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第81回 5年後こうなる〜日本の底力
PART1
(二〇〇三年六月十九日)
政策提言が陥りやすい「病気」とは
 お配りした『日本人のちから』は、この東京財団が今回初めてつくった雑誌です。政策研究を前からやってきましたが、我々がやる政策研究はこんなものだということの発表のツールでもあります。
 「創刊にあたって」という冒頭の文章は私が書いたものですが、じつは私は若い頃、政策提言というものの「元祖」の手伝いをしていました。まだ三十歳ぐらいの頃ですが、土屋清さんと稲葉秀三さんがこの「政策提言」という言葉をつくり、研究成果を総理大臣のところへ持っていったり、新聞に載せるということを始めました。
 
創刊号
 
 その当時は銀行員だったのですが、「手伝え」と言われてずいぶんこき使われました(笑)。その後も自民党とか社会党、その他いろいろなところから声がかかり、政策づくりの手伝いを何十年もいたしました。すると官庁の審議会のほうからも声がかかり、委員も何十とやりました。
 おかげで政策提言なるものが、いかにインチキかわかりましたし、インチキという表現がキツければ、“流行に流される病気”に陥りやすい行動だと言い換えてもいいのですが、それをまた今度、東京財団で繰り返してはいけないわけで、自分の戒めのために次のようなことを書きました。
 まず第一番は、政策提言をしていると、大臣か首相になったような錯覚に溺れ、たいへん良い気分がするという病気にかかります。
 第二番は、紙の上だけでやっていますから、自己満足と自己肥大が止まりません。政治家や政党はいろいろ叩かれるという「抑止力」を受けますが、政策提言をしている人は紙の上に書くだけでいい。「最後は首相の決断力による」などと書いておけば終わりですからラクなものです。かなり間違ったことを書いても、その反省もなしにでき上がってしまいます。
 したがって第三番に、政策研究は「国家よ頑張れ」と書けば終わるのですから、国家依存病になります。あるいは国家万能主義に陥っても気がつきません。このへんは野党の人がよくかかる病気です。
 それから第四番は、それをやっているとどこからか報酬が出ますから、シンクタンクという産業ができました。つまり、クビになってもまたどこか別のシンクタンクへ移ることができるので、職業化した政策研究屋が生まれました。これがアメリカにはすでにたくさんいますね。その病気が日本に入っていますから、私はそれはSARS(シック・オブ・アメリカズ・リサーチ・アンド・スクールズ)であると、冗談半分で表現しています。そのようなアメリカ病が、今の日本にも入っているので注意が必要です。
 私は二〇年ほど前にソフト化経済センターをつくりましたが、絶対に自分のことをシンクタンクと言ったことはないのです。「シンクタンク協議会をつくるから入ってくれ」と言われたときも、入りませんでした。基調報告をしてくれと言われたときも断りました。
 そもそもシンクタンクみたいな、あんなインチキなことは日本ではやらないほうが良いと思っていたからです。しかし、あとで部下が淋しがっているので入りました。シンクタンクとはオリジナリティを売るものなのに、なぜ集まろうとするのか理解できません。自信がない人ばかりのようです。
 シンクタンクという呼称ができたとき、イギリスでこう言われたそうです。「シンクタンクは必ず沈む。オリジナリティを持った人が創始するが、やがてその人も時代に追いつかれるからだ」。沈まないのはスポンサーがある場合で、それは自由な研究の妨げになります。幸い、東京財団はモーターボートからたくさんの基金をもらいましたので、その制約がありません。したがって、研究内容についての責任は重いと思っています。
 
