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1991/10/19 読売新聞朝刊
日本の国連安保理入り 急務の旧敵国条項削除 情勢変わり、形がい化(解説)
 
 国連総会で、日本が安全保障理事会非常任理事国に選出された。今回で七回となるが、長年の懸案である国連憲章の旧敵国条項削除と常任理事国入りの二つの課題が、いよいよ目前に迫ってきたようだ。
(解説部 田中 政彦)
 東西対立が解消する中で起きた湾岸戦争は、国連の機能回復を強く印象づけたが、国内的にも湾岸戦争を契機に国際貢献についての国民理解が進み、“空文化”していたわが国の「国連中心外交」が、現実のテーマになってきた。次期国会で成立が期待される国連平和維持活動(PKO)協力法案はその一例だ。
 こうした背景を受けて、外務省が国連総会へ向けて取り組んでいる課題は、安保理非常任理事国入りと、それに続く旧敵国条項削除と安保理常任理事国入りの三つ。しかし、当面の課題である安保理非常任理事国入りも、一九五八年に初めて当選してからすでに六回を数えているとはいえ楽観視できる状況になかった。
 安保理は米英仏ソ中の五常任理事国と十の非常任理事国で構成。非常任理事国は任期二年で、半数ずつ改選される。連続立候補はできないから、立候補した年(任期は翌年から)も加えると二年間の間隔が必要だから、それを差し引くと過去六回当選という実績は、日本の役割が高く評価されている証左ともいえる。
 しかし、一九七八年にはアジア地域の候補調整がつかないまま立候補してバングラデシュに敗れて落選。六回目の当選となった前回一九八六年には、獲得票はわずか百七票で、当選に必要な百四票(総数百五十六票の三分の二)を辛うじて上回る薄氷の当選だった。非常任理事国選挙に先立って、南アフリカのボタ外相が来日したのがアフリカ諸国の反発を招いたとの見方もあった。南アが人種隔離政策を解消したのに、わが国が経済制裁解除を先送りして慎重に対処したのはそのためだ。
 旧敵国条項削除などを後回しに、安保理非常任理事国入りを最優先したわけである。裏返せば、一九五二年サンフランシスコ講和条約で国際社会に復帰、国連に加盟して以来の懸案である旧敵国条項とそれに続く安保理常任理事国入りの二つの課題に取り組む時期がきたということでもある。
 旧敵国条項は、憲章第五三条と第一〇七条で、「第二次大戦中にこの憲章のいずれかの署名国の敵国であった国」が侵略政策を再現しようとした場合、安保理の許可なしに強制行動がとれるとする例外規定などを設けたもの。一方、旧敵国条項がいまだに憲章に残っているのと同じ文脈で、国連が第二次大戦の戦勝国によって設立されたことを象徴するのが五つの安保理常任理事国だ。
 しかし、第二次大戦からすでに半世紀。国連もあと四年で創設五十年だ。この間の国際情勢の変化を、いまさら指摘するまでもなかろうが、目に見える国連貢献の一例として国連分担金ひとつとっても、日本は九二―九四年予算では、アメリカの二五%に次いで一二・四五%となり、ソ連の一〇・九〇%を抜いて二位になるのは確実だ。
 二十一世紀を展望して国連安保理の活動を考えれば、先進国と開発途上国の利害対立――ひろく言えば南北問題は無視できないテーマになる。そうなれば西側に傾いている常任理事国の構成への疑問も生ずる。
 ただ、旧敵国条項削除といっても、結局は憲章改正に行きつくし、憲章改正となると安保理常任理事国の見直しと絡まって現状では見通し難だ。アフリカや中南米諸国も地域代表として常任理事国ポストを求める動きをみせるなど、パンドラの箱を開けることになりかねないからだ。
 しかし、わが国が国際責務を果たすことを外交の柱の一つに据え、国連の機能強化を目ざす以上、旧敵国条項は“名存実亡”とはいえ削除されるべきだし、平和外交展開への活動の場を得るためにも、将来的には安保理常任理事国入りを期待するのは、「大国意識」による高望みとはいえまい。安保理入りを果たしたのを契機に、次のステップへの足場固めが急がれる。
 
 
 
 
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