第2部 未来の風 〜ボランティア一揆〜
コーディネーター 加藤 哲夫(せんだい・みやぎNPOセンター)
パネリスト 佐高 信(評論家)
石井 布紀子(コラボねっと)
加藤 再び加藤でございます。第2部のゲストをご紹介します。まず石井布紀子さんです。
石井 よろしくお願いします。(拍手)
加藤 自己紹介してください。
阪神・淡路大震災からの出会い
石井 兵庫県の西宮市から参りました。皆さんはまだご記憶にあると思いますが、阪神・淡路大震災の被災者のひとりです。偶然大きな民間のボランティアセンターのコーディネートの仕事をさせていただくことになりました。主には、緊急救援時期の3か月間、ボランティアセンターで、被災者の方と支援して下さる方、それから現地に駆けつけてきて、ボランティア活動して下さる方の間の調整に携わりました。
崩壊状態の中で無事なところを使ったり、無事な人たち、あるいは県外から来てくださった方が、自然発生的にできることからということで、最初から組織があったわけでもなく始まっていったような状況です。私もそういうひとつの場所をたまたま持っていたために、ずっとボランティアセンターにかかわっていました。
加藤 1か月ぐらい座ったまま、電話機2、3本持っていたという状態だったんですよね。
石井 一日400〜500件ぐらいは処理しないと、次の日の活動にはつながらないという状況にいて、実際は、仮設住宅が解消されるまでに4年間かかったのです。緊急救援の後は、手弁当で来てくださっていたボランティアさんたちも、実費だけでも出してもらえないと続けられないという状況に変わっていって、その中で事業をつくろうとか、組織をつくろうとか、NPOとして復興支援の活動をしようなど、いろいろと分かれていったのです。私自身はボランティアコーディネーターから、総合的に「町の中でみんなが作っていきましょう」というようなNPOのマネージャーという立場に変わって、現在は仮設住宅が終わったあと、どんなふうに市民社会に貢献しようかというところにチャレンジしている最中です。
今は自分が直接何かをするということよりも、いろいろなことをやっている方の支援という、インターミディアリー(中間支援組織)という仕事を、組織的にというより、個人事業主としてかかわりたい、という状況です。
加藤 震災で人生が変わった方は、たくさんいらっしゃると思います。特に、あの時に若い人たち、大学生ぐらいだった方々、周辺の京都や大阪の方たちが元気で、どんどん変わってきているんです。その辺が、新しい期待かなとぼくは感じています。
続きまして、もう一人のゲスト、佐高信さんです。佐高さんは地元の出身ですので、この庄内の地との縁ということも含めて、自己紹介をお願いしたいと思います。
佐高 先ほどラーメンを食べに行こうとして、案内してくださった鶴岡市役所の人が、私が庄内農業高校で教えていた時の教え子だと言うのです。ちょっと冷や汗が出ました(笑い)。学校を出て、私は最初、藤島町の庄内農業高校にいたんです。だから庄内一円に教え子が散らばっているんです。
加藤 そうなんですか。
佐高 NPOのことを改めて考えてみたことがなかったのですが、ほとんど毎週、NPOとぶつかっているような感じですね。先週は徳島で吉野川可動堰に行って、その前の週は、広島市長選挙応援に行きました。先ほど神戸の話がありましたが、あの時、田中康夫が来ましたね。
石井 来てくださったみたいで、口紅を配った、という逸話に関しては何度も聞きました。
加藤 今、お芝居を見ていただきましたね。有名なお話なんですが、百姓一揆については、いくらでも語ることがあると先ほどおっしゃっていましたが。
佐高 庄内農業高校で、教え子たちに、百姓一揆の話ばかり教えてました。
加藤 何の先生だったんですか?
佐高 社会です。亡くなってしまったのですが、庄内農業高校の先生から、新潟大の教授になった先生がいて、この人が百姓一揆の研究の専門家で、私は徹底して鍛えられました。明治維新の近くに「わっぱ(杉を薄く剥いで、湯につけて柔らかくして曲げ加工を施し、山桜の皮で縫い止めをしたもの。弁当箱やおひつ、酒器、花器などさまざまなものがある)一揆」というのがこの庄内でありました。これは、百姓一揆として勝ったんです。それで、わっぱに一杯分ずつ、お金が返ってくるというので「わっぱ一揆」というんです。
加藤 おとがめなしで勝ったということは、政治的要求がちゃんと認められたほかに、おとがめなしということですか?
