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'05 剣詩舞の研究■1
幼少年の部
石川健次郎
 
剣舞「鞍馬の牛若」
詩舞「問梅閣」
剣舞
「鞍馬(くらま)の牛若(うしわか)」の研究
松口月城(まつぐちげつじょう) 作
(前奏)
恩讐(おんしゅう)脉脉(みゃくみゃく)心肝(しんかん)に徹す(てっす)
鞍馬山(くらまやま)の牛若丸(うしわかまる)
経文(きょうもん)を読まず(よまず)韜略(とうりゃく)を読む(よむ)
練磨(れんま)の一剣(いっけん)天(てん)に倚って(よって)寒し(さむし)
(後奏)
 
〈詩文解釈〉
 作者の松口月城(一八八七〜一九八一)の作品群の中に、本題のような歴史上の人物の幼少期を描いたものや、“桃太郎”などのお伽噺(おとぎばなし)を題材にした子供にも親しめる漢詩がある。從って幼少年向きの剣舞作品としては、大いに期待されるものになるだろう。
 さて、詩文解釈の前に、まず牛若丸の生い立ちを述べて置こう。牛若丸(源義経の幼名)は平治元年(一一九九)に、源義朝を父に常盤を母として誕生したが、父は翌年“平治の乱”で平清盛に敗れ、常盤は難を逃れて三人の子を連れ大和の里に隠れた。この件り(くだり)は、梁川星巌作「常盤孤を抱くの図に題す」でよく知られている通りだが、三児の今若(七歳)、乙若(五歳)、牛若(一歳)は母常盤と共に仇敵の平清盛に引き取られた。母は子の命を助けるため清盛の意に從って一女を生み、今若は寺に、乙若は稚児に出され、牛若は四歳まで母親とすごした。その後牛若は山科を経て七歳のときに鞍馬寺の東光坊阿闍梨(僧正坊)に預けられて学問や武芸に励んだ。十一歳のときに系図を見て、自分が清盛に討たれた源義朝の子であることを知り、思い立って中国の兵法書である「六韜(りくとう)」と「三略(さんりゃく)」を熱心に学び、鞍馬の天狗どもを相手に剣の技を鍛えて十六歳で山を下りた。
 この詩で作者の松口月城は牛若丸の鞍馬での生活を簡潔に述べているが、彼の不撓な人格形成がよく表現されている。
 さて詩文の意味は『鞍馬山に預けられて修行を積む牛若丸は今迄の(自分自身のことや母常盤や父源義朝など)様々な出来ごとが心に深くわだかまり、(清盛打倒の)思い決するものがあった。從って彼は僧侶としてお経を勉強するよりも、強い武人になるための兵法の書「六韜三略」を読み、武芸に励んだので、彼の磨き上げた剣技からは冷気を感じる程であった』というもの
 
〈構成振付のポイント〉
 まず牛若丸の年齢的なイメージを考えると前項で述べたように彼が七歳で鞍馬山に預けられ、その後家系を知って啓発した十一歳頃を中心にした構成や振付で役作りをしたい。
 一例として前奏から起句にかけては、刀を隠し持って登場し、仏前に座って拝礼すると、そこにある書もの(扇で見立てるが家紋が目に付く)を見て自分が源氏の血統であることを知り驚く。承句は辺りに気を配って刀を持ち出し、その扱い方を模索する熱心さと子供らしさを見せる。転句は突然現れた師の東光坊から兵法書を授かり、鉢巻たすき着けて四方に構えの型を見せる。結句は跳躍をともなう激しい剣技の連続で牛若丸の身軽さを印象づけ、刀をかざして終る。
 
鞍馬山で、からす天狗を相手に技を磨く牛若丸、右は僧正坊(錦絵)
 
〈衣装・持ち道具〉
 歌舞伎舞踊では牛若丸の衣装に、水色、朱、ピンク、白などを使い、袴は紫と白のぼかしを用いるので参考にするとよい。扇は前項の見立てに從うなら、白地に笹龍胆(ささりんどう)紋(源氏の家紋)を配してもよい。刀の代わりに棒(木刀)を使うことも出来る。女児ならば髪は稚児輪風に結い上げると牛若丸の雰囲気になる。
 
