1993/03/13 毎日新聞朝刊
<新時代の国連>/2 モザンビーク派遣 慎重貫いた首相官邸
「アフリカにもPKO(国連平和維持活動)を出すことが望ましいと思われます。現地の期待も大きいものがあります」
「ところでモザンビークに大使館はありましたかな」
三日後にガリ国連事務総長来日を控えた二月十二日午後。首相官邸で開かれた勉強会の席上、宮沢喜一首相は、国連モザンビーク活動(ONUMOZ)への自衛隊参加の外交的意義を説く外務省幹部に問い返した。首相は、モザンビークに大使館はなく隣国のジンバブエ大使館が業務を兼ねている事実は知っていたはず。「PKO参加にあたっては可能な限りの準備が必要」(首相周辺)との考えを宮沢流言い回しで伝えたかったものと思われる。
自衛隊派遣をめぐる政府部内での検討開始から調査団(団長、小西正樹外務省国連局審議官)派遣決定に至る一カ月余り。PKOを外交手段として活用したい外務省と、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)協力の成功まで自衛隊の新規PKO参加には慎重を期したい首相官邸の思惑がぶつかり合った。
確執の予兆はあった。昨年末以降、外務省首脳から日本のPKO拡大を求める発言が相次いだ。渡辺美智雄副総理・外相は今年一月、今国会でのPKO協力法の平和維持軍(PKF)部分凍結解除を主張、柿沢弘治外務政務次官もPKO参加五原則の緩和などを提案した。これに対して首相官邸は敏感に反応。東南アジア諸国連合(ASEAN)訪問中の首相が「図に乗るようなことがあってはならない」とPKFの早期凍結解除論にクギを刺し、河野洋平官房長官も外相の集団的安全保障とPKFへの積極参加論に「誤解を与える発言は慎むべきだ」と注意を喚起した。
湾岸戦争後の国連イラク・クウェート監視団(UNIKOM)以来、「全紛争当事者の受け入れ合意」など伝統的PKOの「慣習」が崩れた。マケドニアでのPKO予防展開、ソマリアで展開予定の重装備の第二次国連ソマリア活動(UNOSOM2)。PKOのこうした変質を前に外相は「(日本は)非常に立ち遅れている」との思いを募らせていた。「モザンビークの穏やかな部門への自衛隊派遣でPKOを定着させ、世論の成熟を促進したい」。外務省や国際平和協力本部事務局には、PKO協力法の枠内で参加可能なONUMOZへの自衛隊派遣をポストUNTACへの「つなぎ」として実現したいとの狙いがあった。
だが首相官邸は、ゴーサインは出さなかった。「カンボジアのPKOを成功させることが第一ではないか」。アフリカ訪問から帰国し、ONUMOZ参加を力説する柿沢次官に河野官房長官はこう反論した。プノンペン政府軍のポル・ポト派拠点攻撃が明るみに出て、首相官邸サイドは「万一事故があればPKOに対する国民世論の支持は一気に後退する」(首相周辺)との懸念を強めていたさなかでもあった。それに加え「国連の要請があり、五原則に適合しているからといって、どこにでも派遣するわけにはいかない。政治判断が必要だ」(政府首脳)との考えから、これを機にPKO参加の日本としての基準を確立したいとの思いもあった。
ONUMOZ参加に期待を表明したガリ事務総長に、首相は「憲法は国民に浸透している」と日本の立場を強調した。国連の要請があれば、いつも無条件に応じていくわけではないという「主体性」確保の意図がくみとれた。
首相側近が「いまの内閣・党の陣容は戦争をしない体制だ」と強調する一方で、外務省サイドからは「社会党のような官邸」という声も聞こえてくる。その官邸主導で派遣された調査団は十六日帰国する。調査結果が自衛隊派遣見送りの単なる方便に終わるのか、あるいは将来の国際貢献への重要な教訓を引き出すきっかけとなるのか、その政治判断が問われている。
(政治部・福島良典)=つづく
◇メモ
【国連財政】
各国別に分担率の決まっている通常予算(2年ごとに編成)は、1992―93年度で24億6800万ドル。日本の分担率は12.5%で、米国(25%)に次ぐ。以下ドイツ(8.9%)ロシア(6.7%)フランス(6%)英国(5%)の順。米国(約2億4000万ドル)を筆頭に通算約5億ドルが滞納されている。このほか各国の任意拠出金や関連機関も含めると全体の年間予算は60億ドルを超える。
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