佐高 訴訟をやったんです。
加藤 それで返ってきたということですか。
佐高 返ってくる段階で、分け前を巡って崩れていくんです。
加藤 なるほど。NPOも自戒しないといけないですね(笑い)。お金が貯まってくると危ないですね。活動は貧乏なうちはいいんですね。
情報に対して鈍くならない
加藤 石井さんに先ほどの芝居の感想を聞いてみたいです。
石井 戦略的というか、もう少し「わーっ」とやったという雰囲気があったのですが・・・。
加藤 だいたい見ている私たちが一揆と思うのは水戸黄門ですよね。莚旗立てて、「わーっ」と言って蹴散らされている。
佐高 結局あれは殿様が喜ぶ話でしょ。
加藤 今回はそうです。
佐高 おもしろいのはNPOというと、ある種、市民という概念ですよね。政府と関係ない。鶴岡に名誉市民というのがありまして、酒井の殿様が名誉市民になりました。殿様がどうして名誉市民なのか。そういうことを言ってはだめなんですよね(笑い)。
石井 先ほどは、殿様がちゃんといることの良さを、東山さんがだいぶしゃべってくださいましたね。
加藤 だけど、それと戦う人もいたという話もちゃんと補足されていましたね。
石井 その時々の社会や地域の問題というところで、一揆があったのかなと感じてもいるのですが・・・。
一揆の時代から一気に今に来させていただいて、昨年テロ事件が起こってから、なにか不穏な動きに変わってきていますよね。今でも毎日メールをいただいているのを見ると、反対運動をしていかないとやばいのではないかと思います。その辺をどう考えていくのか、平和とか命をどう考えていくのかという問題が今あります。
加藤 ICBL(International Campaign to Ban Landmines=地雷禁止国際キャンペーン)という、国際的な対人地雷禁止条約を結ばせる市民運動というのがあって、ノーベル平和賞を取っているのですが、その活躍で条約ができていまして、日本は調印をしました。その結果、日本も1997年ぐらいから地雷の廃棄を一生懸命やっています。それで、一万基くらいは、調査用に残しているというのがあるのですが、基本的には全部廃棄したということの記念式典を、小泉首相も出席してやりました。
アメリカ、ロシア、中国、パキスタン、イラクもそうですが、これらの国は今でも条約に加盟していません。今、戦争をしかかっていたり、いろいろと問題を抱えていたり、超大国は残念ながら署名していないので、効力は薄いわけですが、非常に大きな前進という気がします。テロと戦争が、間近に迫っている時に、もう一方で、そういうことを市民が呼びかけて世界が動いた例として大きいのではないか、と私は考えています。
戦争についてはどう思いますか。
佐高 あのブッシュも、テロに対して十字軍みたいなことを言う。その一方で京都議定書を蹴飛ばしてしまうわけですよね。環境問題は蹴飛ばして、戦争の時は一緒にやりましょうと。そのブッシュに小泉が一生懸命くっついて行っているんですね。
彼はたまたま同じ年に同じ大学を出ているんですよ。首相になる前に飯を食ったりもしました。だからコラっていう感じなんですよ(笑い)。私は、小泉という人は、「入口入ったらすぐ出口」という人だと思う。奥行きがゼロなんです(笑い)。
加藤 名コピーライターですね。「入口入ったらすぐ出口」というのは、初めて聞きました。
佐高 市民の皆さんの思いと別のところで突っ走ってしまうんですね。
ここ鶴岡は、加藤紘一の地元なんですよ。私は敢えて、クリーンな鷹の小泉よりは、ダーティーでも鳩の加藤紘一のほうがましだと言っているんです(拍手)。今回はダーティー度が激しすぎて大変なんですが。
加藤 それは難しいところですね。何を政治家に求めるかということにもつながってくる話だと思います。
この戦争のこと、テロのことでも、私たち日本の市民の行動というのがなかなか大きな波になっていかない。アメリカでは非常にたくさんの活動があるのですが、報道はされにくい。こういう情報は、今インターネットで読めるので、かなりわかってきていますよね。ジャーナリズムが変わってきたのではないかと思うのです。メディアがインターネットによって、あるいは市民が手渡しで、かなり情報が伝わるように、ようやくなってきたかなと思いますが、いかがでしょうか。