詩舞
「問梅閣(もんばいかく)」の研究
高啓(こうけい) 作
(前奏)
春(はる)に問う(とう)何れ(いずれ)の処(ところ)よりか来る(きたる)
春(はる)来って(きたって)何れ(いずれ)の許(ところ)にか在る(ある)と
月(つき)堕ちて(おちて)花(はな)言わず(いわず)
幽禽(ゆうきん)自ら(おのずから)相語る(あいかたる)
(後奏)
 
〈詩文解釈〉
 作者の高啓(一三三六〜一三七四)は元(げん)末期から明(みん)初期にかけての詩人。長州の出身で江南的な詩情の溢れた作品が多く、因みに「胡隠君を尋ぬ」などは有名。また高啓は梅を好み「梅花」と題した九首の連作を残している。この題名の問梅閣がどこにあるのかは明らかではないが、梅の景勝の地に建てられた御殿(高閣)の名称で、ここから眺める梅が美しいのでその名がつけられたのであろう。
 さて詩文の意味は『春にたずねますが、あなたはどこから来たのですか、そして今はどこにいるのですか。
 この間は月は没してしまい梅花は何も答えない。ただ小鳥だけが静かにさえずっている』というもの。季節の春を擬人化して質問すると云った詩形はよくあるパターンであるが、その答えに月、花、鳥と自然界の情景を対応させている。
 
〈構成振付のポイント〉
 この作品の擬人化された部分は、そのままでは振付に結びつかないから、構成上のプロットを別に組立てた方がよい。参考として、この作品によく似た日本唱歌「春が来た」(国文学者高野辰之作詞)と比較してみよう。
春が来た春が来た、どこに来た
山に来た里に来た野にも来た
花が咲く花が咲く、どこに咲く
山に咲く里に咲く野にも咲く
鳥がなく鳥がなく、どこでなく
山でなく里でなく野でもなく
 この三番までの歌詞によって、春は山から村里に、そして町までに、花や鳥を運んで来たことを述べている。
 こうした自然界の『花鳥風月』の雅(みやび)を取入れた形式は「問梅閣」にも通じるので、次の様な構成例を考えてみた。
 まず前奏から起句にかけて、扇を使って春風の流れを三段階位に分けた表現を見せ、振りは山からの吹きおろし、つむじ風、野原を渡るそよ風などの自然界の情景を組立てる。承句は花の蕾が開き次々と枝に花をつける様子、そして花が散る様子を二枚扇の活用で振り付けてみる。転句は、月が西に沈み反対の方角からの春の日差しが、まぶしい程に花を照らしている様子を抽象表現でみせる。結句は鳥のなき声や、飛び回る様子などを、それを見たり聞いたりしている人(作者)を含めて振り付けに変化をつける。全体を春風、花、月、鳥で上品さとのどかさで表現したい。さて以上はやや抽象的であったが、次にもう一つ具体的な筋立てで、女児向きの構成例を述べよう。場所のイメージとしては問梅閣の四方が見渡せる座敷で、前奏から起句にかけて、花器(開いた扇)に梅の枝(扇)をのせた演者が登場、よろしき処で座り、花を生ける振りになる。承句からは高殿に吹く春風がテーマで扇の踊り、時々生け花の花を散らす。転句はその花びらがテーマになり、花びらにふさわしい扇に持ち替えて可愛らしい花の精を踊る。結句は鴬がテーマで、鳴声に引かれて扇を片付けながら窓外に聞き耳をたてる。と役変わりで鴬になり、袂の振りを活用しポーズ終りになると後奏で演者(女児)は花器を持って退場する。
 
〈衣装・持ち道具〉
 春のテーマにふさわしい着付けの色としては、若草色や明るい水色などがよい、又女児の場合は赤系のものもよい。袴の色や柄は組み合せが大切。それに扇の色や柄も当然振付との関係で決めて欲しい。持ち替えたり、扇の表と裏との図柄の使い分けも研究したい。
 
梅園の春(問梅閣のイメージ)







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