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4 諸外国におけるヒューマンファクター概念に基づく海難調査
4.1 米国沿岸警備隊(USCG: United States Coast Guard)
 USCGの海難調査の目的は、推定原因、根本原因あるいは寄与原因を特定し、安全勧告または改善勧告を出すのが主眼であるが、要すれば船員の免許に対して懲戒処分を行うこともそのひとつである。
 USCGの海難調査を行う職員は約175名で、年間約5,000件の調査を行っている。
 USCGの海難調査官は、海難事故が発生すると予備調査を行うのが通例である。予備調査で、先ず行われるのは、海難関係人に対するアルコールと麻薬の検査であり、呼気検査や採血検査、採尿検査等によって事故との関係の有無が調査される。
 次いで、記憶が薄れないうちに海難関係人の事情聴取が行われるが、その際、ヒューマンファクターに基づく調査手法として、「Stages in the Development of Casualty or Incident」を活用し、事故を招く原因となる望ましくない初期事象(イニシエイティング・イベント(Initiating Event))の調査から入り、その後一連の出来事を一つのプロセスとしてイベント・ツリー(Event Tree)によって追跡調査する。
 例えば、イニシエイティング・イベントの前段階の生産活動とそれに対応する防護を調査し、生産活動に潜在している不安定行動または不安定決断が防護の欠陥によって必要条件要素に繋がったと考えられることから、生産活動要因にヒューマンファクターの焦点を当てるとともに、防護の欠陥をSHELモデルを使用して分析する。
 そして、必要に応じてその先の必要条件要素と防護を同様な手続きで調査し、不安定と考えられる行動についてヒューマンファクター分析を行うようにしていく。ただし、重要性の低い事故は広域化、深度化して調査することはしない。
 このようにして得られた結論を基にして、USCGは、安全勧告または改善勧告を出すが、勧告は広範囲な効果を期待して組織や機構、団体等に対して行い、個人に対しては行わない。
 また、勧告は、事故を招いた会社の系列会社や事故を引き起こした船舶が所属する協会に対しても、海難防止上の有効性、必然性が考えられるならば、事故の蓋然性のみを考慮して出されることもある。
 なお、勧告を出すに当たっては関係者に根回しするが、USCGは、法律の改正、権限の履行などについて内部的にも勧告することがあり、その実施率は60%という。
 これらは、海難調査官のプロセスにおいて行われる。
 一方、船員に対する懲戒は、海難調査官の調査が終了し告訴が行われた時点で、行政法判事のプロセスに移る。なお、告訴後、海難調査官と海難関係人との間で和解が成立すれば告訴は取り下げられるが、和解が成立しなければ、懲戒は判事の命令によって定められる。これには執行猶予がつくこともあるが、行政法判事の命令に不服の場合は、USCG長官の決定の手続きを経た後、最終的にNTSBに持ち込まれることになる。
 
 NTSBの海難調査の目的は、推定原因または寄与原因を特定し、「安全勧告」または「改善勧告」を出して事故の再発防止を期すことにある。
 NTSBの海上安全局には17名が配属され、その3分の2が専門調査官の資格を持っている。2001年度は58件の海難事故届けを受け、うち5件について調査を実施して報告書を公表している。
 NTSBは、海難事故が発生すると独自に調査を開始できるが、多くの場合はUSCGからの連絡を待って始動し、主任調査官を指名したうえで担当調査官、船舶機関技術者やヒューマンパフォーマンス等の専門家から成る通常は6名以上のゴーチーム(Go Team)を現場に派遣する。また、現場では政府機関や運航会社、造船会社等の技術的資格を有する者から成るパーティーズ(Parties)と呼ばれる調査項目別の特別グループが構成され、事故を多角的に検証し、各種の証拠や情報の収集、分析に当たる。
 調査に当たっては、先ず、海難関係人のアルコールと麻薬の検査が行われ、事故との関係の有無が調査されるが、USCGが実施済みの場合は重複するので省略される。
 次いで、海難関係人の疲労度を調査するために、事故発生の72時間前に遡って同人の行動を調査し、特に事故発生前24時間の活動状況及び睡眠時間中断の有無については詳細に調査する。
 その後、主として海難関係人に焦点を当てて調査するが、その場合もあらゆる面から海難関係人のエラーの本質を理解するための調査に努める。
 その時、「SMART Specific Marine Appraisal and Risk Tree」を活用し、例えば、保守と検査が問題となっている事故では、Maintenance and Inspectionの各事項をヒューマンファクターに基づいて調査し、ヒューマンファクターの見落としがないように、これをチェックリストとして使用している。
 現場調査では、毎日、調査進捗会議が開催され、収集された証拠、情報の報告、検討が行われる。なお、要すれば事実解明手続きの一環として公聴会が開催される。
 そして、事実調査及び公聴会が終了した時点で、主任調査官、各グループの担当調査官に海上安全局長等が加わって討論し、結論や勧告に合意を得た海難調査報告書の草案が作成され、それがボードメンバー全員が参加する公開討議に付されたのち最終報告書として採択され、安全勧告や改善勧告が関係機関に送付される。
 勧告は、海難事故の推定原因と結論に関連して出されるが、明確かつ実行可能なもので、勧告に従うことによって被勧告者に安全、改善策を講じることの利益が保証されるものとされている。なお、勧告は、これを発表する前に、事実関係をすべてのパーティーズで共有し、推定原因や勧告事項等を徹底的に議論する。
 また、勧告は、事故を起こす蓋然性があり、それに対する改善策を採り得るなど、勧告の必然性が認められるときには、厳格な証拠がなくても行われる。ただし、新しい情報があった場合は、勧告も含めた報告書が再検討されることもある。
 NTSBは、被勧告者が勧告に従わない場合でも法的措置をとることはないが、実施率は90%という。
 なお、船員に対する懲戒を不服として上訴されてきたケースは、USCGから一件記録を受理したのち、行政法判事の準司法手続きによる専権指揮のもとで、重大な事実誤認、法律または先例違反等を審理し、上告棄却かUSCGへ差し戻し裁決を下す。
 
