分科会7 三川町
誰もがこの地域で生きていくために
支えあう力(障害者への理解とボランティア)
コーディネーター 成田 春洋(であいの家“あうん”・青森県)
事例報告者
飯野 美世枝(糸蔵楽 職親・三川町)
木村 和子(ホームヘルパー・三川町)
舟山 英子(共同作業所・山形県)
1. ねらい
障害者が地域で暮らすためにはさまざまなしかけが必要である。障害者が地域で安心して生活するためにはどんなサポートができるのか、地域がどう変わればよいのかを事例発表や障害者の活動ビデオをみて皆で考えたい。障害者への理解は障害者の生活が見えてこないと進まないのです。
2. 話し合いの記録
事例1(障害者を持つ親)
子どもが、高等養護学校に通うようになって仲間ができ、楽しく通っていたので親としては安心だった。高等養護学校卒業後、糸蔵楽に通うようになり、生活のリズムができた。障害を持っている子どもに対し、家族は手をかけ過ぎたきらいがあるので、これからは、1人で生きていくための生活力を身につけさせることが大切と思っている。
*コメント 養護学校を卒業し在宅になった時に、親は戸惑うことが多い。
事例2(糸蔵楽 職親)
つづれ織りをとおして世の中に恩返しをしたいと、職親となって障害者につづれ織りを教えることを決心する。障害者にもすばらしい感性があり、つづれ織りをとおして自己確立と自立の手助けをしたいと思っている。子供たちが安心して、安定して働ける場として、小規模作業所をつくりたい。障害者を地域で支えるという考えを基本に地域の支援を気軽に受け入れられる体制を整え施設づくりをしたい。
*コメント 小規模作業所は、国、県、町から補助金をもらったとしても、職員に給料を払うとそれだけで運営は困難となってしまう。補助金は毎年確実にもらえるものとは限らない。
国の施策では、小規模作業所は減らす方向にあり、作業所の運営については、支援費制度を活用しないと地域の中で共に暮らしいくようにするのはますますむずかしくなってくる。
事例3(共同作業所施設長)
障害者にとって社会的刺激はリハビリとなる。たとえ重症の障害を持っていても、親としては同世代の子どもと一緒の時間を過ごさせてやりたいと思う。高等養護学校を卒業しても1/3は社会に飛び立つが、1/3は施設に、1/3は在宅で暮らすのが現状である。福祉は与えられるものではなく皆でつくりあげていくものである。
小規模作業所は、法人格をとらないと今後ますます運営がむずかしくなってくる。支援費制度を取り入れる作業所とするためには、作業室、食事の部屋、休憩室を設ける他、給食を出せることが条件となる。(給食は、自分のところで作らなくとも他から取り寄せてもよい)
ボランティアについて・・・やれる時にやれる事を、金を出す、力を出す、資源を出す、しかし口出しするのは一番邪魔になります。
*コメント 親が本気になって障害者の子どもに関わることで、互いに学習し成長していく。障害者にとっての4つの大きな障害は
1 情報文化(情報の伝達、収集等)
2 制度(障害があるために資格がとれない等の法的制約)
3 環境(ハード面で)
4 意識 支援費制度が15年度より始まり、市町村のやる気と力量がますます問われるが、家族を含めた当事者が声を大にしていかないと行政は変わらない。
●まとめ
小規模作業所を地域でどう育てていくか、障害者が人生をどのように過ごすかということが根本になければならない。障害者の日中の活動の場所、親から離れてからの生活、楽しみを持って暮らす生きがいづくりなどいろいろ考えなければならないことがある。施設が暮らしの中心から、施設の地域化が必要となる。福祉は幸福づくり、やむなく施設で暮らさなければならない人には、一般の人以上の環境が用意される必要がある。福祉文化について一言。福祉文化とは、個が大切にされ一人ひとりの夢や希望を紡ぐ創造性豊かな地域で続けられている実践的でヒューマンな幸福づくりといえる。地域福祉、文化という視点で、仕事、学習、趣味、ボランティア活動を、やりたいと思う時やりたいことを、自分にできる方法で仲間とともに福祉文化を創造していく必要がある。福祉の文化化、文化の福祉化は生きがいづくりそのもので生きがいづくりのサポートともなっている。