佐高 お分かりだと思うのですが、マスコミは遅いんです。彼らが鈍感だから、私などが生きていけるんです。福島県の矢祭町という、住基ネット反対の町長さんのところに、田中康夫は招かれもしないのに来ていたそうです。それにマスコミがぞろぞろついてきたそうですが、「この人たちは、こないだまで、俺をヒットラーと書いていたんだ。一番感度鈍いんですよ」と町長の目の前で言ったそうです。彼らが記者クラブなんかでやっているようでは感度が鈍いわけです。
センスとタイミングよく組織を動かす
加藤 田中康夫さんが長野県庁で、ガラス張りの一階に執務室を移しました。あれで議員のみなさんは仕事がなくなってしまいました。陳情で仕事をしますと、それはお手柄になるわけです。それをやめましょう、本当にその要求がパブリックな価値があるかどうか、みんなに見せましょうということでガラス張りにしたというのは、ものすごく大きな意味があります。同時に記者クラブをやめました。この二つが長野県の改革ではないかと思います。
佐高 小泉は、田中康夫と似ていると言われますが、全然違うんです。こないだ川柳が載っていました。「自民党 つぶしてでもと 言ったわね」と。でも、自民党は全然つぶれてない。小泉は結局妥協したわけです。妥協したから、不信任を突きつけられない。田中康夫は妥協しないから、不信任を突きつけられたんです。全然違うんです。
それにしても、震災の時に口紅というのは、すごい発想ですね。
石井 当時、「避難所で、田中さんから口紅をもらったって被災者が喜んでいました」という報告が来た時がありました。それは、混乱しているころにきちんと段取りされ、用意されていたはずです。この人はきっと政治家になるよ」と事務局で言っていたのですが、本当にそうなりました。
佐高 本人には、そういう事前運動のつもりはなかったと思いますがね。
石井 いやいや、センスとタイミングです。組織的に動かさないと、広域に配るのは難しいんです。先ほどの一揆もそうですが、きちんと社会を動かすためには、やっていかなければいけないことがあります。私は、みんなの情熱でやっていく活動をずっと一緒にやっていますが、客観的に見て、間のところでどう動くかをプロデュースする人間がいたり、いろいろな役割の人が組織的にきっちりとやらないといけないと思います。社会的な間の動かし方を上手にやらないと、たとえ良いつもりでやっていても、違う方向に行ってしまいます。
脱ピラミッド構造
佐高 私が一揆で好きなのは、郡上一揆です。あの時は、首謀者がわからないように、唐笠状に名前を書いていくのです。だれが首謀者かわからない、唐笠連判状という有名なものがあります。だれかがやられてもすぐにまた、ということです。NPOでは、誰かがいなくなると・・・。
加藤 そうですね。ピラミッドをやっていると、トップがいなくなるとつぶれるという組織もまだ多いですから。
石井 逆に、まずいシステムというのは、今の企業の不祥事です。やっているのに、誰が首謀者かわからないようになっていたり・・・。
加藤 責任を取らないとか、たくさんありますよね。最近では、ラベルの張り替えとか、ロッカーにしまってしまったり・・・。
佐高 会社というのは入った瞬間にトンボの羽根をもぐ、と私は言っているのですが、自主性などを排除させられます。特に電機メーカーに多いのですが、「みそぎ研修」というのをやらせるんです。新入社員だけでなく中間管理職にもやらせるんですが、伊勢神宮を流れる五十鈴川にふんどしひとつで入って肩まで水に浸からせます。バカになって物事に挑むきっかけをつかませるんです。考え方がおかしいですね。
加藤 役所も含めて、日本の大組織、企業の問題点ですね。やはり、組織に自分が取り込まれてしまうとか、同化してしまうようだと、先ほど東山さんが言ったように、個人の顔が見えてくる社会にならないと思います。
やはり、ボランティアやNPOで一番大事なのは、個人の顔です。それからNPOもそうですが、組織というのは、やはり自分のことだけだと、自分の姿は見えないというか、腐るわけです。「違うよ」と言ってくれる他人が必要だと思います。その役割を、みんなが社会の中で相互に果たせれば、もう少しましになるのかなと思います。
内部告発をした西宮冷蔵の社長がいましたが、あの会社はつぶれてしまいました。すごく残念です。そういう方をつぶさないでほしいと思うのです。その辺の対策はどうしたらいいのでしょうか。
