(3)インシデント等の危険情報を共有化し、有効活用するために必要な環境整備の構築の検討について
事務局から資料「インシデント等の危険情報を共有化し、有効活用するために必要な環境整備の構築の検討〜インシデント情報の報告項目等について〜」に基づき説明した。
(4)その他
(1)ヒューマンファクター概念に基づく海難・危険情報の調査活用等に関する調査研究 最終報告書(案)について
事務局から資料「ヒューマンファクター概念に基づく海難・危険情報の調査活用等に関する調査研究の最終報告書案について」に基づき説明した。
これに対して、次の質疑応答、意見等があった。
◎最終報告案を見た場合に、結果的にはヒューマンファクターを入れて観点を変えて共通事項を出して勧告に近い形でしますよというのが、この委員会の1つの成果ととらえるべきか。それとも、この委員会はまた形を変えて別の展開がまだあり得るということか。この委員会を2年近くやっていろいろな材料について勉強して、材料がずいぶんあってこれから料理をしようかというところでポッと終わるような気がする。やはりヒューマンファクターを取り出してきて、具体的にどのように事故防止につなげるか。最終報告書案の4ページには「海難防止に寄与する方策を早急を検討する」とあるが、これが最終報告書の中にどんな形で反映されているのかがちょっとはっきりしない。本当はそこのところをこの委員会で詰めて、今回で終わらなければ別の形でもつなげる形にしてもらうと、ある程度すっきりする。
○基本的には2年間で、ある程度ヒューマンファクターに関する論点を整理していただいて、海難審判庁が宿題をもらったということだと思う。今後どうするかという話は、委員会を同じようなテーマでということではなくて、例えば広報関係に的を絞ったものとか他にもいろいろ問題があるので、そういうことも今後いろいろ考えていきたい。当面、ヒューマンファクターという標題と、それを核にして広がりのある議論をいただいたので、海難審判行政全般に対する提言のような形で締めていただければとは思っている。
(2)海難審判庁における裁決書改善の取り組みについて
高等海難審判庁山崎重勝首席審判官及び雲林院信行審判官より報告があった。これに対して、次の質疑応答、意見等があった。
◎大きく変えたところはどこか。
○本件発生の要因を時系列に並べて挙げているのが、今回大きく変わったところである。
◎事実認定について、二審請求の原因がほとんど事実認定の問題が多いという指摘があるが。
○事実認定でよく問題になるのは、例えば衝突地点等々、争いがあるものについては必ず二審請求がある。それ以外については、理事官がつくった質問調書等を証拠として審判廷にさらして証拠調べを行い、その調べた証拠に基づいて認定をするわけで、特に問題になることはないと思われる。争いがあるようなものについては両者の供述が違い、違った場合に、どれをどのように認定するかについては、その他の証拠や運航模様も含めて総合的に検討した上でこれを認定することになる。
◎今回の改善の中で、各船ごとの時系列に従った記述、原因になる要因のすべての摘示、理由の詳細な記述といった点が、ヒューマンファクター関連が取り入れられ、その結果を反映させたものと考えてよいか。
○ヒューマンファクター概念を取り入れるのは、原因ありきではなくて事実ありきであり、その事実の中で問題は何だろうかということを要因として1つずつ事実を挙げていく。その中から挙げた要因がさらに原因に結びつくかどうかということを検討しようというのが、いわゆるヒューマンファクター概念を取り入れた理由である。この概念を取り入れる手法にはいろいろあるが、取り組みやすい例としてIMOコードでもいっているSHELモデルがあり、こうしたものによればより幅広い検討ができるのではないだろうかということで、こうした観点から見ていこうと考えている。
◎今までよりもより広い観点で原因の分析を行う結果、例えば「結果と相当因果関係があるとは認められず、本件発生の原因として指摘するまでもない」というのがあまり出なくなるというか、逆に指摘するのがかなり強くなる傾向になると考えられるか。
○要因として、単に原因に結びついたものだけではなく、おそれがあったというものを含めて要因として取り出して、その上で検討し、摘示した要因が原因にどのように結びつくかの考察を行う。結論としては従来と同じ「見張り不十分」であるが、中身を見れば見張り不十分になったのはどういう要因があるかということが分かるような書き方にする。
◎結果として「相当因果関係があるとは認められず、本件発生の原因として指摘するまでもない」というのはこの説明である。そうすると、「相当」というのは「直接ではないものすべてを相当という」との考え方が生まれないか。
