分科会1 遊佐町
命(いのち)の森を次世代に
公益の森を地域の手で再生
コーディネーター 呉 尚浩(東北公益文科大学専任講師・酒田市)
事例報告者 佐藤 豊昭(砂丘地砂防林環境整備推進協議会長・遊佐町)
梅津 勘一(庄内総合支庁森林整備課・山形県)
永井 雄人(白神山地を守る会代表理事・青森県)
1. ねらい
庄内砂丘に連なる広大な黒松の砂防林。約300年前から地域の人々が植林し守り育ててきた日本有数の松林が今、人々の生活や意識の多様化、松くい虫の被害などにより、大きな変化を迎えています。
松林を遺産として次世代に引き継ぐため、庄内の人々は保全のために活動を始めました。人、生き物の営みに欠かすことのできない森。
また、同じように自然を守る活動をしている他県のサークル、個人の様々な事例を聞くことで森について考えていきましょう。
2. 話し合いの記録
梅津勘一氏
庄内砂丘は、世界に誇れる場所であり、くらしにかかわっている。300年かかって砂防林を作り上げてきているからこそすぐれた遺産といえるひとつである。
現在では、学校教育の総合学習で松林についてとりあげられてきている。また、様々な活動団体が結成され行政主導の地域活動から団体結成が行われてきている。
酒田市の十坂小学校の事例をあげる。きっかけは平成10年11月の大雪だった。松の木が折れる。雪害の木を放置すれば、松くい虫被害が爆発的に増え、砂防林存亡の危機となることが予想される。
平成11年、十坂小学校の親子研修で砂防林づくり森づくりのおもしろさを体験する。平成12年、十坂小学校の5年生の行事として定着する。その年、酒田市で行政主導型のボランティアができる。親子行事から出発し、学校行事、総合学習として公民館、家庭と連携して活動していくことによって地域活動に発展していったのだ。自分たちの暮らしを守ってくれている砂防林を自分たちの手で守り育てていかなければならない。小学校の学区単位、地域単位で林を守る必要がある。また、若い人、子ども達に松林の必要性を伝えていかなければならない。
佐藤豊昭氏
1746年、佐藤藤蔵氏が始めた偉業である。平成9年、砂丘地砂防林環境整備推進協議会を立ち上げた。県からの指定学校である西遊佐小学校と連携して行った。子どもががんばると親、祖父母もがんばるものである。ボランティアで4年間がんばってやっと植林ができる状態になった。メディアの活用も大切である。
なぜこのような状態になったのか。考えられる原因は、地球の温暖化、酸性雨、燃料革命、生活様式の変化である。松がお金にならなくなった。
このような要因を考えて、自分たちができることを考えてみると、行政と住民の一体化、管理道路をつける、伐倒駆除、薬剤散布があげられる。
庄内地方は、風速10m以上が一年で90日以上ある。冬期間は3日に1日は10mである。松がなくなり広葉樹だけになったらどうなるのだろうか。
永井雄人氏
ぶな林を楽しむ山である。そこでエコロジー(資源に負荷をあたえない)体験ツアーを行っている。子ども達に自然体験をさせたいので、プログラムを作ってほしいという依頼が近年多くなっている。ぶな林の復元も行っている。なたと手ノコを使う。植樹祭も行った。
ぶなは、3〜4年育てた苗木(40cm〜50cm)でないと育たない。500本植えて50本残るか残らないかである。うさぎの災害にもあう。
地元の人たちが、自分たちの山を愛さなければならない。
全国から来る人たちを巻き込んでいる。植樹祭に参加させる。木工体験、牛の乳搾り、チーズ作りなども行っている。
時代につなげるための人づくり。森作りを通して地域づくり。今白神山地の自然保護運動は多くのボランティアの方々によって自然学校として新たなスタートラインに経とうとしている。その運動は、やっと静かな健康的な自然保護の運動の形へと傾斜しようとしている。どう若い人たちにつなげていったらいいか。楽しいというところから始めたい。
その他活動報告
西遊佐小学校
3年生以上が「佐藤藤蔵祭」に参加する。4年生より総合学習として黒松の植林などを体験する。学校の森が枯れてきたことから関心を持ったのがきっかけ。子ども達は最初、林に入れなかった。学校林作り、自然教室など1年間の活動を通して入れるようになった。松を守りたいと思うようになった。どのようにかかわったらいいか考えたところ、松くい虫の防禦になるキツツキを増やしたいということで県から巣箱10基作ってもらった。