佐高 雪印が消費者運動の関係者を社外重役に入れました。ああいう形で外から入れないと、中の人では絶対にだめです。三越とそごうを対比すると、三越は岡田、そごうは水島という、両方同じようにワンマンな人がいたんです。ところが、三越はクーデターを起こされ、岡田が解任された。そごうはクーデターが起きなかった。三越は生き残り、そごうはつぶれました。そして副社長が二人も自殺しています。なぜ自殺する必要があるのでしょうか。あの人たちは外の世界を知らず、会社しかない。全部会社に取られているんです。
加藤 だから自殺する。生きていけないと思ってしまうのでしょうね。
佐高 だから、外の社会、NPOなど、いろいろ知っていれば・・・。
加藤 価値観が変わるでしょうね。
ボランティア、NPOの実態を知らない行政
石井 団体運営ではNPOも一緒かもしれないですね。やはり、仲よしこよし過ぎる方が、発展しにくい心配があるような気がします。
震災の直後、活動を作っていく時に、調査の活動というのをたくさんやっていただいたのですが、視点が違う人と組んで一緒に調査をしていただいて、議論してから報告してもらったもののほうが、同じような立場で来ていらっしゃる方同士でやるよりは、継続していくときに有意義なんです。だから同じグループから来た方は、できるだけ分かれたり、お友達同士の人は離れてということを、ある時から意識的にするようにしました。
喧々がくがくの議論で、すったもんだしながら、なんとかいっている、というぐらいの状況のほうが、つまり先ほど言われたトップダウンみたいにだれかひとりの考えで進んで、みんなが賛成しやすくなっていたり、反対を言いにくいというようになっていないほうが、動くにしても、意見をまとめていくにしても、良いのだと感じています。その辺は一緒かもしれないですね。
佐高 東大の駒場寮を壊すのに反対というので、宮崎学と私の対談講演をやりました。そこに来るような東大生だから、少しは骨のある、ちょっと変わった東大生ですが、最後に質問と言って「佐高さんは、どうしてそんなに官僚に逆らうんですか?」って言うんです。
加藤 官僚になる人がですか?
佐高 なるという。バカ言えと。官僚がおれに逆らっているんだと言いました(笑い、拍手)。
加藤 官僚が主になっていると、なにか、我々が逆らっているように・・・「我々」とつい言ってしまいますが。
佐高 冗談じゃないって。
石井 私はたぶん違いますね。今思えば、行政がつくったシステムという発想だったと思うのです。できるだけ、人には迷惑かけないように、波風は立てないようにしようと思って、ずっとやってきていました。現場の中から提言が生まれていくと、仕組みが変わったりします。こういう事態にどんどんぶちあたっていった時に、感動もしました。それまでは、自分たちで自分たちの街をつくって良いとは思っていなかったような気がしました。4年目ぐらいにそのことを自覚しました。
佐高 こういう人が後戻りできないんですよ。頭だけで変わっている人は、くるくるっと後戻りするんですよ。
加藤 そこで生きてしまったわけですから、体験でそれが感じられて、非常にシンプルに「ここでいいのよね」となるんですね。
ちょっと役所の話を。これからすごく大事なことは、行政が、「お上」ではなく、進んで変わっていくことであり、市民がそのことに対して、ちゃんと変わることだと私は思っています。石井さんもそういう体験をされました。私は十何年来、薬害エイズ訴訟の支援とか、直接的な市民活動をずっとやっていて、あまりお上のうけがよくないんです。でも、別に抵抗したり、悪いと言ってけんかするつもりはまったくないのです。今はNPOセンターで、行政の方ときちんと組んで仕事をしています。この5年ぐらい行政職員の方の研修の仕事をたくさんさせていただいています。
その中で思うのですが、行政職員の大部分の方は、市民活動・ボランティア活動の実態をほとんどご存じない。「生まれて初めて、市民活動やNPOの人に会いました」という人が一般的な研修の中で8割近い状態です。
新聞には、毎日のようにボランティア・NPOの話が出ています。それが認知できないということは、そういう活動を素通りしてしまうということです。行政の方は公共性を担っていますが、同時に市民が公共的なことを担っているものがこれだけあるということをあまりご存じない。
そういうところから話に入って、具体的な例をご紹介していて、こんな感想をいただきました。「残念ながら、行政は、公共性と社会性の正当性を失いつつあると、漠然と感じます。公共性と自己実現の両方を持つ活動をNPOはしています」。
