―聖徳太子からマンガまで
(二〇〇三年八月二十一日)
マンガ、アニメに見る日本精神
夏休みはいかがでしたか。今年は本当に冷夏ですね。今日から暑くなることを祈っております。
マンガについては前回もふれましたが、もう少し深く話したいと思います。日本のマンガには大きな特徴がある。ところが灯台もと暗しで、日本人にはわからない。やりたいことをやっているだけですからね。しかし、外国人が見て言うのです。私もヨーロッパへ行ったり、アメリカへ行ったりするたびにそういう感想を聞かされました。
面白いことに、大使館の人とか、留学している日本の大学教授とかも、聞いているはずなのです。日本のマンガはすばらしい、面白い、子供が喜ぶのは一体なぜだろうと。そういう会話をアメリカ人、イギリス人としているはずなのに、全部忘れてしまう(笑)。情報価値がないと思っているらしい。日本を紹介するときは、お茶、生け花。それからデジタルカメラをプレゼントすれば喜ぶと、いまだに思っている。
向こうの人は、「そんなものではなくて、ポケモンカードをください」と言っているんです。何年か前にも話しましたが、今上天皇と美智子妃殿下が北欧諸国へ行ってプレゼントに渡したのはデジタルカメラ。向こうは「サンキュー」と言ってはいるが、本当はポケモンカードの、しかも日本語で書いた“クール”なのが欲しかった。しかしそれがわかる大使館の人はいない。宮内庁からついていった人もそういうことは思っていない。全部、ただ賢いだけの秀才。日本の自慢は精密機械だと学生時代に教わったとおりを信じて、その後進歩していない。自分の子供や孫とつき合っていないし、女性の気持ちもわからない。
それは勝手だが、北欧諸国の王室の子供達とその親の気持ちがわからないのは職務不熱心です。
「新しい日本」は外国の女性や子供を味方にするところからもう始まっているのです。
日本人は金持ちで、その日本人が欲しがるものをつくると自然に文化的・芸術的なものになって、それが向こうで受ける。それが輸出産業なのであって、日本の輸出産業は文化から生まれてくるのである。文化のもとをたどれば、日本人はもともと精神が高い。あるいは芸術的である。その理由は折々述べますが、そんなことが知らず知らずのうちにマンガ・アニメにあらわれている。が、我々は何とも思わない。日本は自分で自分を説明するということが不必要な社会ですからね。
すでにある日本精神文化圏
日本精神が不思議だと書いたのは『ロンドン・エコノミスト』ですね。今は「ロンドン」が取れて、ただの『エコノミスト』という雑誌になっていますが、これが三年ほど前に書いたのは、ジョージ・ソロスにいたぶられてアジアのビジネスマンはみんなアメリカを見るようになったが、しかし、アジアの子供は全部、日本を見ている。日本にあこがれ、日本を一日でも早く取り入れたいと思っている。心の中はもう日本人になっている。
その後が面白いのですが、日本は国境の外に日本精神文化圏をもう持っている。アジアがそうだ・・・と書いてあるのです。私は読みながら、「何を言っているんだ。アメリカだって、イギリスだってすでに日本精神文化圏だ。子供はみんなそうだ。大人が知らないだけだ」と思ったのですが、それはともかく『エコノミスト』が続けて、これは日本にたいへんな利益をもたらす。外交上、防衛上、日本シンパが国境の外にたくさんいるという、この利益はたいへんなものである、と書いてある。
実はイギリスこそ、そういう利益を満喫してきた国です。自分がその手を使ったから、日本がまた使っているなと気がついてこういうことを書くのだと思いました(日本人はやられてばかりなので気がつきません。それから、日本文化を外国人が誉めるのはお世辞だと思うのが「知識人」のとるべき態度だと思っています)。
さて、ヘーゲルに戻りますが、へーゲルはこう書いています。“ギリシャは大変得をした”。国境の外にギリシャ精神圏というのを持っていた。みんながギリシャにあこがれて、ギリシャ語を勉強して話し、ギリシャの本を読んで、ギリシャかぶれをした。ローマという国もそうであった。ローマは成功してからはそれをマネして、今度はローマ精神圏・文化圏をヨーロッパ中につくった。イギリスもその外れにいたが、そのマネをして、イギリスもイギリス文化礼賛、イギリス文明礼賛を世界中に広げて大成功した。「それを日本がやり出すとは生意気だ。これは注目すべき大事件である」と思ったのでしょう。
そして、『エコノミスト』がその後に書いているのは、アジア中が日本若者文化の海賊版だらけである。それをアメリカ人は退治しようとするが、日本人は退治しない。裁判を起こさない。日本文化が好きになって、広まってくれれば嬉しいという調子で、宣伝になるからと日本の会社は裁判をまったく起こさない。不思議なことである、と書いてある。
ちょうど同じころアメリカの『ビジネスウイーク』が書いたのは、日本はマンガ・アニメでアメリカから金を取っていく。ポケモングッズとか、ピカチュウグッズでいたいけないアメリカの子供のお小遣いをうばっていく。この産業上の利益は莫大なものである。これに対抗すべきディズニーはいったい何をしているのか。「ディズニーにはもうクリエイティブな能力はないらしい」と書いた。ロサンゼルスの映画館で『もののけ姫』か何かを見ている女性は、アメリカにはもう娯楽の創造能力はなくなったのではあるまいかと語ったと書いて、アメリカの『ビジネスウイーク』はその記事を終わるわけです。
このようにアメリカは産業利益だけを見ているが、イギリスは文化と精神を見ている。さらに『エコノミスト』はこう書いて記事を終わります。「日本は裁判を起こさないが、今やアジアの若者の方が変わった。経済が発展して豊かになると、やはりホンモノが欲しくなり、高い日本製のオリジナルを買うようになった」と。これは文化の勝利を見た意見です。アジアの若者は日本文化の品質をわかるようになったと言っているのです。
自然と生まれている輸出産業
イギリスとアメリカでこんなに見方が違うのか、と思いました。イギリスはヘーゲルが言った「精神の世界史」を知っているが、アメリカは知らない。アメリカ人は教養がない。それから日本人は教養なんかあろうがなかろうが、ともかく実行している。日本は別にアメリカヘ行ってしこたま儲けようと思っていないし、日本精神を広めようとも思っていない。自分が面白いものをつくって、自分が読み捨てにして、人が買いにくるから渡しているだけ。そんなもので裁判を起こしている間に、また次のことをやりたい。それが本当のクリエイティビティですね。本当の文化人ですね。次のものをつくるのが楽しい、うれしい、それが忙しいんだという若者が日本にたくさんいる。
これが日本の底力です。
輸出産業をつくるつもりでやっているわけではないのです。しかし、文化とはそういうものなんです。自分が好きなことをやっていれば、そして、それが良いものであれば、人がついてくる。
だから周りから言われると、「へえー」と思うだけですね。へえーと思って忘れるのが正しい態度なのですが、言われたから頑張ろうと急に動き出す情けない日本のインテリがたくさんいる。ばかばかしいことです。
世界から注目されていることを、ようやく日本人自身が知るようになった。それで自分のマンガとはいったい何だろう、日本人がつくっているアニメはいったいどういうものなのかと、自分で考えるようになった。
そこで、私がこんなことを言っても聞いてくれるようになりました。私は二〇年以上前にそんな本を書きましたから、感無量です。
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