 イギリスにおける海難調査は、第一義的には海難調査局(MAIB)の主席検査官(Chief Inspector)を含む16名の検査官(Inspector)によって行われる。
 検査官は、海上における人命の安全の向上と将来における事故の再発防止のために、事故の状況と原因を明らかにし、事故の再発防止のための教訓(Lesson)を引き出すことを目的として調査を行い、責任割合を定めたり、懲戒や科刑を課したりすることはしない。
 一方、海難審判(Formal Investigation)は、社会的に極めて重大か、或いは、複雑な海難事故やインシデントが発生した場合で、海難関係者に対する懲戒の必要性があるときに、運輸大臣の要請に基づいて司法長官の管轄のもとで開催されるものであるが、その場合検査官の調査は原則として中止される。
 MAIBによる事故の調査は、1名の主任検査官を含む4名の検査官からなる調査チームが結成され、そのうちの2名の検査官が事故現場に派遣されて予備調査に当たることから始まる。その際、海難関係者にアルコールやドラッグなどの嫌疑がある場合には、事故の調査は海上保安庁(MCA)に移管され、MAIBは通常関与しない。
 予備調査の結果、主席検査官が更なる調査を必要と認めた場合には、検査官は、IMOコードに則り、事故の原因をヒューマンファクターに基づいて奥深く、かつ、幅広く調査し、その不安全行為や不安全条件を緻密に検討するとともに、各種AnalysisやDiagramを用いて分析したうえ、必要に応じて国家や団体、組織等に対して、海運システムにおける安全性の欠陥を指摘するほか、事故の再発を防止するための教訓を引き出してこれを勧告する。
 なお、調査の過程において、緊急に勧告が必要と認められた場合には、Chief Inspector's Letterによって何時でも勧告を行うことができるが、それは安全性に係わる勧告に限られていて、懲戒的な勧告は除外されているほか、勧告の対象者は勧告を履行するのに最も相応しい組織又は団体等とされている。
 調査が完結すると、MAIBは、標準書式(Format)に則って事故の事実、分析、結論、原因、勧告等を記載した調査報告書(Report of Investigation)を作成し、原則としてこれを公表する。ただし、公表するに当たってはその前に、協議用報告書(Consultation Report)を作成し、これを関係者に送付して事実や解釈に関する意見を求めたうえ、最終報告書(Final Report)を作成するという手続きをとることになっているので、公聴会は開かれない。
 なお、MAIBは、調査開始から報告書公表までに要する期間として6ヶ月を目標としている。そして、各報告書をもとにして事故の要約と教訓を収集し、これをSafety Digestとして発刊し、関係方面に配布している。
 
