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8 ヒューマンファクター概念に基づく海難・危険情報の調査に関する取り組むべき課題の提言
8.1 基本的な考え方
 
 直接的な原因による責任追求型の海難調査からヒューマンファクター概念に基づく海難調査手法を活用し、再発防止対策を重視した原因究明型の海難調査へ移行するための体制整備に取り組む必要がある。
 
(1)裁決書改善の必要性
 
海難審判庁は、裁決書改善の早急な実施運用が必要である。
 
 本委員会では、裁決書について次のような問題点を提起した。
・裁決書は、直接原因の摘示が主となりその原因をもって一件落着というような責任追求型の傾向にある。
・裁決書は、海事行政の安全対策等についての提言に欠けるところがある。
・一つの事故が起きるまでの時系列的なプロセスは有用であるが、何故そのようになったのかの背景要因の究明が重要である。
・勧告制度を活用する必要がある。
・裁決書は、難解な文章で読みづらい。
 
 海難審判庁は、平成15年度第4回ヒューマンファクター調査研究委員会において、次のような裁決書改善の考え方を示した。
 この裁決書改善の趣旨は、ヒューマンファクター概念に踏み込んだもので、再発防止に有効と認められることから、早急に実施運用されることが必要である。
 
海難審判庁が示した裁決書の改善内容
 ヒューマンファクター概念に踏み込んだ裁決書を目指す。
・ヒューマンファクターを含む事件発生の事由を時系列にすべて摘示する。
・裁決書で原因として指摘する事由と原因として指摘しない事由とを区別して解説する。
・勧告制度を有効に活用する。
・IMOコードを参考とした裁決書の記載内容とする。
・社会的な反響、結果の重大性等を勘案した懲戒の量定について検討する。
 
 
 海難審判庁は、海難審判法に規定されている勧告制度を有効、かつ直ちに活用する必要がある。
 
 海難審判法における勧告制度は、同法第4条第3項の規定により、必要と認めるときには、海技士、小型船舶操縦士、水先人以外の組織、関係機関等の者に対して改善策や安全対策等の勧告ができることになっている。
 また、IMO決議では、事故に関連する要因を明確に提示し、安全上の欠陥を特定して勧告を行い、海事システム等の改革を加えるべきとしている。
 従って、海難審判庁は、海難審判法の目的に従った効果的、かつ有意義な勧告を直ちに積極的に活用する必要がある。
 
 
海難審判にヒューマンファクターの専門家を参加させることも一つの方策である。
 
 SHELモデルにも示されるハードウェア、ソフトウェア、環境、人間の各要素と人間とのかかわりを重視した海難調査を行うためには、ヒューマンファクターに関する知識が不可欠である。
 現行海難審判制度には、学識経験者を海難審判に参加させる参審員制度があることから、ヒューマンファクターに関する専門家を参審員として参加させることも一つの方策である。
 
 
 海難審判庁は、現場における初動海難調査の重要性を認識し、ヒューマンファクター概念を導入した海難調査マニュアルを作成する必要がある。
 
 海難審判庁による海難調査をはじめ、あらゆる事故における調査の基本は初動調査で、調査範囲をどこまで広げる必要があるか、海難関係人に対して如何に真実に近い証言を引き出すことができるか、更に必要な書類等をどこまで収集できるか、が重要なポイントである。
 特に、ヒューマンファクターに関する情報を系統的に収集するためには、事前に質問領域、質問事項チェックリスト等のほか、事実が確定した場合の原因分析等の手順等を示すマニュアルが必要となる。
 このため、海難調査の主体となる海難審判庁は、理事官をはじめ審判官が使用できる海難調査マニュアルを速やかに作成することが必要である。
 
 的確な原因究明を行うためには、関係者の記憶、認識が明確である間の早期処理が重要である。
 
 海難審判庁は、海難調査・原因究明の期間的な処理目標を12月以内に設定し、処理期間の短縮を目指す必要がある。
 また、関係行政機関と定期的な連絡協議を行う必要がある。
 
 最近における海難審判庁の事件の平均処理期間(海難発生から裁決まで)は、平成13年が約19月、平成14年では約15月となっており、短縮の方向にある。
 他方、航空又は鉄道事故の平均処理期間は、1年以内となっていることから、海難事故についても他の交通機関の平均処理期間と同様の12月以内となるよう、処理期間の短縮を目指す必要がある。
 なお、平成14年における陸海空の処理状況は、次のとおりである。
海難事故の平均処理期間(海難発生から裁決):15月8日(834件)
航空事故の平均処理期間(事故発生から公表):11月4日(30件)
鉄道事故の平均処理期間(事故発生から公表):6月20日(12件)
 
