日本財団 図書館


35. 役立つ五十音図
延辺大学農学院外語センター 870 中條朋子
 当センターは、延辺大学農学院に付設されていて同じ敷地内にあります。農学院の日本語の授業とは直接関わりはありませんが、国や省、延辺大学との連携のもとにあるということで、教育課程はしっかりしています。
 今年度日本語関係では、中学校卒業生を対象にしたクラス(中専)が4つ、学生や社会人なども来ることができる培訓クラスが1つあります。他に英語クラスが、同規模であり、全部で300名くらいの学生が、半数くらいは寄宿舎生活をしながら学んでいます。
 日本語クラスの学生たちは、培訓クラスを除き、日本語の他に英語やコンピューター、国語としての中国語などを3年間で学び、今年度1回目の卒業生が誕生しました。
 日本語の授業では、精読、ヒアリング、会話、日本世情が組まれており、精読とヒアリングは現地の先生方が担当しております。
 私の授業は、週に12時間。培訓クラスの会話6時間、今年度入学した中専1年生の会話が4時間、中専3年生の日本世情が2時間です。延辺では、以前は義務教育で日本語を学んでいたという朝鮮族の皆さんですが、最近は英語に変わってきたということを聞きます。
 1年生のクラスには、初めて日本語を学ぶ学生が殆ど。ですから、日本から持参した五十音図が役に立ちました。授業に飽きた時も、これをおまじないのように、あ、い、う、え、お、と皆で大きな声で唱えます。時々あ、か、さ、た、な、と横に唱えます。絵を利用したり、ジェスチャーも加えますと更に楽しい授業になります。
 3年生の日本世情。ここでは、ワープロで作った手製の作業プリントをよく使います。日本語の学習も3年目ですから理解できる言葉が多いし、また学習内容も日本の生活文化習慣など面白いので、彼らは教科書をみながら、一生懸命読みとります。
 培訓クラスでは、学生は日本への留学、日本企業への就職など目標を持って勉強していますし、人数も少ないので自由な雰囲気で進めることができます。しかし、留学も就職も厳しいし、日本語もすぐ習得できるわけではありません。どうしたら彼らにいい進路が開けるか、悩むことが多い日々です。
 
36. 中国へきてよかったなあ!
天津濱海職業学院 999 原 三樹男
 学生の練習問題用紙を作るために事務所に行き、「カッターを貸してください。」と言うと、カッターはないと。「じゃあ、はさみを貸してください。」というと、一生懸命自分の机の中を探して、「ありません。」という返事。びっくり、大変なところへ来たという第一印象。用紙は教師が用意するのでなく、だんだん、学生がめいめい自分の持っているノートを破って出すということが分かってきた。紙はまったくばらばらで、ノートを破って出す。私自身が、それに慣れてしまったのが不思議である。
 学院は、短大になって、3年目。施設づくりに一生懸命で、学校の運営面、試験の日程一つにしても、日々の対応能力に、改善すべき面が多々ある。長期的、短期的、当面の目標などが必要であろう。本学院は、天津では、決して一流校ではない。しかし、女子学生から「私たちは、あなたが好きです。」といわれると、ドキッとするが、学生は愛らしく、それなりに努力している。校庭や街で学生に会うと、にっこり笑って挨拶を返してくれるし、両手に荷物を持っていると助けてくれる。中国へきて、よかったなあと思っている。
 
37. 移転3年目、環境は整いつつあるが
天津濱海職業学院 982 永森久美江
 三年制の学校で、学生の勉学への熱意には、少し欠ける所があるが、素直で、人なつっこく、教える楽しさはある。併設の大学は45周年を迎えたが、三年制の日本語科は三年目で、先生方の中にも、将来このような学校にしていこうという統一したビジョンはあまり感じられない。年間計画もはっきりせず、行事・時間割変更など、前日に知らされ、困ることが多かった。評価方法も期末に知らされ、少し戸惑っている。教育施設は移転三年目で、環境は整いつつあるが、学生寮には、洗濯機もないなど、学生が気の毒になるようなことが多々ある。外見の良さに力を入れすぎ、印刷機もこわれたまま2ヶ月過ごすなど、教育内容の充実への力の入れ方が足りないように思う。
 私は2年の会話を担当し、教科書もなく、自由に授業をやらせてもらっている。最初は大変困ったが、2年目の村井先生の助言で、乗り切り、後期は日本から新たに教材を持ってきて、授業に臨もうと考えている。
 
