1991/04/06 読売新聞朝刊
楽観できぬ「旧敵国条項」削除 平和創設の国連強化へ課題(解説)
国連憲章の旧敵国条項削除をめぐる論議が活発化してきた。五日、中国訪問に出発した中山外相は、中国側要人や中国滞在中のハード英外相と会談の際、理解と協力を求めるが、同条項削除の道のりは険しそうだ。
(解説部 田中 政彦)
国連憲章第五三条と第一〇七条には、「この憲章の署名国の敵国」を対象に、侵略政策の再現に備えて地域的機関がとる措置を例外的に認める(五三条)とともに、大戦中に戦勝国がとった措置の有効性を認めている(一〇七条)。対象国は、日本のほか、ドイツ、イタリア、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリー、フィンランドの計七か国。
国連が発足したのは一九四五年のことだから、だれが見ても「なぜ、今まで放置されていたのか」との疑問がわく。敵国条項に「旧」の字を冠するのも、すでに対象国が敵国でなくなったからにほかならない。それでも、これまであまり論議の対象にならなかったのは、東西冷戦構造の“谷間”としてベルリンが存在していたからだ。
ドイツが東西に分割され、旧東ドイツ領内となったベルリンも東西に分けられた。ところが、西ベルリン、西ドイツへの労働力流出に歯止めをかけようと旧東ドイツが一九六一年西ベルリンの周囲を壁で取り囲んだ。西側から見れば陸の孤島となった西ベルリンとの交通は空路しかない。東ドイツの出方によっては、西ベルリンを守るため強制行動が必要な事態も起こり得る中で、国連に諮らずにできる「地域機関がとる措置」の例外規定は変則的な形ながら存在意義が残されていたわけだ。
その意味では、一昨年秋ベルリンの壁が事実上消滅して以降、旧敵国条項の削除問題が現実味を伴って論議の対象になり始めたのは当然の成り行きといえる。
日ソ外相定期協議のため今年三月来日したベススメルトヌイフ外相は「旧敵国条項は時代遅れであり、直さなければならない」と、日本側の主張に理解を示した。千島列島などの引き渡しを決めたヤルタ協定の有効性を主張するソ連は、旧敵国条項一〇七条を論拠の一つとしていたばかりでなく、「敵国条項は歴史上の記録として残すべきだ」と主張してきた経緯を振り返ると、旧敵国条項を取り巻く環境変化がいかに大きいかがわかる。
米英両国はすでに「日本の主張に協力する」との立場を明らかにしており、ソ連の態度変更とを考え合わせると、旧敵国条項削除は遠くない将来実現しそうに見える。しかし、先行きの展望は必ずしも楽観視できる状況にはなさそうだ。
もともと国連は、第二次世界大戦の主要戦勝国を中心に創設されたもので、米英仏ソ中の五か国は、安全保障理事会の常任理事国のポストと拒否権が与えられるなどの既得権を持つ。国連は旧敵国に対する連合国(United Nations)の組織だったのである。現に中国での国連の名称は今でも「連合国」だ。
しかし、国連への貢献度のバロメーターの一つである分担金をみても、発足当時は常任理事国が上位を占めていたが、今では様変わり。九〇―九一年度、日本は一一・四%を負担し、アメリカの二五・〇%に次いで第二位だ。
こういう状況のもとで旧敵国条項を削除すれば安保理常任理事国のメンバー拡大などに波及することが予想される。すでに日独両国を加える案がある一方、中南米など常任理事国を持たない地域からはこれを警戒する動きもある。
日中、独仏はともに協調関係にあるが、この問題をめぐっては中、仏に米英ソと異なる思惑が働いたとしても驚くにはあたるまい。この協調関係は相互に微妙なバランスに乗っており、既得権の変動がバランスを崩すおそれもあるからだ。国連憲章改正に手をつければ、安保理にとどまらず幅広い国連改革に連動して合意を得にくくさせる可能性もある。
しかし、旧敵国条項の削除問題は、平和を創設する機関としての国連が本来の機能を発揮できるよう、国連強化のワンステップとして取り組むべき課題だろう。関係各国にはこうした高い見地に立った対応を期待したいし、政府はねばり強い外交努力でこの変則事態を一日も早く解消すべきだろう。それが国際社会に貢献する日本の足場固めにもつながる。
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