 海難審判庁は、関係行政機関と海難審判行政の動き及び要望等の意見交換の場を作るなどの定期的な連絡協議を行う必要がある。
 また、海上保安庁、関係行政機関等との協力の下で、海難調査を機動的に行うことも検討する必要がある。
 
(1)裁決書を集約して、誰にでもわかりやすい形の資料を作成し、海難防止情報として提供
 
・海難審判庁は、新たな海難防止策の一環として地方版海難分析集の刊行を始めたが、その充実強化を図る必要がある。
・(財)海難審判協会は、地域密着型の海難防止策に資する新たな情報を提供する必要がある。
・(財)海難審判協会は、裁決録の充実を図る必要がある。
 
 海難審判庁では、平成14年度から各地方海難審判庁において、地域の特性等をテーマにして、最近の海難発生の傾向、原因、再発予防策等をわかりやすく絵や図を用いて、パンフレット形式で海技従事者等に提供している。これらは有効と思われるので、更にヒューマンファクター概念を取り入れることによって、地方版海難分析集の充実を図り、“如何に海難を減少させるか”を念頭においた一層の海難防止の推進を図ることが望まれる。
 
 また、(財)海難審判協会は、海難の再発防止策の一環として、各地方海難審判庁の管轄地域の海運、漁業、海洋レジャーの海事関係業界はもとより、教育、研究、更には地域の経済等に携わる者と海難防止についての意見交換の場を設けるなど、地域に密着した新たな海難防止策に関する企画立案の努力が求められる。
 更に(財)海難審判協会で発行している裁決録について利用者のニーズに応じて、検索機能の付加やヒューマンファクター分類の追加などを行い、外航・内航船の運航者、漁船員、プレジャーボート利用者、安全対策の研究、企画立案者等に十分な情報を提供する必要がある。
 
(2)同種海難等の裁決書を分析し、ヒューマンファクター分野に関する海難防止策を提言
 
 海難審判庁は、同種海難の裁決書を集積してヒューマンファクターについて分析し、海難防止に寄与する具体的方策を提言する必要がある。
 
 海難審判庁では、今後、裁決書の改善においてヒューマンファクター概念を踏まえたすべての事件発生の事由を摘示するとしているが、これは個々の事件についてのものであり、そのため海難防止の具体策も個々の事件に対するものとなり、同種海難すべてに共通する海難発生防止のための具体的方策について言及することは難しいと考えられる。
 そこで、海難審判庁は、新たに同種海難の裁決書を集積してヒューマンファクターについて分析し、海難発生防止に寄与する具体的方策を提言することが必要である。
 
(3)審判開始の申立以外の海難データを集積、分析して海技従事者等に安全対策等を提言
 
 海難審判庁は、審判開始申立以外の毎年約5,800件の海難を統計的手法等を用いて分析し、現場の海技従事者等に対して具体的な安全対策を提言することが必要である。
 
 審判開始申立以外の海難を分析することは、実際に発生した海難から得られる情報であることに照らし、海上インシデントより再発防止により結びつく情報と位置付けられる。
 これらのデータを集積、分析するに当たっては、海技従事者等に対して単なる統計的な数値を示すだけではなく、具体的な安全対策を提言することが重要であり、また現場の海技従事者が安全対策として十分利用できるような提言のあり方を研究する必要がある。
 
 
 海難審判庁は、ヒューマンファクター概念を導入した海難調査手法の国際標準の確立と海難調査の国際協力に貢献する必要がある。
 
 海難審判庁は、国際海事機関(IMO)、国際海難調査官会議(MAIIF)、アジア海難調査官会議(MAIFA)等の会議に積極的に参加し、国際海事社会の一員としてヒューマンファクター概念を導入した海難調査手法による国際標準の確立を目指すとともに、海難調査の国際協力に貢献する必要がある。
 
 海難審判庁は、IMOに対して「海難及び海上インシデント調査のためのコード」を実効性あるものにするため、我が国及び各国の国内法を適用した海難調査の国際協力の範囲等を提案する必要がある。
 