行政はもともと公共性、つまり正当性を付与されています。その公共性というのは、本当ならば人々の話し合いや議論の中から出てきて、何を選ぶかということが議会を通して託される、いわゆる市民的公共性です。けれどもそれが形式的になってしまって、はじめから自分たちは正当性・公共性があるのだと考えてしまうんです。そう思ってきたところに、新たに、公共的な仕事をしていますというところがたくさん出てきて初めて、少し自分が揺らいだという感想がものすごく多いのです。
私は、NPOであるからと言って「公共性や公益性が担保されているとも限らないよ。それは普段の努力で検証し合わないといけないものになるのではないですか」という話をしています。そういう意味で、行政の方が、今、全国的にいい形で変わってきて、この集会にもたくさんご協力いただいています。そういう点では、前よりだいぶ変わってきたのではないかという気もします。その一方で問題がたくさんあるという非常に難しい状態なのかな、と思います。そういう中でこれから市民はどうしていったらいいか、という提案をいただきたいのですが。
現場と遠くをつなぐ「間」
佐高 去年、中央官庁の課長クラスの研修に呼ばれたんです。彼らがなぜ役人になったかと言うと、私益でなく公益に尽くしたいから、と言うんです。一応言うけどね、民間企業だって、公のことを考えないで儲かることはないですよ、と。あなた方だけが公益を負っているというのは、とんでもない勘違いだと、ガーンと言いました。やはり役所に対してものを言うことでしょうね。言って、参加して、税金を取り戻さないと。
加藤 私たちは払っていますよね。
佐高 NPO活動がどんどん盛んになってきたときに、彼らのやることはなくなるという感じもあります。
加藤 それを心配する方はいらっしゃいます。
佐高 それは税金が下がればいい話なんでしょうが・・・。
加藤 石井さん、どうですか。これから私たち市民はどうしたらよいでしょうか。
石井 まず個人的なことですが、最初私は「イヤイヤ」というと語弊があるかもしれませんが、実際は逃げたいと毎日思いながらボランティアの活動にかかわっていました。でも、意欲を持ってきてくださる一人ひとりがすごくがんばって活動してくださるんです。最初は、自分がなにかしたいとか、自分がこれで嬉しいという思いのほうが多く感じられました。しかしながら長期化する中で、課題を見つけて解決するために動くように変わっていったような気がします。一人ひとりが何かをしたいとか、おもしろいというところを越えて、自分を社会に活かすとか、事業を社会に活かすとか、組織を社会に活かすという動きに変わってきました。
今日もそうですが、こうやってみなさんにお話をする機会は、実は8年間で1200回を越えています。そういうなかで感じるのは、現場でやっている人たちと、聴いてくださる方たちの間には、これだけ距離があって、現場でしゃべっていることばと、今日のような立場にいる時にしゃべっていることばが違っていたのです。この役割に関しては、現場にいる方は、わからない場合が多いです。
加藤 現場と遠くでお話しする時の中間の立場、そのふたつの立場ですね。現場で汗を流して、自分が活動しているところと、行政とか、遠くの市民に声を届けようと思ってしゃべっているという、その違いでしょうか。
石井 はい。それで、帰ってみて、もしも代わりにだれかやってと言っても、「私のようなものは何もしてません」ということを、現場の立場にいても、ストレートにおっしゃるかたがいます。でも、だんだんそれではだめなんだということを自覚していきました。
私は今、この間に入る仕事が多いので、社会にどう自分を活かしていくのかというのをちょっと追求したくなっています。こちらにいるみなさんも、謙遜とか、自分が楽しいとかいうところをちょっと置いて、社会の中での言語を少し持って、その言語で情報公開をしていかないと、NPO全体が力を持たないのかなと最近感じています。だから、そこのところの仕掛けに携わっていきたいと思っています。
加藤 生のままでも、ことばがもっとやりとりされたり、露出すればいいんですよね。
石井 次の仕組みに変えてしゃべらないとだめだったり、個人を越えたところで客観視して、状況判断して話さなければいけないという視点をみんなでどうやって共有していくのか。あるいは、反対している人とも一緒に議論はできるようになるとか。そんなことがもっと起こって、本当に世の中を変えていく動きになっていくとおもしろいと思いながら関わっています。