○広義にとれば、挙げてあるものは全て原因になるが、主文において原因として摘示したものを除いては、結果発生の予見と回避の可能性を問うことができず、過失の内容をなす注意義務違反を構成することにはならないとしている。
海難審判は、結論を明らかにし、職務上の故意又は過失によって発生したものであるときは裁決をもってこれを懲戒しなければならないことから、要因として列挙したもののうち、過失が問われる原因を原因として摘示せざるを得ない。あえて過失を問うことはできないが、「ここで注意すべき」という意味で列記して記載する。「相当因果関係」という言葉は、行為に起因して、結果の発生が日常の経験に照らして通常のことであると認められる関係であり、「ここは当庁として過失を問う原因としては取ることができない」ということを言いたい。
◎懲戒裁決としてはそれでよいが、「結果に至る過程における事実として認めるものの」というのが先頭に記載される場合、相当因果関係と間接因果関係の説明は大丈夫か。
○「間接」という言葉も「直接」という言葉も使いたくないことから、このような書き方になっている。
◎それは文章の書き方の問題だと思うが、相当因果関係と過程における問題との関係が生じるような気がする。そこが気になる。
○この問題については、今後、当庁内で審判官、関係者を集めて検討し、その後、顧問弁護士にこの書き方でよいかどうか相談する予定である。
◎今までよりもより細かく見ることにより、ヒューマンファクター的な話が共通して出てきた場合、直接、懲戒の話とは関係ないが、相当因果関係があって、処罰はしないが横断的に同じような要因があったという場合には、それを取り出して制度の変更を勧告するとか、そうしたところまで踏み込むのか。
○フィードバックをどうするかについて、共通する問題が出てきた場合には、それを所管するところへ、こうした問題があるという提言をしなければ、再発防止にはつながらないであろう。
◎相当因果関係でなくても勧告対象になり得るという意味か。
○相当因果関係の「相当」とは何かということが問題になってくる。この表現がいいかどうかについてはさらに検討する必要があるが、基本的な考え方を示した。
○「相当因果関係とは認められず」という文章については、よく検討した方がよい。
◎勧告についての問題のうち、勧告の対象として、事例のような「施設が不整備」という例は、将来、対象になり得る範囲が広そうに思われる。
○勧告についても、「本件発生の原因となる」と書かないと勧告ができないのかという点については、できるだけ幅広く勧告するということになれば、それほど拘泥する必要はないと思う。法廷に関わる問題となるので、内部でよく議論し、顧問弁護士とも相談して検討すべきである。
◎勧告と量刑の問題が宿題として残っている。海難審判法では業務停止3年から取り消しまであるが、過去における審判の結果は最高3箇月である。それで果たしていいのか。実際に損害が膨大であるとか、人身事故で重大な障害や死亡が出た場合、刑事事件では実刑判決が出る可能性があるが、一方では最高3箇月というのは、あまりにもギャップがありすぎる。行政処分と刑事処分で性質が異なるとはいえ、それは社会に対して納得できないのではないか。これからあらためて検討するとのことであるが、どう切り換えていくかについて、委員の意見を聞いておきたい。
○社会的影響という問題と審判の量刑という問題との関係について、当然、一般社会常識としては社会的影響のほうが高いものという考え方があり、それなりの対応をしなければならない。一方、その線引きということになると、これは社会的影響という線引きはなかなか難しいということで、実務的にどうなのか、どういう判断をするかということは担当者としては非常に苦慮すると思う。社会の常識が審判庁の非常識、審判庁の常識が社会の非常識ということではなかなか通りにくい。一方ではその物差しをどのようにするのかということについて、説明責任を審判庁は負うことになる。これは社会的責任があるとか、社会に大きな影響を与えたという物差しをどのように考えるかということは、当然、課題として残る。
○量定については、ただ単に社会的な影響が大きいか小さいかということだけではなくて、その事故を発生させたご当人の海技免状からいって、能力的にうまく行使できているかどうかということもある。そうしたこと等々を総合的に判断した上で考える必要がある。その判断について、刑法の場合は罪刑法定主義があるが、海難審判法にはなく、個々の審判官の常識によることになる。その常識をどの程度まで引き上げるかということに尽きると思う。
○今後は過去の量刑にとらわれず、新しい委員会を発足させて検討した上で、量刑の基準を決めたいと考えている。