 IMO決議A.849(20)「海難及び海上インシデント調査のためのコード」及びその改正決議により採択された調査方式は、各国の国内法制の違いからそれぞれ問題点をもっている。
 一方、海難審判庁は、海難調査の国際協力を推進するため、韓国、中国、香港、シンガポールのアジア諸国を対象として二国間協議を行っているが、このような機会を捉えて、IMOコードと我が国の海難審判制度、各国の法制上の問題点等とを検討、整理し、具体的な海難調査のあり方をIMOに対して提案する必要がある。
 
(1)海難審判庁の海上インシデントに対する取り組み
 
共通認識
海難審判法は、海上インシデントを「海難」として定義し、その調査は海難審判庁の任務の一つとなっている。
 
 海難審判法第2条3項は、船舶自体に物理的損傷又は人傷がなくても、自船又は他船の安全若しくは運航がそこなわれたときには、「海難」であると定義しており、これは、一般的にいう「海上インシデント」に相当するものと解され、海難審判庁の任務の一つとなっている。
 また、IMOコードに定義している「海上インシデント」にも共通するものであり、ヒューマンファクター概念に基づく調査が必要とされている。
 しかしながら、海難審判庁が幅広く海上インシデント調査を行うには、次の問題点がある。
 
問題点
1 海難審判法第28条及び第29条の規定に基づき、海上保安官、管海官庁、警察官、市町村長及び領事官は、同法第2条各号の一つに該当する事実があったことを認知したときには理事官への報告義務を有しているが、海上インシデントの事実を把握することが困難である。
2 海上インシデントの中には、操船者の主観的な危険度の認識に基づくものが多いことから、海難審判庁の危険度に関する認識と相違するものも多数あると考えられる。
 
海上インシデントに関する海難審判庁の取り組むべき課題
 
 海難審判庁は、関係行政機関、海事関係団体、民間船社、専門家等とともに一般的な海上インシデントの報告制度の確立のため、具体的方策を検討する必要がある。
 
1 海難審判庁は、海上インシデントについて、今後も海難審判法第2条3項に基づく海難として調査・原因究明を行う必要がある。
 その取り扱う範囲は、重大な海上インシデントとなろうが、海難審判法の目的に照らし、積極的に取り扱うことが望ましい。
2 海難審判庁は、関係行政機関、海事関係団体、民間船社、専門家等とともに一般的な海上インシデントの報告制度の確立のため、具体的方策を検討する必要がある。
3 報告制度の確立後、海難審判庁は、第三者機関に委託して、積極的な予防安全に貢献する事が望ましい。
 
(2)海上インシデント報告制度の構築に必要な環境整備に関する提言
・第三者機関の設立
 
 海難審判庁は、第三者機関の設立について、関係行政機関、海事関係団体、民間船社、専門家等と検討する必要がある。
 
・第三者機関の要件
 
 第三者機関は、行政処分、刑事関連調査等の関係行政機関や本船を管理する会社とは別個の海事に関する公益的な独立した機関が望ましい。
 
・環境整備に必要な要件
 
 官民が協力して海上インシデント報告制度の構築に向けて、定期的な連絡協議会等を開催して検討する必要がある。
 
 海上インシデント報告制度を構築するために必要な要件として「免責、匿名の保証」、「報告ルートの明確化」、「報告の簡易化」、「安全推進への貢献の確証」、「システム全体のマネジメントサイクルヘの信頼性の確保」等がある。
 これら要件を満たすためには、次の事項が重要であり、海難審判庁をはじめとした関係行政機関、民間船社、海事関係団体、専門家、研究者等は、海上インシデント報告制度の構築に向けて、これらの事項を具体化させるため、定期的な連絡協議会等を開催して検討する必要がある。
 
報告
・安心感を持たせる確立した第三者機関での運用
・第三者機関に直接報告が理想であるが、当分の間、各船社、団体を経由した報告
・選択式項目を中心とした簡便な報告
・5W1Hの必須項目及び協力可能な任意項目
共有化
・専門家、研究者等の自由かつ公平な立場からの協力
・特定の一事業体の不利益につながらないこと
・第三者機関の信頼性の確保
活用
・各運航グループ全体の安全レベルの底上げ
・各運航グループの個別な安全対策
・教育機関の安全文化の醸成、研究機関の総合的な安全対策
・関係行政機関に対する提言
 
 
 本委員会の成果について、継続的なフォローアップと評価が必要である。
 
 本委員会では、海難審判庁に対して海難・海上インシデント調査に関する取り組むべき課題等を提言したところであるが、これらの実行について、継続的なフォローアップと評価を関係行政機関、民間船社、海事関係団体、専門家、研究者等により行う必要がある。







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