鳥海自然ネットワーク
1996年からNPO法人となる。こども自然体験を山から海で行う。東山でつる切りも体験させている。
「森の人」講座実行委員会
森とのつながりが暮らしや心から失われつつある現在、他方では森作りや環境活動が各地にあり、命と自然の価値を育てている人々がいる。そういう森の賢人に学び、森を中心にした人の暮らしと地域の在り方を探っていく講座である。
昼食
庄内のどんがら汁(鱈汁)とおにぎりで昼食をとった。おいしいと好評だった。西遊佐小学校の「砂防林ミュージカル」「クロマツ物語」のビデオを見た。
松林バスツアー
吹浦西楯地区・松、杉枯れ被害地・カミネッコン植栽地・西遊佐小学校学習林・海岸林最前線など現場での議論の大切さを感じた。
秋田県大潟村「福クルミの会」
ポプラは生長が早いが木が柔らかく根が浅い。松は松くい虫がはびこっている「クルミ」がいい。現在長野県の信州大学へ行ってクルミについて学んでいるところだ。組織を運営したことで広報などに取りあげてもらい、会員も増えている。
名古屋「平和公園愛護会」
名古屋市も相談にのってくれるようになった。
庄内海岸黒松たえる会
風のため、根が浮き上がってしまった。現在ネットワークを広げている。
万里の松原に親しむ会
国有林であるが年間計画を立て、活動日の前日に連絡をすれば活動できる。手作りの遊歩道がある。
まとめとして
黒松林は、公益の森として全国へ発信していく。
(行政の役割とは)
・地域の人たちをたくさん取り込んで活動する。
・幅広い人たちから参加してもらうこと。
・総合学習の中で取りあげ、子ども達に関心をもってもらう。そして、自ら枝打ちなどの体験をすることだ(空から黒松を見てみよう・紙芝居作り・ミュージカルなど様々な取り組みがなされている)。
・ボランティアは好きでなくてはできない。
・現場で論議することが大切。
・一住民一市民として行動を起こす「ばか」が必要。
・急ぎすぎているかもしれないが、急がないと間に合わない現状である。
・現場主義。議論してお互いを認める。
・森作りにはぜったいがない。
・命とは何を意味するか。自然の摂理、300年の歴史。人間の命。先人の苦労と思いを引き継いでいる。
・農林家、森林組合、行政による管理とともに市民ボランティア、教育機関が新たな担い手として協働しながらの役割分担が必要で、それが成功しているところでは「共同の力」も大きくなっている。
3. 成果
事例報告者以外のたくさんのサークル、学校、個人の活動報告を聞くことができた。取り組んでいくものは違っても自然を守ること、次世代にどうつなげていくか、人づくりはどのようにしていくかなど話し合うことができた。また、お互いの活動を聞くことで今後の参考になったと思う。子どもを巻き込むことで、大人が変わってくる。総合学習と関連して、子どものころから関心を持つことが大切である。
4. 課題
・地域ボランティアを含めて、黒松の新たな保全の担い手とその体制が求められる。
・ボランティアによる整備の限界。
・生物多様性を重視した病原虫に強い森づくり。
・黒松単純一斉林ではない針広混交林や広葉樹林への自然な遷移をいかした「自然林への誘導」
・自然に対しては、根気がいる。いかに次世代につなげていくかが課題である。
・長く続けるための手だて。
・時代、地域にあったやり方。
・総合学習でメニュー作りをどのようにすすめていくか。
5. 参加者の声
・現地での学習(松林ツアー)は大変良かった。
・昼食のドンガラ汁は、大変おいしかった。
・多くのサークルから活動事例を聞くことができて参考になった。
・たくさんの資料が準備されてありがたい。
6. 運営サイドから
心配された天候も、安定していてまずは一安心。現地にも行けたことがなによりだ。また、予定していた以上に多くのサークル、個人の参加があり活発な意見が出されてよかった。
結論は出せないが、大きな使命を感じるボランティアであることを痛感できた。
移動(移送)サービスは福祉活動の主力
障害を持つ人の本格的な外出支援を目指して
プレゼンテーター 菅原 雄一郎(ライフデザイナー・秋田県)