徳島県因島の親の会が掲げた目標
1 我が子の成長より一歩先の取り組みをしよう。
2 自分たちでやれることはやり、実行できないことは応援を求めよう。
3 親がやらなきゃ誰がやる。
これらを目標に掲げ障害児教育の取り組みを行い、地元に密着した活動を行っている。見えないと誰もわからない、見えるから応援のし甲斐がある。生きるということは、誰かに借りをつくっている。だから生きていられる。これから生きていこうということは、借りた借りを誰かに返す。誰かに借りたら、誰かに返そう。借りた人に返さなくとも誰でもよい。
3. 成果
障害者特に知的障害者のことについては普段あまり考えることがなかった。障害者を持つ家族の悩み、問題等をじかに当事者から聞くことで障害者への理解が深まったように思う。また小規模作業所がなぜ必要か、作業所の運営は非常に厳しいこと等が理解され、地域での支援の大切さがあらためて認識されたと思う。
4. 課題
・障害者の家族がもっと地域にでて、住民に作業所の必要性を訴えることが必要である。
・作業所の必要性を広く住民に理解してもらうための方法を、もう少し工夫すべきだ。
・町、糸蔵楽、社協が連携して作業所づくりを進める必要がある。
5. 参加者の声
・障害者を理解するひとつのきっかけとなった。
・小規模作業所がなぜ必要かがよくわからなかった。
・コーディネーターの話はわかりやすく、スムーズに研修会が進められたと思う。
・行政の関係者が分科会にいなかったのはさびしかった。
・障害者と高齢者には共通する問題が多くあり、総合的に考えていかねばならないことであると感じた。
・地域交流会での納豆汁、翌日の手のこんだお弁当、とてもおいしかった。
6. 運営サイドから
分科会は他県から来る人でいっぱいになると思っていたがそうはならなかった。その分地元から多くの人に分科会に出てもらったので、町民の障害者への理解は、深まったように思う。
分科会参加者へ、何かひとつでも心に残るものを持ち帰っていただきたいと努力はしたのですが、果たしてどうだったでしょうか。納豆汁と弁当は本当に皆さんから喜んでいただいたと思っております。
障害者への地域支援や、小規模作業所について、普段勉強不足だったので、今回の全V研は気づきの部分で大変ためになったし、重い課題を背負わされたような気がします。
分科会の持ち方は検討を要するのではないでしょうか。なぜなら、分科会参加者が他県の人でいっばいになっていたら地元の人の入る余地がなくなり、地域で開催するメリットがなくなるのではないかと思いました。地域の人がボランティアとして運営に関わるのみでは、あんなに大騒ぎして地域で開催することの意義が薄れると思います。
「人」と「想い」を編むまちづくりを考える
男が元気なまちに学ぼう
コーディネーター 加藤 哲夫(せんだい・みやぎNPOセンター)
事例報告者
菅井 正人(朝日町エコミュージアム協会)
鈴木 繁(藤島町ボランティア連絡協議会)
1. ねらい
藤島町は何故か男性ボランティアの参加率が高い。長引く不況、リストラの嵐・・・《とりあえず女性はいつも元気!?》こんな時代に男が元気な町がある。分科会開催までに、私たちの町での実際の地域活動、人財の発掘を通した「マップ作り」を展開する。そのプロセスから得た「学び」と「発見」を皆さんと一緒に考えてみたい。
2. 話し合いの記録
(1)藤島町ボランティア連絡協議会 鈴木繁
全国ボランティア研究集会の分科会に向けて、3回のワークショップを企画した。このワークショップを通しての、藤島町の地域の再発見の活動のプロセスを事例として発表。
平成14年11月6日に、第1回目のワークショップとして、「〜人に触れる、土地に触れる〜」をテーマに藤島町の文化財・自然の探検を行った。講師として庄内総合支庁森林整備課に勤め、樹木医でもある主任専門林業改良指導員梅津勘一氏を招き、藤島町に現存する大木について解説して頂いた。
