1995/10/22 読売新聞朝刊
[社説]国連50歳の抱えるジレンマ
国際連合(以下、国連)は二十四日、満五十歳の誕生日を迎える。半世紀前のこの日に国連憲章が発効した。これを記念して二十二日から三日間、ニューヨークの国連本部で、村山首相も含め百八十三か国の首脳が集まる特別総会が開かれる。
第一次大戦後に創設された国際連盟は、第二次大戦の勃発(ぼっぱつ)で二十余年の短命に終わった。国連がともかくも五十年間存続しえたことは、その間、多くの紛争が起きたものの、国際社会が第三次大戦だけは回避してきたことの証(あかし)とも言える。
ただ、憲章の定めた国連の集団的安全保障のシステムが有効に機能したから、とは自賛できない。冷戦下では、大国の対立による国連の機能麻痺(まひ)が指摘され続けた。東西両陣営の敵対関係が熱い大戦に発展しなかったのは、核抑止を主要な柱とする力の均衡が働いたからである。
だが、世界人権宣言の採択を嚆矢(こうし)とする人権分野での成果、植民地の独立支援、難民援助などの人道的活動、そして開発や環境問題における多国間努力の促進など、多岐にわたる国連半世紀の業績は正当に評価されねばならない。
また、侵略への対処ではないが、各地での国連平和維持活動(PKO)は、地域紛争解決への欠かせぬ道具立てとして、世界の平和増進に大きな貢献をしてきた。
何より、国連は唯一の普遍的な世界機構として、代替できない人類の政治資産となっている。加盟国は、この資産を継承して世界の難題により適切に対応できるよう、国連改革を進める必要がある。
国連の目下の最大のジレンマは、憲章が国連の最も大事な任務とする「国際の平和と安全の維持」の分野で生じている。
冷戦終結直後に起きた湾岸危機で、米軍を主軸とする多国籍軍が、国連安保理のお墨付きを得て、イラクの侵略を撃退することに成功した。国際社会に、国連の機能回復への期待がふくらんだ。
しかしその後、ソマリアでの平和強制型PKOは失敗。旧ユーゴ紛争に派遣された国連防護軍も撤退に追い込まれた。近く、地域軍事機構の北大西洋条約機構(NATO)に任務を明け渡す予定だ。
国連の限界が指摘されているが、原因を正しく押さえることが大事である。
旧ユーゴ、ソマリア、そしてルワンダもそうだが、冷戦後世界における紛争の多くは、もともとは一国家内の民族ないし部族間抗争激化による混乱と悲惨である。
この種の紛争に対して、国連は憲章上の集団的安全保障の枠組みからも、またPKOの伝統的手法から言っても、有効に介入できる原理と能力を備えていない。
つまり、世界のいかなる形態の紛争の解決をも今の国連に負わせるのは無理難題である。NATOなどの地域機構の活用や主要国主導の和平工作との組み合わせの中で、国連の特質を生かした役割を担うのが、現状では均衡の取れた考え方だろう。
国連はまだ成育途上にある。より効果的に世界の平和と安全に責任を持てる機構に育ててゆく加盟国の決意が必要だ。
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