事例報告者 鈴木 幸子(移動サポートセンター・山形県)
荒生 喜弘(おでかけ会・八幡町)
市川 笑子(移動サービス市民活動全国ネットワーク・東京都)
1. ねらい
「移動サービスは福祉事業の主力。本格的な外出支援を目指して」というテーマで話し合っていきたい。一人で外出が困難な方々が、買い物をしたい、旅行に行きたいと思っても交通手段を考えるとなかなかできない。いきたいときにいつでもいけるような支援を実際にしている方々の話を聞き、利用者の立場に立った責任ある移動(移送)支援サービス、全国広域サービスについて考えていきたい。
2. 話し合いの記録
参加者は移動サービスボランティア、社協、民生委員、町議会議員、ヘルパー、サービス利用者、全国ネット関係者と幅広く、佐賀、埼玉、東京、新潟、秋田、宮城と多方面にわたった。
また、午後からはワークショップタイムが予定されていたが、午前中の事例報告後の質疑応答が活発なため、引き続き質疑応答となった。
その後雪道での移動体験が行われた。
プレゼンテーション「これからの移動介助サービス」
菅原 雄一郎
人間にとってもっとも基本的な者は何かというと衣食住である。次に考えなければならないのが移動。人間にとって移動は必要欠くべからざるものである。特に、障害を持つ人にとっての移動に対するサービスはどうあるべきかを考えてみたい。と同時に、現在行っている人たちのほとんどがボランティアやNPOという言葉の下で活動しているので、基本的なところも含めて話をさせていただきたい。
ボランティアやNPOという言葉が外来語であるが故に、正確に理解することは困難であり、また、その理解については千差万別ではあるが、私自身は・・・ボランティア活動は自分の地域や社会で(そこに住む人にとって)、困ったことがあったり、問題が生じたときに対応するため、同じ意識や価値観をもつ人々が行動する形態と考えている。NPOの活動も同じであろう。
1995年の阪神・淡路大震災直後、行政職員も被害を受けた関係で行政機能がマヒして組織だった救援ができずにいたし、被害を被った市民にしても、考えている余裕もなく「命」への直接活動に邁進していったものである。しかし数日後、命はもちろんのこと、生きるための生活に対する組織だった活動の必要性が出てきて“阪神・淡路大震災 被災地の人々を応援する市民の会”など、各種団体の活動が始まった。全国から多くの人が駆けつけて各種活動に従事したのである。因みに、この年を「ボランティア元年」と称している人もいるし、特定非営利活動促進法(通称:NPO法)ができるきっかけとなったことも事実である。
移動(移送)サービスについては従来、道路運送法第80条との絡みで議論されてきた。これは、タクシー業界など許可を取って営業している人たちの生活権を侵害してはいけないという国の考え方が支配的だからであるが、一方でボランティア活動として行うことに関しては、ガソリン代などの実費と収受することについては「問題があるとして追求するようなことはしない」とのコメントが旧運輸省から出されている。この点に関しては約10年くらい前だと思うが、ボランティアの有償・無償論に終止符を打つため、交通費等を受け取っても実費弁償であり、有償活動にはならない・・・とのコメントを出したのと同じであり、ともに実費弁償としての考え方が定着してきたものと考えている。
行きたい時に、行きたい所へ・・・ということでは「移動サービス市民活動全国ネットワーク」の他に「全国視聴覚障害者外出支援連絡会」などがある。これからは、こういうサービスの利用も一層増えてくるであろう。しかし、移動介助に関するサービスについては、基本的には国が心配しているように“安全性”の確保であろう。秋田では移動介助の時の事故が新聞で報じられた。報道されない事故もある。最近では介助時の脳血管疾患などによる事故も多いと聞く。
障害を持つ人のために・・・という強い気持ちが大切であることに違いはないが、サービスに従事する人の健康管理と安全性確保のための訓練も大切である。
移動サービスのガイドラインなどについては事例発表以降の意見交換で行いたい。
事例報告 おでかけ会 荒生 喜弘