藤島町の町内各地には、これまでの町の歴史を見守ってきた大木がいくつか現存する。
また、多くの獅子舞・神楽が伝承しており、各集落の町民により保存されている。また、町内の2つの小学校(渡前小学校、東栄小学校)では、課外授業として児童が各地区に伝承している獅子舞を習っている。地区の保存会の方々は、ボランティアで児童の指導にあたっている。他にも様々な地域活動がある。
平成15年1月18日には、第2回目のワークショップが開催された。「食を楽しむ!生活を楽しむ!エンジョイボランティア!〜地産地消、スローフードの観点から豊かに手をかける楽しさの発見〜」をテーマに行われた。地産地消・スローフードの観点から、普段何気なく食卓にのぼる食材・料理について再発見し、また、それを作る食名人を発見することを目的に行われた。講師は、東京第一ホテル鶴岡の総料理長を務める古庄浩氏を迎え、講演と実演をして頂いた。実演では、参加者が持ち寄った食材・漬け物を用い、即席でピラフを作って頂き、試食を行った。
第3回目のワークショップとしては、地域通貨を予定している。隣の鶴岡市では、金銭的価値を伴わない「エコマネー」を発行しており、ボランティアをしてもらった人とした人で遣り取りをしているとのことで、全V研を終え「ふりかえり」を交えながら、地域通貨についての勉強会を開催する予定である。
ワークショップを通して、きちんと認識していないだけで多くの資源があることを再認識することができた。町の資産について町民が認識することがまちづくりの第一歩につながるのではないか。
【ディスカッション】
・ワークショップを行ったあと、第1回目のワークショップで探検した、巨木(藤:町の花)の成り立ちに興味を持ち、花の咲く5月頃にもう一度探索予定である。町民でも知らない、見たことがない自然・大木が多くあることが分かった。
・藤島町では、子どもが親や家族が何の・どういう仕事をしているのか見せることが可能な状況にあり、恵まれているのではないか。
・豊かさ・人のつきあい方(自然・風土)により、生活を楽しみながら、ボランティアを行っている。
(2)朝日町エコミュージアム協会 菅井正人
エコミュージアムとは・・・
新しい博物館学の考えで、「エコロジー(ecology: 生態学)」と「ミュージアム(museum: 博物館)」の2つを組み合わせた造語である。これまでの博物館のように物を集めて建物の中で展示するのではなく、「住民と行政が一体となって地域の生活、自然、文化など歴史的に研究し、現地で保存・育成することによって地域の発展に役立つ博物館」となっている。そのため、「屋根のない博物館」や「町全体が博物館」とも呼ばれる。
朝日町では、日本初のエコミュージアムに行政とNPOが共同で取り組んでいる。高度経済成長の中、都市部にばかり目がいく状況に疑問を感じ、地域の良いところにもっと目を向けようと3人でエコミュージアム研究会が作られた。その後、勉強会やシンポジウムの開催、調査研究などの活動により徐々にエコミュージアムの考えが広がっていった。
このような状況の中、行政でも第3次総合開発基本構想にエコミュージアムの考えが取り入れられ、1991年にはエコミュージアム基本構想が作成された。町を町民がよく知ることにより、誇りを持って生活できるまちづくりを提案している。
平成12年に法人化した朝日町エコミュージアム(会員約40名)は、朝日町の身近な資源を使って、楽しく、しっかりと暮らそうという目的のもと作られたゆるやかな組織である。ただし、ある程度明確な目的を示し、チームワークを大事にしている。そのため、会員のつながりを重視し、横の関係を強化した部会制度と班活動というスタイルをとり、やりたいこと、やれることが見つけられるよう工夫している。
