1992/02/02 毎日新聞朝刊
[社説]国連安保理サミットと日本
ニューヨークの国連本部で開かれた国連安全保障理事会首脳会議(安保理サミット)の目的と成果を考えてみたい。首脳外交の華やかさの陰に、見逃すことのできない、いくつかの重要な問題点が隠されている、と思うからだ。
第一は安保理の国連、あるいは国際社会の中での役割について、果たして参加各国の首脳はどんな認識を持っているのか、という問題である。
安保理サミットが採択した最終宣言(議長声明)によれば、サミットの目的は「国際的な平和と安全の維持における安保理の責任」を協議するためのものであった。
この安保理の責任とは「国連加盟国は国際的な平和及び安全の維持に関する重要な責任を安保理に負わせるものとし、かつ安保理がこの責任に基づく義務を果たすに当たって加盟国に代わって行動することに同意する」と定めた国連憲章の第二四条を指す。
さらに同第二五条には「国連加盟国は安保理の決定をこの憲章に従って受諾し、かつ履行することに同意する」とある。これは、安保理決議に「強制力」のあることを認めた条項にほかならない。安保理のメンバー国、とりわけ米国をはじめとする五常任理事国が特別視されるのはこのためだ。
一九九一年の国連年次報告でデクエヤル事務総長(当時)は「国連は長年にわたる沈滞期に終止符を打った」と宣言したが、この報告は、米ソ両国が冷戦下での対決姿勢から一転して、協調に移り、湾岸戦争で国連、特に安保理がこの第一義的な役割を再生、復活させた事実を踏まえたものであった。
国連が冷戦世界で、米ソ両軍事超大国の強い影響を受け、本来、目指すはずであった「集団安全保障」体制としての機能を大きく後退させたことはだれもが知るところだ。その代わりに、より穏健な「国連平和維持活動」(PKO)が重視されてきたのである。
第二に注目すべきは、この復活、再生される国連、そして安保理が、今後、どんな活動を強化しようとしているのか、という点だ。これは、国連を取り巻く時代認識と密接に関係する。
議長声明はイラクに侵略されたクウェートの主権の回復における国連の役割など「歓迎すべき(世界の)変化」の一方で、「安定と安全保障に新たな危険」が発生している、と指摘している。特定の国名こそ、ここでは挙げていないが、「国家構造の変化」という言葉が旧ソ連邦の解体を指しているのは明らかだろう。
国連は、冷戦下での平和維持活動に加えて、これから、本来の平和構築のための活動(PMO)と本格的に取り組もうとしているのだ。
議長声明が「国際社会は平和の探求において新たな挑戦に直面している。すべての国連加盟国は国連がこの決定的な段階において中心的な役割を担うことを期待している」と訴えたのはまさにこのことである。
こうした状況、時代認識と安保理サミットでの宮沢首相の演説は果たして適切にかみ合っていたのだろうか。
宮沢首相は「憲章の一部には冷戦より古い一九四五年の国連創設当時の状況を前提としたものがある」と第二次大戦中の日本などの旧同盟諸国を敵視したいわゆる敵国条項の撤廃を迫り、「その機能、組織の在り方」という形で、日本の常任理事国入りへの意欲を表明した、といわれる。
宮沢演説の意図が他の首脳たちに理解された、と伝える外電は皆無だ。
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