○それを変えていくのは、実は大変であろう。もう1つの問題は、プレジャーの場合は基本的にはシーマンシップは関係ないが、プロの場合はまさにシーマンシップである。基本的にいえば、プレジャーのほうが軽くて、シーマンシップを持っているほうが強いということになる。更にオフィサーの資格は同じとしても、六級の人の免状と一級の人の免状とどちらが重いかといえば地位の高い方、つまり一級の人が重いに決まっている。世間はおそらくそう見ている。
○海というのは、レジャーボートも大型船も水面を共有して仕事をしている。従って、免許の軽重だけで物事を判断することは、事故防止という根本から考えるとどうかという疑問があり、にわかに全部賛成できない。
○量刑をどう判断するかについて、一般的にはプロ性が高いほうが、注意義務は高い。
○注意義務は、地位に応じて、免状に応じて重くなってくる。
○当委員会は、ヒューマンファクターの研究をしている会議であり、量刑を重くすれば世間はそれで満足して再発防止にもあたかも役立つかのような議論になりつつあるのは問題である。
○再発防止を主眼にするか、懲戒を主眼にするかによって、議論は分かれる。今、主要なファクターの視点から再発防止に重点を置いて注目していこうという議論をしているわけであり、量刑をもっと重くしたほうがいいという議論は、あまりなじまないような気がする。
○その議論であれば、もう懲戒処分はやめたほうがいいともいえる。
○そうした議論が出てくることが考えられるが、現行法では行政処分をやらなければならない。刑事事件として立件されている事件もたくさんあり、それとの差があまりにも大きすぎる。
○数字だけでは判断できない問題があるのではないか。
○量刑の量の中は、これから委員会でまた新しく議論する対象になっている。ただ、刑法の場合は、社会的影響ということがちゃんと明記される。海難審判の場合、明記されないが、量刑においてそれが加味されるという点の矛盾がある。
○個人の履歴、経歴等も記載し、これだったらなるほどと分かるような裁決の方向に進む必要がある。
○行政処分があり、その先にもし刑事事件であればそれが問われることになり、それからさらに民事にも発展することもある。したがって、やはり再発防止、海難審判法の第1条に戻ってやったほうがいいのではないか。免許の大きさによって注意義務は違うというのは確かにそうだと思う。ただし、見張りもせず大洋上で寝て航海していて、避航措置を取ったけれども当たってしまったということもあるので、このあたりも公平に見てもらいたい。
○今、行政処分と刑事処分とを混同して考えているのではないかという疑問を持つ。要するに、免許証を与えるというのは、ある危険なことをやることができるという許可証であり、事故が起こったりしたら、その許可証を一般社会のために返しなさいというのが行政の話であり、刑法の場合とは違う。ヒューマンファクターの問題を追いかけていかなければいけないと思うが、行政の免許をどうしようかという話であるならば、例えばレジャーボートで一生懸命に教育をして、教えられた通りにやらないで事故を起こしたら、これはパブリックセーフティ、社会のためにその人に免許証を行使してもらっては困るという発想になろう。医師免許証も同様で、それが達成できない能力しかなかったら、さっさと辞めてもらう。それで不便を被ることはないだろうと思う。
○必ずしも重くすればいいのではなくて、その人の免状なり運航模様なり総合的な結果、支障が出たといった結果を踏まえながら、総合的に量刑について判断する必要がある。今のやり方では軽いという批判があることは確かである。
○40年間、1ヶ月と2ヶ月と3ヶ月しか懲戒しなかったというところに、今言ったような理屈が成り立たない。
○海難事故は相当大きな影響があり、さまざまなニュースでも大きく報道されている。にもかかわらず、行政処分はそうではなかったところに問題がある。それだけにギアを切り換えるときは並大抵ではない。理事官がいちばん大変であろう。
○最後は安全と効率のバランスの問題である。量刑だけで問題を処理することは、必ずしも問題処理にはならないのではないか。全体的なバランスをよく考えてやらないと、片方だけに偏するような判断をすると、結果的にあまりいい結果を生まない。
○量刑を厳しくすることがいいのか。事故というのは必ずしも1人で起こすわけではない。いろいろなことが原因となって起こる。今までは事故が起これば乗組員と管理会社に文句を言っていたが、今、世の中の流れは、企業の中ではそういうやり方をあまりやっていない。どちらかというと、トップマネジメント、ヘッドクォーターの安全に対する対応の仕方や指示の出し方が本当に正しかったのかというところまでさかのぼって、そこに対応して力点を置いてやっているが、個人の現場の最前線の過失がどうのというのは第1ではない。