平成6年より自家用車で「まずやらなければ」という気持ちが先で移動サービスを始めました。安全面、法的問題を後回しにした部分はあったのですが、必要に迫られ活動していました。平成11年日本財団より車椅子を乗せる車をいただき、翌年移動サービス「おでかけ会」を発足しました。「いつでも どこでも だれでも」ということで動いていますが、実際には動ける人は少なく、次の日に差し支えるという現実を抱えています。しかしこの分科会をきっかけに参加者とのネットワークを図り、情報交換することにより、安全面、法的問題にも取り組んでいけるものと期待しております。後回しにしていた問題を考える良い機会になったと思っています。
事例報告 全国移動ネット 市川 笑子
まだ移動サービスが全国で始まっていない時に始めたのですが、家に閉じこもっている人にも外に出てもらいたい、病院通いだけでなく「遊び」にも使ってもらいたい。当たり前の生活ができるような支援をしていきたい。そのような移動をサポートしていきたいという目的で始めました。
5年前の夏、ある新聞記事がきっかけとなり議員の方に説明する話し合いの場が設けられ、当時の運輸省の方より「福祉的役割料金であるならば取り締まるつもりはないが、暴利はだめですよ」との言葉をいただきました。
長い名前ですが「移動サービス市民活動全国ネットワーク(通称:全国移動ネット)」と言います。
各地にネットワークをつくり全国に広げていきたいと思っています。「いつでもどこでも行きたい所へ」。この考えのもとで活動し、災害時には食料や生活必需品を運ぶなどの援助も行っていきたいと思っています。一つひとつの芽を大切に「全国移動ネット」を大きくしていきたいと思っています。
事例報告 移動サポートセンター 鈴木 幸子
私が福祉の道に入ったのは、大工だったいとこが転落事故で脊髄損傷になり、そのサポートをするようになったのがきっかけでした。
彼の仕事を手伝っているうちに彼は脊髄を損傷しているだけで、あとは何ら変わらないのだと言うことに気づき、障害も一つの個性なのだと思いました。やがて、ねんりんピックを機会に健常者も障害を持っている人もともにこのユニバーサルデザインの理念でつくっていきたいと思いました。実際に事務局は障害者手帳をもっている人にお願いしています。
障害者が障害者というのではなく「違っているだけなんだ」ということを認め合う、そんな世の中になって欲しいと願っています。運転ボランティアの方々は、退職者のシニアの人たちです。
質疑応答より
・移動中の事故の責任について
・タクシーと移動サービスの違い
・4月から始まる障害者支援費制度について
等々
3. 成果
・移動サービスをしている人、関心のある人たちが一堂に集まり、情報交換、交流ができたことは意義深かった。
・どのように取り組んでいったらよいか考える良い機会になった。
・必要性が先で安全面、法的問題は後回しにしてきたが、今回の議論をきっかけに取り組んでいきたい。
・全国移動ネットに入る方向で考えている。
4. 課題
・法的に整備されていない現状に対する不安
・タクシーとの競合の問題
・言葉の見直し
・事故があった時の責任のあり方
・全国連携リレー
・行政とのつきあい
・災害時におけるネットを越えた支援
・毎年行われる国体後の全国障害者スポーツ大会の支援
・将来あり得る国際大会・全国大会などに対する応援
5. 参加者の声
・こういう機会がなかったので有意義だった
・今回が最後と知り残念だ
・健常者が障害者の疑似体験(目隠し)でリフト車に乗ったが、何をされるのか分からず、動かす前に一言かけてくれると不安が少なくなる。
・雪の降る所、降らない所、高層マンションのある所、ない所などそれぞれの状況を知ることができた。
・リフト車も年々改良され、最新のものは乗り心地がとても良くなった。
6. 運営サイドから
・本部と地元実行委員会の間でやり方がすれ違い、やりにくかったが、得ることも多かった。
・もっと一般の人にも来てもらいたかった
・移動サービスという専門分野だけの研修会や東北ブロックなどの地域による交流会が年1回でももてたら情報交換になり、大きな力になっていくのではないかと思った。
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