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グローバル化の中の日本歌劇・・・渡辺裕
[帝劇歌劇部の活動の再評価のために]
I オペラの歴史についての疑問
 「帝国劇場」が日本の近代文化史において果たした役割は数知れないが、その中でとりわけ忘れることのできないものの一つに、日本におけるオペラの歴史への寄与を挙げることができる。何しろ帝劇では、明治四十四年に三月の開場に先だって座付きのオーケストラが組織されたのに続いて、同年八月には「歌劇部」が創設され、専属の歌手を公募し、さっそく公演活動を開始したのである。専属スタッフをかかえた本格的な常設の歌劇場が未だに東京にすら一つもないことが嘆かれ、これは日本の音楽文化の貧困さを示すものだなどと批判されたりする今日の状況を考えるならば、この時点でこういうことが行われていたということは実に驚きである。この一事をもってしても、日本におけるオペラの歴史を語る上の帝劇という存在の重要性は納得されるであろう。
 しかしながら他方で、日本のオペラ史に関わる言説の中では、この帝劇の試みが「失敗」として位置づけられ、日本のオペラ文化が未だ幼稚で成熟していなかったことの現れであるとされていることもまた事実である。この時期の帝劇で上演されたオペラは、未だ本格的なオペラにはほど遠く、その芸術的価値を云々するような段階のものではなかったというわけである。かくして「帝劇歌劇部」は、その後、藤原歌劇団や二期会の形作ってきた日本のオペラ史の「前史」として位置づけられ、かつ、その「日本のオペラ史」自体が、未だ成熟したとは言い難い、「文化の二流国」のそれであるかのように語られてきたのである。
 
お濠端から見た帝国劇場(左)と警視庁(右)
 
 オペラの歴史についてのこういう語りのモードに私はかねてからずっと疑問をいだいていた。そもそも、西洋の諸都市に立派な歌劇場があるのはべつに文化が日本よりも豊かだからというわけではなく、西洋においては、各国が近代国家として形を整えてゆく過程の中で、歌劇場がその文化的アイデンティティを担う象徴的な存在として機能するようになったという、きわめて政治的・イデオロギー的な理由によるものなのである。もちろんこうした動きはグローバル化の中でその後、世界的に広がったのであり、ハノイにもカイロにも、そしてアマゾンの奥地マナウスにも立派な歌劇場が建てられてたのであるが、そうであればなおさら、ただ欧米に少しでも近づきさえすれば文化が豊かになったかのように思ってしまう前に、日本のオペラ文化についても、一方でこうしたグローバルな広がりとの関連を視野に入れつつ、他方で日本という場の固有性を考慮に入れてものを考えてみる必要があるだろう。そうなれば、帝劇歌劇部やこの時代の日本のオペラの状況についてもまた、単なる「前史」に押し込めるのではない、別の見方が可能なのではないか。そんな風に考えるようになったのである。







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