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(6)観光
 1908年(明治41年)に大町桂月が雑誌「太陽」に十和田湖紀行文を発表して以来、観光地として注目され、観光客の数は増加していった。十和田湖町に訪れる観光客数は、1956年(昭和31年)頃から右肩上がりに上昇し、ピークの1991年(平成3年)には320万人を超えたが、1996(平成8年)年以降は減少傾向にある(図2-2-8)。
 十和田湖周辺には、多くの観光スポットが点在するが、湖畔に立つ「乙女の像」や十和田湖を見渡す瞰図湖台、十和田湖から流れ出るおよそ14kmの奥入瀬渓流などが代表的である。また、紅葉時には、十和田湖を囲むブナ林などが鮮やかに色づき人々を魅了する。
 休屋は「十和田湖神社への参詣者が泊まった(休んだ)場所」ということからその名前を発しているが、この地域は古くから景勝地として知られ、初めて十和田湖を紹介した資料「十曲湖(とわだこ)」の中で菅江真澄が、「八月十九日、今夜のふし待ちの月をどこで見ることになろうか。十和田山へ登ってみたいとかねてから思っていたが、幸いにも誘ってくれる人があったので、毛馬内を出発した」(「文人たちの十和田湖」成田健 無明舎出版6))と記している。以降、和井内貞行や、大町桂月など多くの人が十和田湖を紹介し、日本有数の景勝地として多くの観光客が訪れるようになった。
 
(出典:十和田湖町役場提供資料1956〜1999年)
 
西暦 元号 月 事項
1807 文化4年8月 菅江真澄が十和田湖を遊覧し、のちに紀行文「十曲湖」を著した。
1902 明治35年 和井内貞行が鉄道院発行の鉄道案内に十和田湖紹介記事を掲載
1906 明治39年4月 和井内貞行が十和田湖の風景写真を配した和英両文の宣伝パンフレットを1万部作成し全国に配布
1908 明治41年8月 大町桂月、鳥谷部春汀、平福百穂が初めて来湖。10月に大町桂月が、雑誌「太陽」に十和田湖紀行を発表
1909 明治42年 秋田県主催で東京、水戸、山形の新聞、雑誌記者を招待し、十和田湖を宣伝紹介
1912 大正元年 元旦、武田千代三郎の「十和田保勝論」が東奥日報に掲載。
1916 大正5年4月 農林省が十和田湖及び奥入瀬渓流一帯7,364haを風致保護林に指定
1922 大正11年 休屋に簡易水道設置
1926 昭和元年 休屋にも宇樽部の自家発電によって電灯がつく。
1927 昭和2年7月 全国紙新聞企画による日本新八景に湖沼の部で十和田湖が入選
1928 昭和3年4月 十和田湖、奥入瀬渓流が天然記念物に指定
1931 昭和6年10月 発荷峠西の紫明亭に日本八景碑が建立
1936 昭和11年2月 十和田国立公園に指定
1949 昭和24年4月 三本木−休屋間で定期バス運行(夏季のみ)
1951 昭和26年5月 大館−和井内−休屋間で定期バスが運行開始。12月、十和田湖、奥入瀬渓流を特別名勝に指定
1953 昭和28年10月 高村光太郎作「乙女の像」の除幕式が行われる。同年、鳥獣保護区に指定
1956 昭和31年7月 国立公園に八幡平地域を追加、名称は十和田八幡平国立公園となる。
1963 昭和38年8月 北福岡−休屋間で国鉄バスが運行開始
1967 昭和42年12月 青森県側で三沢−休屋間のバス運行を通年化
1968 昭和43年12月 秋田県側で十和田南−休屋間のバス運行を通年化
1971 昭和46年5月 休屋−八幡平間で定期バスが運行開始
1972 昭和47年3月 休屋に十和田ビジターセンターが完成
1973 昭和48年10月 十和田鳥獣保護区の特別保護地区指定
1975 昭和50年3月 奥入瀬歩道(焼山−子ノ口)完工
1982 昭和57年6月 盛岡−十和田湖(休屋)間の定期バスが運行開始
1998 平成10年4月 十和田湖畔歩道再整備(休屋、デッキボード)
(出典:十和田八幡平国立公園「十和田湖 新・美しい自然公園5」(財)自然公園美化管理財団平成12年)







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