38. 場当たりの対応では学生が気の毒
天津濱海職業学院 933 村井優子
 当校で私は二年目を迎え、昨年受け持ったクラス(3年生全クラス、2年生1クラス)をことしも引き続き教えている。9月の新学期から12月7日の能力検定までは聴解問題を重点的に教えてきた。3年生は昨年学校側の方針で全員2級を受験し、3人しか合格せず、来年春に卒業で最後の検定になるためこれまでにない勉強ぶりだった。しかし、学生のほとんどは卒業後、日本へ留学するか四大(本科)への編入を希望しているため、卒業してから受かればいいという甘い考えを持っている学生も多数いるようである。全員が四大に合格するわけではなく、不合格の際には即就職の学生もいるのだが、能力検定の証書を持っていることの重要性が実感として沸かないようである。目的意識のないまま今に至っている学生が多い。学校がわの問題としては何と言っても教材不足、機材不足である。教材はほとんど日本人教師に頼っている状態で、テープダビング用のレコーダーが1台しかないためせっかくこちらが過去問のテープを持参していても、まともに学生達に配れない状態である。また、各種連絡事項が遅く、例えば本日(12月10日)も、19日から就職活動が解禁になるから大急ぎで面接の模擬をやって欲しいとの依頼を受けた。学生にとって就職は一大イベントであるが、このようなその場その場の対応を学校側がしているようでは、学生が気の毒だと思う。
 
39. 大学は独立採算重視の経営
佳木斯大学 853 内海満男
 今年で三年目、大学のおかれている状況や学生の長所や短所もよく理解できるようになった。三年前の日本語科四年生(本科生)は一クラス(25名)と自費クラスが一クラスであった。去年と今年の四年生(本科生)は二クラスに倍増した。そして本年度は何と三クラスの卒業生を送ることになる。
 大学の独立採算重視の経営上、学生定員の増加が急激に進んでいる。自費クラス(二年制)一クラスの定員も急増し、現二年生は30名余りもいる。このような学生急増に見合った日本語教師の補充がおこなわれておれば大変喜ばしいことである。しかし、現実に教師増はわずかである。
 私の授業を例に挙げると14時間のうち、4時間の会話授業は一クラス(25名)単位で行っており問題はない。しかし、残る10時間は階段教室で行うマスプロ授業である。精読、日本概況、作文の中で、困るのが作文指導である。80〜90人の作文をきめ細かく指導するのは大変なことである。正直言って充分な指導はできない。大教室で特別大きな声で喋るのも結構きついものである。
 学生は人なつっこく真面目である。寄宿舎でも余りTVなどを見る機会も少なく、夜晩くまで学習する者が多い。日本語以外にも沢山の科目を学習しており、会話授業など増やしてほしいけれども、無理なようである。その不足分は別の日本語授業でカバーしなければならない。大多数の日本語授業が一クラス(25人)単位で行われるようにすることが当面の最大課題である。
 
40. 中国人教師との交流がないのが寂しい
瀋陽薬科大学 966 峰村 洋
 本大学は薬学を専門とする大学であるが、「薬学日語班」(各学年2クラスある5年制)は3年次に集中して日本語を学ぶことになっており(週22時間4年次では4時間)小生は3年生1クラス10時間、4年生1クラス2時間(いずれも50分)を受け持っている。日本人教師の担当は会話のみで、聴解と文法は、中国人の教師2人が受け持っている。学生は女性が多く、態度もまじめで明るい。教科書は3年次の1年間で「標準日本語」初級上下、中級上下の計4冊を学ぶ。4年生次は「新日本語3」(1、2は学習済み)であるが、週1回(2時間)のため、4つくらいの教材で終わってしまう。学生の関心は専ら「日本語能力1級試験」対策の方にいっている。卒業条件の「大学日本語4級試験」を一回でパスできない者が増えている。「日本語1級試験」も就職を前に、ほとんど全員が受ける。教材は西尾の研修所の時と同じなので、ゆとりもでき、ラッキーだと感じている。教科書以外では、日本の歌を毎時間歌ったり、寸劇発表、俳句創作、作文の発表などをさせたりしながら、授業内容を補っている。中国人教師との交流がないのは、少し寂しい。
 
