1986/10/27 読売新聞朝刊
国連再生と日本の役割
読売新聞論説副委員長 込山 敬一郎
国連はいま難しい岐路に立っている。明石国連事務次長が主催した世界二十数か国のマスコミ編集者を集めた会議に出席して、改めてこのことを感じた。
それは単に財政危機とか構造改革の必要とかいった次元の問題ではなく、国連のあり方、存在意義そのものを考え直してみなくてはならないという意味である。
今さら言うまでもなく、国連は最初から理想と現実の矛盾の間に引き裂かれた機関である。国際連盟の失敗にこりて、五大国一致による大国支配の原則に立ったことは、当時は現実的にみえた。しかし、それすら甘い幻想に過ぎないことがたちまち暴露され、冷戦の進行と共に東西対立の図式の中で、主としてアメリカ外交の道具となった。
一九七一年の中国加盟を契機に、その後の十年間は、発展途上の中小国の観念的な民族主義が主流となる時代に入る。新経済秩序から新情報秩序に至るまで、やたらにニュー・――・オーダーのつく決議が採択された時代である。八〇年代に入り、それがどこにも行き着かないことの自覚と先進諸国の反発から、次第に見直しの機運が高まり、いま総会で討議中の国連改革のための賢人グループの勧告に結実した。
これがどんな形の決議に落ち着くかはまだ分からないが、ともかく今よりぜい肉を落とした、効率的な機関に生まれ変わろうとしていることだけは間違いない。
しかし、と思う。こうなった時の国連はますます影の薄い、くすんだ存在になって、人々からはほとんど忘れられていくのではないだろうか。今ですら、中国加盟当時のむせ返るような熱気を知る記者にとっては、何か抜け殻になったような感じがするのである。
何の実際的意味がなくてもよい。中小国が勝手に理想論をブチ上げる、一種のガス抜きの機関としておいた方がよいという議論にも一理があるのではないか。
それにしては金がかかり過ぎる、というのが今の改革論の根拠になっている。しかし、ユネスコのようなバカげた浪費は論外として、年間十数億ドルの予算は、超大国の数千億ドルの軍事費と比べてみるまでもなく、それほどの金食い虫とは思えないのである。
が、ともかく今は行革の時代である。改革自体が悪いことのはずはない。現実主義的機関として再発足する国連は新しい方途を見いださなくてはならない。それについて、現地に来ていささか意外だったのは、遠くにいるとかなり声高に聞こえた国連無用論が、ほとんど聞かれないことである。
今度の会議に出席した総会議長バングラデシュのチョウドリ代表は、毎年同じ決議を繰り返す悪習をやめることにより国連の信頼性を回復し、決議を実行に移す能力を示す必要を懸命に説いた。
アメリカのオクン次席代表までが、危機という中国の文字は、デンジャーと同時にチャンスの意味を持っているとして(その当否は別として)、国連の今後に前向きの姿勢を示したのが印象的であった。
その役割が、国連本来の平和と安全の確保からはますます遠ざかることはやむを得まい。アークハート前安全保障担当国連次長のような、四十年以上この道に努力してきた人は、イラン・イラク、アフガニスタン、カンボジアと、国連平和維持軍の派遣を待っている地域はまだ多いと熱っぽく説いた。だがレバノンの国連軍がすでに百数十人の犠牲者を出している現状をみては、今後、兵力の拠出に応じる国は容易に見いだせまい。
やはり経済・社会面の途上国援助が中心的仕事になろう。この場合、国連開発計画(UNDP)の仕事などは、もっともっと見直されてよい。
先進諸国の自発的拠金による年間せいぜい五億ドル程度の地味な事業だが、政治色が全くなく、ヒモもつかず、人口一人当たり国民所得に基づいて公平に支出されるこの計画の援助は、まさに理想的なものである。
何万、何十万単位のわずかな金額でも、一番末端の、本当に困っている地域にしみ通って人々を救っているその効果は、大変なものらしい。今後日本が対外援助に力を入れて行くつもりなら、こういう機関にこそ気分良く金を出すことを考えたらよい。
その日本が安保理当選に際して意外にアフリカの票が集まらなかったことから、南ア問題がらみでアフリカの日本を見る目がさめてきたのでは、という危惧(きぐ)も一部で抱かれたという。しかし、今度の会議に出席したアフリカ数か国の代表からは、そんな気配はみじんもうかがわれなかった。素直に好意と信頼を示し、自国代表が日本に一票を投じたかどうかなど、問題にもしなかった。
現地の人々はまた日本の進出企業を通して日本を知り、その経済、技術力を称賛している程度である。国連代表が何かのはずみで日本に反対票を投じることがあっても、その国の政策として日本の動きに敏感に反応するといった段階まで来ていないだろう。政治的効果や国連での表決の際の票の数を気にしない無私の協力と援助こそ、日本がアフリカの信頼にこたえる道だと思う。
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