性質をよく観察すれば、軍事力ではなくて、経済・技術力で解決できる問題が多いことに気付くはずである。
 ガリ国連事務総長は今年の年次報告で「安全保障とは土地と兵器の問題だけに限られるものではない。国連は紛争の原因を除去する手段として経済・社会分野における取組みを強化しなければならない」と主張している。日本の出番が問われているのはこんな時代認識からではあるまいか。
 同総長は、一昨年、「平和のための課題」と題する報告書を作成し、平和と安全に対する国連の新しい役割として(1)予防外交(2)平和の創設(3)平和維持(4)平和醸成−の必要性を強調した。この新時代への“挑戦状”ともいえるガリ構想は、必ずしも成功しているとはいえない。ソマリア国連平和維持活動(PKO)の失敗例を見れば、それは明らかであろう。
 しかし、問題はガリ構想にあるのではない。国連自体がガリ構想を実施するに当たって、新しい時代にふさわしい体質になっていないところに問題がある。
 国連安全保障理事会の常任理事国が現在の五カ国のままでいいのか。果たして「拒否権」は今日の時代に適切なのか。安保理よりも総会により強い決定権を与える方策はないものか。人員や予算の配分に無駄はないか。日本やドイツなどに対する「旧敵国条項」がいまだに存在していることもおかしくはないか。この激動の時代に国連事務総長の任期(二期十年)は長すぎはしないか。国連はあまりにも地域平等主義の弊害に陥ってはいないか。
 国連は、こうした点を総合的に総点検し、オーバーホールし、ポスト冷戦時代の紛争や問題解決に即応できるシステムとして機能せねばなるまい。もし、それができないのであれば、国連は冷戦時代にしばしば言われた「年老いたロバ」(役に立たない国連)に戻るしかあるまい。
 
 
 
 
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