◎事故が1回、2回、3回と出てくれば、それなりに懲戒の大きさも変わってくるものと思う。大きい事故が何回もあれば3年が適用されるかもしれないし、あるいは免許取り消しを言渡されるのかもしれない。そうした経歴、事故の履歴はデータベースに入らないのか。
○事故来歴として、過去に審判庁の懲戒を受けたか、あるいは海難事故を起こしたかということは、質問調書の中にあるが、裁決の中には、過去にどういう事故があったかは記載しない。
○同じ人物が同種類の原因で重ねて事故を起こすという問題について、審判は1件1件で処理をしており、将来的な問題を考えたときに妥当な対応かという疑問に対しては、適性問題として心証で処理できないものかという提案をしている。過去歴についての考え方は、加算というのは問題があり、実際には、心証で処理しているのではないかという話はしている。
◎改善案の具体的な例を見る限り、ヒューマンファクターの分析になっていないと思う。起こしてしまった事故の背後にあるものは何かを探り、それでもって個別の事件についてはこういう要因が出てきたということがいえる。改善案の「原因の考察」のところは、単に関係人の行動の結果が書いてあるだけで、改善した裁決書の書き方でヒューマンファクターの分析する枠組みが出てこないのではないかという心配がある。
○海難調査が基本なので、調査をするに当たってはヒューマンファクター概念を頭に入れた幅広い観点から調査をする。それに基づいて、裁決もそうした観点から原因を考えている。それがうまく裁決に書けるように努力する必要があると思われる。
○裁決書は、2つの目的を一緒の方法で達成しようとしている。普通、再発を防止するだけだったら主因や一因はいらないが、処罰をするためには主因や一因がどうしても必要となる。調査の方式は、タイムシーケンシャルに起こっている不具合をずっと並べて、それぞれに対策を講ずればよく、それが対策である。どこに視点を置くかということは処罰をする目的だけである。ヒューマンファクターの解析の流れになっていないという見方もあろうが、一応タイムシーケンシャルな不具合を並べてはいる。
ただし、その並べているものが必ず原因につながるかどうか。例えば疲労していたということは、それだけでは原因にならない。疲労しているから見損なったり等いろいろなことが起こってくる。再発防止だけだったら、疲労しないようにしなさい、見えるようにしなさいと、全部に対策を講ずればいいが、懲戒を対象とすることになると、どうしてもどこかに焦点を当てなければならない。そこが先ほどの相当な因果があるとかという話であり、曖昧模糊とした言葉を使っている。
いずれにしろ、このようなことがなければこの事故にはつながらないということを追いかけていくと、だんだん直近のところに近づいてきてしまう。離れていくものは相当の因果関係があるかもしれないけれども、原因としないということ。原因がだんだん事故のところに近づいてきてしまう。処罰は必要かもしれないけれども、再発防止にとってはそれだけでは必ずしも役に立たない。したがって、苦し紛れに、時間的にさかのぼったところにあるものはまとめて対策を取ろうという話で、二重三重にやっている。
裁決書を書くとすると、もらった側が納得しなければならず、ここがいちばん苦しいところだと思う。しかもいちばん問題なのは、原因としてピックアップして要因をずっと並べてその中から原因として挙げるというのは、審判官の責任になる。第二審はやりやすくてしょうがなくなると思う。一審の審判官はそう考えたかもしれないけれども、並べてあるこっちのほうが重大だということになる可能性は大いにあり得る。そのあたりはこれから若干もめてくるであろうし、それに対する慎重さは大切だと思う。
今回は、要因を並べ、その中からこれを取ったとピックアップしている。今までは、処罰の対象になるものだけを挙げ、他に何も触れなくてもよかった。そうすると、処罰の対象になった人だけは「恐れ入りました」と言うけれども、他の連中は関係ない。それではまずいということであれば、ひょっとしたら、この方法しかいい方法はないのかもしれない。
◎以前、参考図について、因果関係の時系列をチャート的に書いたほうが理解が容易ではないかと指摘したが、これについての検討は行われたか。
○裁決書が基本的に行政の文書として妥当かどうかということを考える必要があり、それになじむかどうかの問題がある。フローを書くことによってすべて満足なのか。あるいはフローが書けるような裁決の記載になっているかどうかということが問題と思われる。検討の必要がある。
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