41. 週32時間の授業を頼まれて・・・
安徽省黄山日語職業学校 874 早川 薫
 日本語能力試験に向けて模擬試験が毎週土曜日に設けられ、その為の準備の時間がかなり重荷となっている。私の担当授業は会話だが、実質は土曜日の試験の解説のみとなり、会話の授業が出来ない状態である。12月の能力試験が終わるまでは本当に地獄のような毎日であった。今年は、日本人が私一人の派遣ということもあり、毎週の模擬試験の準備・解答はかなり辛かった。テストのために夜の授業がある日突然開設されかなり疲れたが、学生たちは一生懸命に勉強するので、その点では苦労は報われたと思う。
 1月4日に行われるガイドの試験の為に、12月の中旬から、別途授業が組み込まれた。受験することは、早くから分かっていたのに、受験するクラスの日本語の授業は週に一度、2時間しか組まれていなかった。いよいよ試験が間近になってくると、いきなり毎日授業をやって欲しいと言われた。既に14時間の授業を受け持っていたのだが、それとは別枠で授業しなければならない状況になった。昼間22時間の授業をし、夜6時半から8時半まで毎日授業する羽目になってしまった。結局、週32時間の授業をしたことになる。へとへとに疲れた。学生は一生懸命に勉強するのだが、付け焼刃的な学習しか出来なかったように思われる。また、授業の準備もこちらのほうが散漫になりがちであった。
 この授業が始まる前の日の日曜日、校長が部屋にやってきて「大変だと思いますがやって頂けませんか?」と打診された。「ちょっと時間数が多すぎるので、準備が出来るかどうか少し考えたい。」と答えると、「すみませんがもう決まったことです。来週からお願いします。」といわれた。断れない話をまず「いいですか?」という優しい言葉で持ってこられいつも苦しい目に合ってしまう。
 日本人は、お願いしますと言えば大丈夫だと思われているようです。ボランティアで中国に来て日本語を教えているのだろう。だから、こちらが頼んだことはやるのが当たり前だろうという様子で物をいわれると、すごく悲しい気分になるし、馬鹿にされているような気分になる。
 
42. 週22時間、日語づけの学生
瀋陽薬科大学 979 高山敬子
 本校は薬科大学でその中に外国語(英語、日本語)を学ぶクラスがあり、それは5年制となっている。私が受け持つのは、中薬(漢方)専攻の日語科3年1クラス(10時間)と、日曜日の夜、5時〜7時までの授業だ。
 日曜日のクラスは生徒は5、6〜15、6人で学生、社会人と年齢差、学力差がきわめて大きかった。標準日本語の初級は18課からと言われたが出席者が一定しないので、1ヶ月後、中国人教師に連絡すると、「学生はもう来ません」と言う。次回行ってみると、生徒は僅か3名、しかも会社員から「来週からこの授業はありません」と言われる???の連続だったが、何の説明もなかった。
 3年生は新設されたばかりで、学生29名(遼寧省10名、中国全土から19名)で、男13、女16名とクラスの雰囲気もよかった。週22時間、日本語づけにされ、1年後には中国の4級試験に合格しなければ卒業できても学位はもらえないという。1日8時間日本語をやる日もある彼らに私がしてあげられる事は、せめて日本語が嫌いにならないよう工夫する事だった。そのため、折り紙、風船、剣玉、カルタ等遊びも取り入れた。日本から持ってきた四季おりおりの風景や行事、地図類も大いに役立っている。







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