 Southampton大学には、学部(Faculty)の一つにTechnologyがあり、また、Faculty of Technologyの一つにSchool of Maritime and Coastal Studiesがあって、そこにはWarsash Maritime Centre(WMC)とMaritime Research Centre(MRC)の二つのセンターがある。
 WMCは、航海、機関、船橋当直、荷役、消火等の学科にシミュレーションを導入している教育機関であるが、MRCは、WMCにおいて提起された問題について学問的な研究を行うほか、海運や造船業界等の外部から委託された実務的な研究も行っている機関である。
 Dr. Barnettは、MRCのHeadで、ヒューマンファクターに関する研究をシミュレーションを活用して行っていて、その一つに、海運業界における危機管理の問題を取り上げ、危機管理能力の向上のために最善で実行可能な安全管理訓練を、シミュレーションの活用化によって提供できないかを研究しているという。
 また、一方では、James Reasonの、事故はしばしば潜在条件(Latent Condition)、すなわち、労働環境や作業環境、作業雰囲気等によって引き起こされ、多くの事案ではシステムに欠陥がある場合が多い、という理論に共鳴し、組織的要因(Organizational Factors)に強い関心を持ち、海難関係者の背後にある潜在条件に注目して研究しているという。
 そして、会社の管理は組織の文化でもあるので、その文化が会社の安全業務にどのように影響しているかを調査し、安全管理の向上のためには、必要に応じて文化の改革を行い、正しいことには報酬を出し、間違っていることにはペナルティーを課すという組織文化を構築することが肝要ではないかという。
 なお、雇用や昇進に当たって、適性検査や性格検査を行うことは、それなりに有意義だとは思うが、心理テストとなると、その必要性は認めるものの、かなり困難な作業ではないかという。
 また、再研修や再訓練は、その効果の及ぶ範囲が受講者限りであり、時間が掛かるうえに効果も上がらない、として懐疑的に見ている。
 Mr. Brandは、現在MAIBに籍を置く検査官であるが、漁船に15年間乗船したのち商船に転じ、商船船長を勤めたのちMAIBに入局したという、漁船・商船両方の経歴を持っていることから、漁業界の船舶運航や労働形態は商船界のそれとは全く相違していることを知り、特に漁船の海難について深い関心を持っているという。
 そして、英国の漁船の漸減とともに、自国漁船員の減少及び質的低下を招き、事故の発生率が改善されていないと慨嘆する一方、事故の原因は直接原因のほかに何かがあると知り、そのうえで、漁船の海難を少なくするためには、漁業界の安全文化(Safety Culture within Fishing Industry)を改革する必要があるのではないか、と思って調査研究を始めたという。
 すなわち、漁船員は、悪天候なのに出漁したり、船舶が輻輳する海域に1人で出漁したりしているが、これは単に経済的な問題ばかりではないと思われるので、「何が漁船員を駆り立てるのか」(What makes fishermen tick?)を究明し、漁業界の安全文化(定義は困難であるが、因習や伝統、しがらみやこだわり)を変え、商船やプレジャーボートを含めて、海上に「人間中心の文化」を構築したいと思っているという。
 
 ノルウェーにおける海難調査は、第一義的にはノルウェー海事局(NMD)に所属する6人の海難調査官(Maritime Investigator)によって行われる。
 海難調査官は、ノルウェーを6分割した各区域に1人づつ配置されていて、各人がそれぞれの担当区域を1人で、「海上安全の増進」と「海洋汚染の防止」を目的とし、事故に係わる事実関係と原因究明について海難審判をできる限り確実かつ完全に行うことができるように調査を行う。そして、調査後は、NMDに対して調査報告書(Investigator's Report)を提出する一方、船舶の堪航性に係わる事項については警察権を持っていることから、必要に応じて公訴権限を持つ州検事又は地方警察部長に対して法的措置に関する勧告を行う。
 一方、海難審判(Maritime Inquiry)は、予備裁判会議といった性格のものであるが、重大又は極めて重大な事故については強制的に、また、かなり重大な事故については海難調査官等の要請に基づいて開かれ、原因探究とともに懲戒処分も行われる。
 また、海難審理委員会(Commission of Inquiry)は、人命又は財産に重大な損害が発生した場合や調査範囲が広く調査の長期化や複雑化が予想される場合などに、海難審判に代わって臨機応変に開催され、原因の探究とともに、免許の取消や罰金など必要な法的措置が採られる。
 海難調査官による事故の調査は、必要に応じてアルコールやドラッグなどの呼気検査や血液検査、尿検査等から始まり、あとは企業及び組織、労働環境及び職場、或いは、コミュニケーション等に留意しつつ、IMOのガイドラインに沿って、関係者に対する事情聴取などを幅広く奥深く実施していく。
 ただし、現在のところ、NMDは、ヒューマンファクターに基づいた調査や各種ツリーに因る分析は行っておらず、また、そのための研修やセミナーも行っていないという。
 更に、NMDは、各海難調査官からの調査報告書をもとにして、必要又は適切と見なした場合には、最も効果が期待できると思われる海運或いは造船等の業界に対し、安全重視を促す勧告を行うが、個人に対しては行わない。
 また、NMDは、各種情報を収集したところで、船級協会や海上保険会社等に対して安全に関する事項を特集した連絡文書(Safety Message)を送付し、その活用を要請している。
 なお、海難調査官は、Hazardous Incident(Near Miss Accident, Potential Hazard, Non-Accident)についても調査を行うように義務付けられているが、氏名の秘匿性や過誤の免責性を担保する措置が採られていないこともあって報告を得られていないのが実情であるという。
 ただし、2004年ないし2005年には、陸海空の事故の各調査機関が一つにまとまった総合的、常設的、統一的な、独立的委員会に改組される可能性が高いこともあって、NMDは、ヒューマンファクターの重要性を認識してプロジェクトチームを立ち上げ、できる限り多数の海難及びインシデントに関する情報を収集して、統計の充実化、分析の正確化を図り、的確な海難予防策を立案して海運業界等にその活用を仕向けていくことになったという。







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