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好きで選んだ文化ばかり
 さて、そのようなことで日本では紀元七〇〇年ごろから高い芸術性を持った時代がすでにあり、その後武士の時代があります。武士はもちろん戦争が職業ですが、これがまたけっこう文化的な武士なのですね。武士はすぐに文化的になり、戦国時代でもどんどん文化的になっていく。だから関が原の戦いが終わると、もう後は武士がみんな芸術家になってしまった(笑)。細かな話は省略いたしますが、江戸時代二五〇年間は芸術で戦争をしていました。戦争のかわりに芸術比べをしていた時代です。
 東京で言えば、お庭をつくっていました。大名が庭に凝って、お客を呼んでいた。江戸の町人の職業は四割が植木屋です。大名のところに行って庭でチョキチョキやっていた。自然に武士の生活を見ることになる。奥座敷まで覗き込んで、その噂をする。すると植木屋といえども文化が身についてくる。町人文化が花咲いて、芝居をつくって歌舞伎をやると、不謹慎だといって弾圧されるわけですが、そういう民衆も含めての文化的な江戸時代が二五〇年もあった。
 当時は秩序ある「日本連邦」でしたから、京都文化とか江戸文化が、参勤交代によって全国に普及していきます。だから日本の芸術は普及度が徹底している。なにしろ歴史の時間が長い。これはもうヨーロッパ・アメリカと全然違うと思います。それから社会が進んでいたので、人々の精神はなかなかに自由だった。理性と自由は日本芸術の母でした。
 そうなると今度は芸術が、法律制度にも、裁判制度にも、行政制度にも反映してくる。それから学問にも反映してくるし、産業にも、家庭生活にも反映してくる。宗教にも反映してくるのです。
 だから日本人は、まず美しいかどうか、汚いかどうかと判断する。そのような精神文化が培われているのです。
 しかも、この千何百年の間、メンバーの交代がない。異民族が入ってきて支配階級になったということがない国です。下克上といったって、同じ仲間の中ですからね。全然違うモンゴル文化が入ってきて古い日本文化は全部大掃除されたとか、新風俗を強制されたとかがありませんから、今日本に残っているものは全部我々が好きなものです。祖先が選びとったものしか残っていない。強制されたものは無いのです。それが積み重なっているので、淵源を掘り始めると万事、奥には奥があってキリがありません。“奥床しい”という言葉の意味をご存じですか? これは“奥ゆかま欲しい”の意味だそうです。覗き趣味と好奇心が高貴なものに向けられているということですね。日本には高貴で重厚的な文化があるから、奥ゆかま欲しいと人々が思うのです。
 外国の歴史を見ると、強制されて一般化したが、それからその異民族を追っ払った後はやめたという話がよくありますね。しかし日本にはそういう経験がない。これは重要な事だと思います。
 というのは、日本人がなぜ文化が好きかについて、強制された文化はかつて一つもないから。嫌ならキャンセルできた。そのような仮説を私は持っていますが、いかがですか?
 
日本は自信を持てばいい
 精神から歴史を考える。ある精神から国家や民族が生まれる。精神がやがて経済にも何にでもあらわれてくる。これは実は私の発明ではなく、へーゲルが言っています。『歴史哲学講義』という本が上下二冊で岩波文庫から出ていますが、実にわかりやすい本です。世界の歴史を、ヨーロッパもエジプトもトルコもギリシャも中国もインドも、全部駆け足で書いてあります。
 ヘーゲルは大変な物知りで、一人で百科事典を書くような人ですが、これは一八三七年に、ベルリン大学での講義をもとにまとめられたものです。今から約二〇〇年前で、データがほとんどないときに書いていますから、ラフスケッチでかえって大変わかりやすい(笑)。話が細かくならないわけです。この二冊で世界の歴史三〇〇〇年がわかったような気になる。そのうえ「ヘーゲルが言っている」と言うと世間でも通りが良いという便利な本です(笑)。
 ヘーゲルはベルリン大学で「精神から見た世界の歴史」という講義を、一八二二年から一八三一年までの間に五回やりました。それがこの『歴史哲学講義』のもとになったのですが、さて、その講義のとき彼の目の前にあったのはナポレオン革命でした。つまり軍事的にドイツは負けていたのです。軍事力のみならず経済力でも思想的にも哲学的にも、全部フランスに負けているのではないかという中で、「いやいや、自信を持て」という講義をしたのです。
 フランスといえどもローマからの借りものだ。ローマというのもギリシャからの借りものだ。ギリシャ人が最初に人間が理性を持つことに気がついた。それから自由ということに気がついた。その理性と自由から人間の歴史は始まった。それが文明・文化の始まりだ。その起源はペルシャであり、ギリシャである。それが世界にずっと広がっていったプロセスを見ると、なんとわがドイツにも来ているではないか、と、そういう話です。
 ドイツからもう少し広がるとアフガニスタン。しかしそこでおしまい。文明はアフガニスタンでもう終わり。そこから先は野蛮国(笑)。中国もインドも何やら大したものだけれど、やはりギリシャ精神が入ってないから野蛮国。そういう一八二〇年頃のドイツ人の気持ちが奥にある。深読みするとそうなるんです。
 明治維新になると、日本の学生はドイツに行って一生懸命勉強して帰って、日本の大学教授になって教えた。当時はドイツ語で教えました。私が大学に入った頃はまだその名残がありまして、この本を話題にすると、ドイツ語で読んだという学生がときどきいて、それを威張るんです(笑)。それは良いが、苦労して読んだからには素晴らしいことが書いてあったと思いたくて、ヘーゲルをむやみに持ち上げます。そこで「ギリシャ精神が伝わっていない国は野蛮国である」という点が伝染している。「日本にはギリシャ精神がないから野蛮国だ」と真面目に言うので苦笑してしまいました。
 エンタシスという有名な話があって、法隆寺の柱がちょっと膨らんでいるのは、ギリシャ神殿の影響が入っているのだと伊東忠太という東大の建築の先生が言ったら、日本中が大喜びしてそれを教科書に載せた。ギリシャ風味つけが日本にあるから、即ち日本はヨーロッパ文明圏の一部である―と喜んだ。これは昭和になってもまだ教科書に載っていました。さすがに今では、そんなことはこじつけだと載っていませんが、やはりそういう洗脳というか、欧米への劣等感がありますね。特にヨーロッパ・アメリカの大学へ行った人には強くしみ込んでいる。ギリシャとペルシャに関係がないアジアは野蛮国と思い込んでいますから、あきれたものです。
 フランスに圧倒されていた時代のへーゲルによる悲しいドイツのアイデンティティ探しに感染してはいけません。ドイツやイギリスがギリシャ文明の後継者を名乗るのは相当無理なことだと宮崎市定氏は言っています。
 日本人はもっと日本精神に自信を持てばいいのです。
 次回も精神の話を続けたいと思います。







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