日本とアメリカ、人材の違い
 ワシントンでシンクタンクにいる人は「研究業者」で、政策提言を販売し、流通させるためのマーケットができあがっています。なるべく高値で売りつけようと、販売係が社交界をうろつき、大統領夫人などにも取り入ります。夫人をうまく感心させれば自分は次官補になれる。そういう男はみんな口がうまくて格好いいですよ(笑)。日本人はなかなか太刀打ちできません。
 そんな輩がひしめいているのがワシントンのKストリートというところです。Kストリートと、この虎ノ門界隈は多少雰囲気が似ています。先日もすぐそこの新規開業した理髪店に―私は何でも新しい店を見たらすぐに入りますから―入ると「あなたはこの辺のどこかの財団法人にいるのでしょう。どこのお役所から天下りしたのですか」と聞かれました(笑)。向こうもなかなかよく見ています。この界隈がKストリート的な雰囲気だという余談です。
 そのアメリカでシンクタンクがまあまあ尊敬されるのは、優秀な人は役人にはならないからです。役人の給料は非常に低くて、しかも上のほうの偉い人はポリティカル・アポインティで指名されますから、役人はいずれ昇進が止まってしまいます。加えて与野党が交代しますから、共和党の間は民主党系の頭のいい人はすることがない。役所では使ってくれませんから、大学教授になるか研究所に行って、有名になるために多少無理なことでも書きまくる、言いまくる(笑)。日本では最近までそのような人は全部役所に入りますから、外で研究する人はいなかったのです。
 私の世代の話で言えば、昭和三十年前後の頃ですが、当時の日本はまだみんな食うや食わずですから、学校の成績が良かろうが悪かろうが、頭が良かろうが悪かろうが、まず食っていけそうな、つまり月給の高そうな会社を受けます。経済学部の場合はたくさん受け歩いて落っこちたら、仕方がないから役所へ行こうかという感じでした。官庁も落ちた人が仕方なく大学へ戻って教授になる。私の友人を見ると、東大教授が二人いますが彼らは就職試験を全部落ちている。泣く泣くかどうかは知らないが、大学院へ進んで東大教授になった。それが正解だったと言えるでしょう。教授としていい仕事をしているから、会社は人を見る目がありました。
 そういう事情がありますから、日本でシンクタンクをつくってもそれだけの人が集まらないのです。「それだけの人」というのは、「それだけの自信を持った人」という意味です。本当に優秀かどうかはまたその先のことですが、入口においては、とりあえず自信にあふれた人は日本のシンクタンクには集まらない。
 というのが何十年かたち、最近はリストラ時代になりましたので、昔に比べれば集まるようになりました。だから新しい時代の始まりかなと思いますが、ともあれ政策提言にはそういう病気があります。
 
先に決まっているレポートの結論
 それから、シンクタンクの研究にはたいていお役所からお金が出るものですから結論が先に決まっている。
 道路はもっと必要だとか、北陸新幹線はお客がすぐに満員になるだろうとか、四国に橋を三本かけてもトラックでいっぱいになるだとか。大ウソのかたまりですが、そんなことは最初からみんなわかっているのです。
 しかし、何やらそんなことを書き上げて出すと、国から委託研究費がもらえる。どんどん信用を無くすのですが、そういうシンクタンクは族議員とくっついてしまうので、レポートの中身に信用が無くても仕事が来る。それが彼らの商売だから仕方がないと同情はしますが、研究者としては失格ですね。
 そういう研究になっては困る、我々はそうでないことをするぞ、と勇ましく書いたのがこの「創刊にあたって」という文章です。本当にできるかどうか、これから大変でございますが、努力いたしますからぜひ応援してください。
 そのやり方の一つですけれど、「もう結論は持っている」という人を集める。その人は多年それに携わって何でも知っている。幸い今回退官したので何でも言えるようになったとか、そういう「結論を持った人」から結論をちょうだいする。それはそんなにお金がかかるわけではないので、一〇〇万円、二〇〇万円ぐらいで立派な結論がいただけるだろう。毎月五つも六つも、何なら一〇でもちょうだいしていきたいという活動をしようと思っておりまして、この間公募をいたしました。
 百ぐらい集まりましたが、これがやっぱり学者風なのです(笑)。今から外国の事例を調べ、日本の実情調査をし、アンケート調査をし、コンピュータにかけて、関連学者を集めて討論する。だから二〇〇万円というものばかり。
 それはそれで別にやるから、結論だけ言ってくださいという公募だったのですが、私が良いと思うものはあまり集まらなかった。これから何とか努力して集めて『日本人のちから』に載せていきたいと思っております。皆さんの中でも、自分がやりたいという人がいたら、どうぞ申し出てください。よろしくお願いいたします。







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