NPOの主な活動内容は、地域資源の調査研究・発掘のほか、これらの情報を町民に還元する各種イベントやエコミュージアムの普及啓発事業を行っている。また、平成12年に行政により建設されたエコミュージアムコアセンターでは、NPOが常勤者を設け、地域に点在する独立した資源「サテライト」の案内や視察の対応を町からの委託で行っている。
まちづくりのポイントとして以下の5つがある。
(1)地域資源の徹底した調査研究と評価をしながら進めている。
(2)主役はあくまでもNPOではなく、生活者、朝日町に住んでいる人が主役であると考えている。
(3)楽しくイメージできる、参加しやすいテーマで行事を行っている(例えば、料理研究会の場合、「大きなお茶のみ大会」とすると、お年寄りから子どもまで参加する)
(4)やれないことをがんばってするのではボランティアにならないので、「やれること、したいこと」と「したほうが良いこと」をして参加している。
(5)これら調査研究・事業について、地域資源のカルタや冊子(年間1〜2冊)にまとめ、情報を発信している。このように1年間の締めくくりをし、情報の共有化をすることもまちづくりのポイントである。
地域の良さを見直し、地域の自然、文化、歴史に誇りを持っていこうというエコミュージアムにゴールはないが、少しずつ日本初のエコミュージアムが姿を見せつつある。
【ディスカッション】
・まちづくりは、町の企画課でやることをやってもらっているようなものであるという感想が、とても象徴的であると思う。まちづくりは役所がやることだと私たちは思っている時代が長かったが、たった3人の活動から始まったことが、今、町の看板になっている。自分の町について自らまちづくりに関わっていくことが、これからは必要ではないか。
・行政は住民のこのような活動の出先機関のようでなければならないのではないか。
・朝日町エコミュージアムの活動のキーワードは、「編集」であると思う。地域にある宝物や資源や活動や歴史を掘り起こすことは他でも行っているが、朝日町は、その全体を統一した理念(エコミュージアム)により「編集」という情報の処理をしている。バラバラにこういうものもあると提示されたのではなく、編集し情報が提供されるので説明を聞いても納得しやすい。エコミュージアムという形をとらなくても、基本的に自分の町を一つの形で編集しその活動を進化させていくことができると、まちづくり活動は非常に成長しやすいのではないか。
・地元の人が地元のことを学ぶことは、生活を豊かにする上で重要なことではないか。
・エコミュージアムのコンセプトの成果としては、決して立派な建物ができたわけでもなく、一つひとつは調査中・進行中であるが、進行途中のその先に理想の状態が見えることだと思う。
ワークショップ 藁工芸部会
藁工芸部会では、先人の知恵、技をいかに伝承していくのかを考えながら活動している。また、小学校・中学校や町内会からの要請に応じて藁細工の講習会を実施。
3. 成果
・エコミュージアムの発表は、地域資源の豊かさを「編集」した実践報告だった。藤島であらためて発見した豊かさを「ボランティアの活動を通じてどのように編んでいくのか」が見えてきたことが分科会参加者の元気の素になった。朝日町に行ってみたいという参加者の声の多さに分科会の成果を実感した。
4. 課題
・全V研を通じて得た「気づき」がボランティア活動の中で成長し、どのように私たち自身の本当の「豊かさ」につながるのか。
・町づくりを考える上で、町の理想の状態とはどういう者なのか、町民が共有していく必要があると思う。そのためには、活動成果の見える者を「かたち」にしていく必要がある。
5. 参加者の声
・事例発表を聞き、藤島町と朝日町を見学してみたいと思った。
・エコミュージアムについてもっと掘り下げて勉強してみたい。
・地元の名所を地元の人が知らないのはどこも同じである。
・これからは、地元のよいところを見るようにしたい。
・郷土カルタは、地元の名所・よいところを知ることができる物で、復活させて、子どもも大人も地元の良さを再確認してはどうか。
