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1986/11/28 読売新聞朝刊
[社説]加盟三十年後の日本国連外交
 
 きょう、日本の国連加盟三十周年を記念する式典が行われる。長年「国連中心外交」を唱えてきたからには、三十年を一つの節目として、新たに日本と国連のかかわり方を考え直すのはよいことであろう。
 一九五六年の加盟当時、日本は戦後の状態からいくらも抜け出していなかった。初めて国際社会への仲間入りを認められた喜びから時の重光外相は感激に満ちた演説をやり、国連の理想への献身を誓った。
 まだ経済力は弱く、世界に実質的な貢献をなし得る立場ではなかった。観念的に「国連中心」の理念を掲げ、現実にはアメリカ追随の外交を進めてきたのは、やむを得なかったし、ある意味で賢明でもあったろう。
 今はもう違う。自由世界第二位のGNP大国として、先進国サミットに出席し、G5、G7などで、世界の政治、経済の中枢に参画している。もう余り「国連中心」などということを口にしなくなった。
 この間、国連の方も変わった。冷戦時代のアメリカ外交の道具のような状態から、七〇年代には第三世界の中小国が、数の力で観念的な民族主義の色合いが濃い決議を押し通す場に変貌(へんぼう)した。
 そうした国連への先進諸国の反発から財政的に行き詰まり、今もっと現実的な立場に戻って、再出発を図ろうとしている段階である。そしてその仕事の中心に日本がいる。
 皮肉なもので、日本が「国連中心」をやめる時になって先方が日本を頼ってきた。アメリカ、イギリス、フランスなどの旧植民地や保護国の操縦に不信の念を抱く第三世界諸国には、日本は“まだまし”と映るらしい。
 といって、無条件の信頼ではない。今総会の安保理事国選挙で、日本が最下位の得票しか集められなかったことが、国連外交の難しさを教えてくれたようだ。
 これを、投票直前の南アのボタ外相の訪日への反発が響いたとする見方がある。日本が中心になっている国連改革案を、国連つぶしにかかっているアメリカのお先棒をかついだものとする誤解があるという見方もある。
 どちらもある程度は当たっていようが、真因はもっと次元の低いところにありそうだ。投票前に菊地大使がアフリカ諸国を回って打診した時は、どこも支持を確約した。フタを開けてみるとその多くが反対に回っていた。
 これら諸国の代表にとって、旅費、滞在費を気前良く支給し、大国がレセプション、夕食会に招いてくれる国連ほど居心地の良い所はない。代表部員から国連職員に採用されれば、本国の大臣以上の給料がもらえる。
 そういう国連を“行革”しようという日本に白い目を向け、数の威力を誇示するために、本国政府の意向に関係なく、反対票を投じたのではないかと考えられる。
 だがともかくも当選した以上は、もうそんなことにこだわる必要はなかろう。今後は国連での活動を通じて、そうした妨害に左右されないだけの、基礎的支持票を固めることを目標とすべきである。
 もちろんまた「国連中心」に戻れなどというつもりはない。しかし、第三世界の信頼を得るには、多くの国と多角的に接触できる国連は、一番便利な場所なのである。そして日本が国連で主導的な役割を果たすことは、西側先進世界全体の利益ともなろう。
 
 
 
 
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