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芸術、精神、日本語、共同体社会の力
 それをもう少し各論に分解すると、芸術の力、精神の力、日本語の力、思想の力、共同体社会の力になるわけです。多少説明を加えたいと思います。
 芸術の力についてですが、あるアメリカ人が「レクサスは凄い、あれは芸術作品である。工業製品ではない」と評した話は紹介しました。「ああいうものを日本人はつくり出してくる。アメリカでは一〇〇年たってもできない。やってやれないことはないが、それはミサイルのときだ(笑)。自動車でそんなことをやれと言うお客はいないし、やろうという自動車メーカーもないから、レクサスはアメリカでは生まれない。だからトヨタがつくって持ち込むと、アメリカのお客は喜んで買う。そして、日本にまた負けたと言って騒ぐのだ」と。
 では、日本人がどうしてそんなものをつくれるのか。それはやっぱり縄文時代以来の二千年に近い芸術の伝統があって、トヨタの社員であれ、エンジニアであれ、中小の下請けの人であれ、「デザイン・イン」ができるわけですね。
 デザイン・インというのは、平たく言えばみんなで集まって美しいデザインとその実現を考えようということです。そういうとき足並みがそろって、こっちのほうがかわいい、こっちのほうが雅やかであると議論が盛り上がる。そもそも、雅やかという言葉は多分英語にないでしょう。
 それがやはり日本語の力なのです。デザイン・インをやっているときは、イタリアへ行ってデザインを習った人であろうと、品川・川崎の町工場の親父であろうと、「もう少し雅やかにしようじゃないか」とか「こうしたほうが、ゆかしさがある」という表現で通じる。それがやっぱり日本であり、そのことが日本の底力なのです。
 こんなエピソードが思い出されます。日産のスカイラインを桜井さんが開発したときの話ですが、最初に情景の説明文をつくります。
 場所は日光の戦場ケ原。時刻は夕方。天気は雨と雷が迫っている。そこを一台の車が走る。乗っているのは三十歳のエンジニアで、行く先のホテルには彼女が待っている・・・、と。
 この情景を関係者一同が共有すると、不思議にそれらしいスカイラインができ上がるという話で、まずは「風流の世界」があって、それから「デザイン」や「スペック」(=仕様)が決まり、さらに「ハイテク」が出動するというところが何とも言えず日本的でした。
 ハイテクに出番を与えるのは風流や芸術のセンスなのであって、ハイテクがハイテクを産むとばかり考えるのは、エンジニアが書いた本を読んでそれに心酔した人が犯す誤りです。
 ところで、この話にはまだ先があります。
 新しいスカイラインの寸法や外観、概要が決まってから、後部のテール・ランプやウインカーやバンパーの配置と、そのデザインを二十数社に提案させたとき、この情景を半数には教え、半数には教えなかったところ、画然たる差が生じたそうです。教えなかった半数の会社の提案は何となくそぐわなくて、最終選考に残った数案には全然入らなかったそうです。「そぐわない」という日本語には何か科学的な根拠がありそうですね。ここまで情感を共有できるとは不思議な日本です。
 だから私は、アメリカは量の国で、日本は質の国。アメリカは科学の国で、日本は芸術の国。アメリカは力の国で、日本は精神の国、と言うのです。こんな対比はこの先いくらでもつくれます。それらを分ければ、立派なアメリカ人になるのは簡単だが、立派な日本人になるのはむずかしいと思われることでしょう。
 
子供がこんなにマンガを描く国はない
 これだけどうして子供がマンガをどんどん描けるのか、そんな国は日本しかないのです。私もその理由がわからない(笑)。しかし、描くんですね。
 家の近所に、五つ六つの子供を二人連れた夫婦が引っ越してきました。その子供が道一面にマンガを描くんです。あまり自動車が通らないものですから、延々と三〇メートル先までマンガを描く(笑)。まずオバQとか、ドラえもんとか、これはそっくりに描くからわかるんですけれども。その次に、お父さん、お母さんが入ってくる。真似の部分から、クリエイティブな部分へと移っていく(笑)。しかもお父さん、お母さんは写実的ではなくて、印象派の絵になっているのです。お母さんとはこういうものだという、その印象がパッと出ている。それは学校で教わったはずはない。何か知らないけれど生まれつき描けるらしい。
 これがピアノであれば、家が豊かだからピアノがあるとか、習わせたとか、そういう経済学的、教育学的な説明がつくのですが、さっさと絵が描けるというのが不思議でしようがないんです。
 多分マンガのお手本がたくさんありますから、それを真似て描いているうちに上手になるということなのでしょうが、そもそもマンガを自分も描こうとか、描けるはずだと思うところが、私には不思議です。また父母の特徴のとらえ方が実に素晴らしい。この子はお父さんお母さんをこうとらえているのかと思うと、実際のお父さんお母さんの顔を見るとおかしくてしようがない(笑)。本人より本人らしく描くんですよ。
 日本人はみんなそのくらいの芸術の才能があって、自然に足並みがそろう。メーカーもそうだし、買う客もそう。その結果の製品をアメリカが見て、びっくりして買うようになる。アメリカ人は商品を買ってみて、日本の文化に世界的普遍性があると、そう認めるのです。
 認めたくない人もたくさんいますよ。たまたま二、三日前に、ゼネラルモーターズの偉い人がアメリカのテレビに出てきて、「これから水素自動車をつくる。これは地球を救う。試作品はこんなに凄い」と見せました。インタビューする人が、日本と違って遠慮なくどんどん突っ込みます。「だけどアメリカのお客はトヨタを買いたいと思っている。ハイブリッド・カーを買いたいと思っている。ゼネラルモーターズは今からこんな水素自動車を大金かけてつくっても、お客はトヨタから離れないだろう。いったいどうするんだ」と、そこまで突っ込むと「だから政府の補助が欲しいんだ」と答えました。「一〇〇〇億円欲しい。一生懸命ブッシュ大統領に働きかけたら、一〇〇〇億円くれるという返事をもらったところだ」と答える。「一〇〇〇億円で足りるんですか」「いや、まだ足らないのだ。だから、もっとくれと運動中だ」。
 私はそれを見て、「なんだ、クライスラーのアイアコッカがやったことと一緒だ」と思いました。アイアコッカもたくさん政府の補助をもらいましたね。日本車に負けたらワシントンに泣きつく。くだらないアメリカですね。二〇年前のことですが、日本の洪水輸出は政府が補助しているからで、アンフェアであるとさんざん日本を攻撃した。しかし自分もやっぱり政府に泣きつく。
 それからもう一つは、トヨタを買うな、GMを買えとのアピールで、芸術ではかなわないから「水素だ」と素材を言い出した。芸術で負けて原材料で勝つ道を選ぶ。程度の低いアメリカだと感じました。







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