佐高 役割交換というのができればいいんだけど、組織ができてしまうと、なかなか難しいでしょう。
加藤 そうですね。
アンテナをのばして人の話を聞く
佐高 私は「朝まで生テレビ」に一度だけ出て、あとはずっと断っているのですが、あそこに出ている人たちは人の話を聞いていないんです(笑い)。聞いていたら発言できないんですよ。
私も心がけていますが、しゃべることよりも聞くことのほうがずっと大事なんです。アンテナが壊れたら出てくることばはおかしくなります。きちんと相手の話を理解しないと議論が進まないわけでしょう。それを私は「つぶあんの思想」と言っています。会社というのは、こしあんの典型なんです。だから、こしあんでない、つぶあんのNPOが出てくることは、会社社会にもものすごく衝撃を与えています。日本では、会社が社会の代わりをしています。社宅まであるし。そういうのを変えていく重要な役割が、特に日本では大きいと私は思います。
石井 お金にならなくてもやる。自分が見つけて、喜びとしてなにかをするとか、やりたいことだからやるという動きがすごいですよね。企業の方と一緒に仕事をしていると、お金のためだけでやっている方はたくさんいらっしゃいます。それがだめということではないのですが、お金にならなくてもなにかやろう、というボランティアの動きは、特徴があっておもしろいところがあります。でもボランティアということばがあるせいで、いろいろな動きが出てきて、不自由になっています。その辺は、この集会で見直してもらって、新たにどうしていくのかですね。
加藤 そうですね。何年か前、埼玉集会の時に、私が提案したコピーを採用していただいたのですが、その時の全体テーマは「ボランティアは市民社会の起業家だ」でした。今回は、「ボランティア一揆」です。ずっとつながっていると思います。ボランティアというものは、新しい仕組みとか、サービス、制度の提案を次々とつくっていく存在です。新しいことを次々とつくって、提案していくエネルギーのことを「起業家」といってもいいと思うのですが、そういう力は、人に潜んでいるすべての源泉だと思うのです。だれもがそういうエネルギーを持っていることを、もっと活かせる社会。あるいは小さな声だとしても聞く社会。そういうふうに変えたいなというのが一番大きい動機です。
エイズ問題をずっとやっていたのですが、社会や人々が特定少数の人を、ある意味で見捨てたんです。役所も企業も社会も組合も、人々がみんな見捨てたんです。私はそれをずっと見てきて、仲間がたくさん死んだので、やはり、人が人を見捨てる社会ではなく、「どんなに少しでも助け合って支えるということをしないとまずいよね」と思っています。社会システムの方に手をつけないと、みんな見捨てたままなんです。市民運動・市民活動というのは、申し訳ないけど、ずっと社会の後始末をさせられているというところがあります。後始末型から、問題解決、その問題を起こしている源流にさかのぼって解決できる活動。それがようやく、この10年で、できるようになったかなと思っているところです。
佐高 私は会社、市民運動、官庁、労働組合に講演に行ってますが、一番感度が鈍いのは労働組合です。聞く態度も悪い。なぜかというと、彼らは自分たちを変えると思っていないからです。意外に感度がいいのは会社の経営者です。これは、やはり変わろうと思っているからです。
加藤 危機が迫っているんですよね。
佐高 だから田中康夫を推したのは、八十二銀行の頭取で、反対したのは連合なんです。
加藤 対照的ですね。
佐高 変えるというのは、今の小泉型政治、自民党政治を変えることです。田中康夫なんて、ある意味でNPO知事みたいなものでしょう。それが内部を変えていくということでしょうね。
加藤 ありがとうございます。最後のひとことを。
石井 今から14市町村に分かれて、それぞれが分科会の中で、自分がどう変わるのか、社会をどう変えていきたいのか、そんなところで密度の濃い集会を一緒につくっていけたらと思います。
加藤 各市町村で皆さんを待ち受けて歓迎をしていただき、交流があります。最終日にまたお会いしたいと思います。
佐高 地元の人として、ようこそいらっしゃいました!
(拍手)
加藤 石井さん、佐高さん、ありがとうございました。
【録音テープをおこしたものをもとに、事務局の責任でまとめました】
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