・この分科会を選んだ理由は、ボランティア活動をしている方は女性が多いが、男が元気な町とはどういう町なのかを興味を持ったためである。藤島町や朝日町など男性も活動に積極的に参加しているところは、町を取り込んだ活動をしているように感じる。
・藤島町の男性が元気なのは、男性が様々なボランティア活動に関わっているからではないか。
・ワークショップの藁細工では、たった4本の藁で馬を作ることができ、また、縄ないも楽しかった。
・毎日食べている、農家以外の人から見ると捨てている部分(藁)で、いろいろな物になることを知り、先人の知恵を実感した。
・個人的には、グリーンツーリズムに興味があるのだが、地元の人がもっと人を集める工夫をすることが必要ではないか。
・藁が身近なことに使われていた個を知った。
6. 運営サイドから
「藤島町に全国に誇れるものがあるだろうか」「藤島にはないもないのでは・・・」というところから出発した、今回のマップづくりだった。実際に実行委員のメンバーと見慣れた藤島町を探検するプロセスから「始めてきた場所」があり「土地を大切に感じている活動」が見えてきた。分科会が終わりメンバーの表情が明るくいきいきしていることにほっとした気分になった。
それも加藤先生のコーディネートの力とあらためて感謝しながら、全国集会の意味の大きさを感じている。
感性をとぎすまし、ボランティア精神の原点をみつめる
雪の羽黒山、その奉仕の精神文化に学ぶ
コーディネーター 小松 光一(グローバル地域研究所・東京都)
事例報告者
芳賀 亀雄(いでは観光ボランティア・羽黒町)
豊田 廣雄(いでは観光ボランティア・羽黒町)
1. ねらい
山伏修行体験によってボランティア精神の原点を探り、自然との共生を感じ取る。
2. 話し合いの記録
ディスカッション「山伏修験と山伏修行」
小松 お二人から山伏修験と山伏修行について話してほしい。
芳賀 16歳から出羽三山で奉仕してきた。昭和62年に山伏修行に入った。その間冬の峰、百日勤行も体験。自分にとっては三山史を発行した高橋宮司が基礎になっている。江戸時代に4回も大災がおきた。落雷と護摩を焚くために火をつかうのが原因。神社の峰中が始まったのは明治9年。
豊田 平成7年に観光ガイドを設立し、活動を始めた。ガイドには時間の制限がある。羽黒山は神をまつった御山である。廃仏毀釈が出る前は神仏習合の御山であったため、仏堂もある。また修験道の道場でもある。日本は神の国である。
山岳信仰・・・593年 蜂子皇子が開山
羽黒山 観音霊場
月山 阿弥陀如来
湯殿山 大日如来
修験道・・・平安時代末期から室町時代に山伏たちが布教活動し、全国の山伏達の情報の発信地でもあった。
湯殿山は三山の奥の院といわれていた。
三山(さんやま)・・・羽黒山、月山、葉山
現在、過去、未来の御山、過去の罪、穢れを落とし、湯殿山で生まれ変わる。昔は四季折々の修行があったが、現在は秋の峰、冬の峰が残っている。秋の峰に15回ほど参加した。
小松 この村はすべての人が修行しているのか。
豊田 そうでもない。修行も階級が上がっていく。
小松 宿坊の人すべてが修行しているのか。
豊田 1〜2回はしている。
小松 修行している人の集まり。村全体が学ぶシステムになっている。巨大な学校ですね。
豊田 そうですね。
小松 ありがとうございました。今、羽黒山の歴史と修験についてお聞きしました。それでは、これから2枚紙を配りますので、1枚には感想を書いて、2枚目には質問を書いて下さい。5分間でお願いします。質問にはガイドの皆さんが答えて下さいね。
6つのグループにわかれワークショップ。
それぞれのグループで多種多様な話し合いがなされる。その後1人ずつ感想を発表。
