1994/09/28 毎日新聞朝刊
国連安保理・常任理事国入りをめぐる近年の動き
<常任理事国入りをめぐる近年の動き>=肩書は当時
(1945年)
国際連合発足
(56年)
日本が国連加盟
(58年)
日本が初めて安保理非常任理事国に
(92年)
1.31
宮沢喜一首相が国連安保理首脳会議(安保理サミット)で常任理事国入りに意欲を示す
(93年)
6.30
米国が日独の常任理入りを要請する安保理改革案を国連に提出
7.6
宮沢内閣が安保理改革への意見書を閣議決定し、国連に提出。「なし得る限り」「憲法の枠内」の限定をつけ、「責任を果たす用意がある」と常任理への意欲を示す
9.27
細川護煕首相が国連総会演説で「なし得る限りの責任を果たす用意がある」と述べる
12.3
国連総会で安保理改組作業部会設置を決議
12.20
来日したガリ国連事務総長が細川首相と会談、「国連平和維持活動(PKO)参加が常任理入りの条件にならない」との見解を示す
(94年)
6.8
小和田恒国連大使が作業部会で「我が国は、安保理の常任理事国として、世界の安全と安定のため、なし得る限りの責任を果たしていきたい」と発言。国連の場での「常任理事国」という直接的表現の使用は初めて
6.29
自民、社会、さきがけの共同政権構想で「国連改革の進展、アジア近隣諸国の推薦状況と国民的合意を踏まえて慎重に対処する」
6.30
河野洋平副総理・外相が就任会見で、「国民の理解なしに決めるには問題は大きすぎる」と慎重
7.1
村山富市首相が初会見、「アジアの国々からも理解され理事国入りできるよう努力すべきだ」
7.12
ドイツ連邦憲法裁判所が、連邦軍の北大西洋条約機構(NATO)域外派兵に合憲判決。常任理入りに前進と受け止められる
7.14
田中秀征さきがけ代表代行が講演で、常任理入り問題で「外務省独走」と批判。首相の私的諮問機関の設置を提唱
7.18
村山首相が所信表明演説で「アジア近隣諸国をはじめとする国際社会の支持と国民的理解」を前提条件として示す▽来日中のインサナリ国連総会議長(作業部会議長)が河野外相との会談で日本の常任理入りに理解を示す
8.5
常任理入りに慎重な自民、社会、さきがけ3党の国会議員有志が「国連常任理事国入りを考える会」(会長・小泉純一郎元郵政相)を旗揚げ
8.25
河野外相が講演で「日本が国際社会で果たす責任を回避してはならない」とアジア諸国の支持など3条件を前提に常任理入りの意欲を明確に
8.27
村山首相マレーシア訪問の際、マハティール首相が日本の常任理入り支持を表明
8.29
河野外相がニューヨークで記者団に常任理入りに関し「軍事貢献はできない」と明言
8.30
ガリ事務総長が記者団に「憲法の制約がある加盟国には軍事的貢献は義務ではない」
9.5
旧連立勢力が新・新党の基本理念を発表。常任理入り明記は見送り
9.9
与党外務調整会議(清水澄子座長)が外相国連演説で「憲法の理念に基づき、武力行使を目的とする軍事行動に参加できない」などの条件つきで常任理入りに立候補表明することで合意
9.10
村山首相が記者会見で「平和憲法があり、何ができるかできないか、検討しなければならない」
9.13
政府が閣僚懇談会で、与党合意に基づく外相国連演説を了承▽ガリ事務総長が記者会見で「日本が拒否権を持って参加することが安保理強化につながる」と表明
9.16
村山首相が参院決算委員会で「常任理事国入りにいささかもちゅうちょしてはいけない」「(国連平和維持軍=PKF)すべてが軍事的行動に入るとは思っていない」と踏み込む
(9.27)
河野外相が国連総会で常任理に立候補表明
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