小松 羽黒山があって羽黒町がある。羽黒曼荼羅ということができる。非常に濃厚な地域。たくさんの修行者がいる。これは人材のストック。ボランティアは単なる奉仕ではない。福祉だけではない。山に入っていく、野草の勉強をする、医者の役割もする。この地域の若者は山に入って一人前になる、大人になる。元服の式をちゃんとしている。学びの場がある。つまり、学校である。山伏はこの時期全国に散らばっている。日本中の情報が集まってくる。情報のストック、知恵の集まり、そして夏になると各地から宿坊にお参りに来て、泊まる。グリーンツーリズムの原点がここにある。単に宗教だけでなく、暮らしにつながっている。
権力に縛られない、自立している、これがボランティアの役割。羽黒山の釣鐘、戦争に行かない釣鐘、これは非戦のシンボルである。羽黒山のご神体は稲倉魂命(いなくらたまのかみ)、つまり米の神である。地域の神を大事に、誇りにしてきた。五重の塔に驚いた。「平将門」は国賊であるが、大切に守ってきた。権力に屈しない、自立した感じを受ける。
山伏の衣装は、ヒンズー教の衣装と同じ。インドから来た。白が善で黒が悪。人間には善も悪もあることを描いた衣装になっている。ということで、非常にグローバルなものを持ちながら、地域に根ざしている。それはまさに、いろんな情報を集めてきた知恵の結晶、そういう点ではまちづくりだ。ということで、まさにこの地域はボランタリーなものを持っているのである。
それでは最後にお二人から一言ずつ。
芳賀 今日はどうもありがとう。ボランティアの原点は、松例祭にあると思う。どこに働きに行っても必ずこの祭りに帰ってくる。大神様に感謝の気持ちをもって奉仕する。ボランティアの原点はここにある。
豊田 山伏たちが受け持ちを回る時も始めと終わりの区別があった。年越しの1週間前と5月5日の坂迎えまでは帰るといわれていた。祭りの日まで檀家の情報を持って帰れということだった。以前鈴木健二アナウンサーから聞いたが、ボランティアが奉仕的精神と訳されているのは日本だけ。そこに生まれ生活している愛郷心がボランティア。私たちガイドは若干の報酬はいただいている。元気なうちは続けていきたい。今日はどうもありがとう。
3. 成果
ワークショップ形式をとることによって参加者全員が抵抗なく話をすることができ、修験と修行について学ぶことができた。また、観光ガイドにとっても、今後の活動を考えるいい機会になった。
4. 課題
・世代間のギャップがあり、今後どのようにして伝統を守っていくか。
・無形文化財をどのように残していくか。
・保守的で、他のものを受け入れないという要素もある。
5. 参加者の声
・山岳宗教についての文献少ない。肉付けされた生きている生活文化を感じた。来て良かった。
・羽黒山に登って普段とは違う何かを感じた。
・悟りの境地になったのか、普段の生活がどうなのかと思った。現代は雑音が多いが、精神を鍛えることはできるという豊田さんの話を聞いてほっとした。
・短い体験の中で素直に入ってきた。戦時中も修行が続いていたと聞いて驚いた。
・地元に帰ったら素直になったから、また山形に行って来いと言われるだろう。自分にこんな一面があったのかと思った。あたたかいもてなしをどうもありがとう。
・修行体験をした人は、皆悟ったいい顔で帰っていくそうだ。体験者は中高年が多いと聞き、時代背景が関係しているのではないかと思った。
・入り口で迎えてくれた笑顔がよかった。紙芝居をみせてもらったが、是非若い世代に受け継いでいってほしい。あたたかい心に感謝、感謝。
・難しかったが私たちにも分かるように話をしてくれた。もっと知識を身につけてまた羽黒町に来たい。
・日本のことを外国の人に伝えるものが私たちの世代にはない。修験の文化についてこれからの若い人は貪欲にどう生き延びていくのか。日本の文化は?また修行体験に来たい。
・充実した一日だった。ありがとう。また来たい。
6. 運営サイドから
ワークショップの雰囲気がすごくよく、参加者ひとりひとりの声が聞けてよかった。
今回は山頂までは断念したが、また別の機会に是非羽黒山に登ってほしい。
参加者の皆さんから「来て良かった」と言っていただき、大変うれしかった。
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