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(6)帝国劇場側面立面図
 
(7)帝国劇場横断面図
 
 
I-ii 和が同居する西洋劇場
 外観からは西洋一点張りのように見えるが、中に入ってみると意外に和洋が混在している。建築の骨格となるところは洋に則っているが、装飾は自由に扱われている。天井画・壁画など油彩によりながら題材は和そのものだし、彫刻にもそれが見られる。シンボルとなっている像も能楽の翁という日本の古典である。
 プロセニアムのプロポーションは、西洋劇場であればほぼ正方形に近いのが普通だが、ここでは縦横比がおよそ一対二と横長である。緞帳も西欧式のハウスカーテンの他に金糸入白茶斜子の副緞帳を備えている。楽屋は畳敷きの座式スタイルで化粧前といっても天井から吊された裸電球とあまり大きくない置き鏡式であった。日本の発明品とされる廻り舞台もある。三階ロビー休憩室には、畳部屋もある。椅子も肘掛けを畳み込めたり座式に変えられる仕組みを持っていた。
 舞台側の問題としては、やはり歌舞伎との苦悩の選択が見られる。結局花道は、平土間側面のボックス席二つを取り外して鳥屋とする仮設式が選択されるのだが、基本設計段階の図面には、上下両側に脇花道を設けている案があり、そのプロセスを窺い知ることができる。その案に描かれた脇花道や和洋折衷のプロセニアム比は、良くも悪くもその後の日本の劇場・ホールの標準となり、活動目標や施設意図抜きで多目的ホールの型として定着することになる。その発想が既にここにあった。
 
(8)
帝国劇場の天井画、謡曲「羽衣」に題材をとった。
和田英作画(鹿児島市立美術館蔵)
 
(9)客席、中央から右へ仮設花道が通っている
 
(10)開場当時のプロセニアム・アーチと天井。
左方に白く飛んで見えるのは石膏の鳩。
アーチの中央には翁が取り付けられている
 
 欧米という世界標準を射程として、自分たちの文化を形成して行かざるを得なかった時代、西洋文化に憧れながらも、旧来のスタイルを一気に変えることなく両者を上手く住み分けてしまう器用さが帝国劇場にも見られる。そして、帝国劇場とその三年後にオープンした三越本店の両方を設計した建築家が横河民輔(一八六四−一九四五年)であることが、両者に共通する重要なキーになっている。
 当時建築界では、帝国議院建築を巡って様式論争が繰り返し議論されていた。日本において西洋建築を導入することの在処、様式が持つ意義、独自の新様式を創造する必要性などについて広く話題となり、建築家たちを熱くさせていた。しかし、横河が欧米から学んだことは建築様式や技術だけではなかった。一八七九年卒業の第一世代を初め多くの日本人建築家が、建築を国家的事業と捉え、様式という外側から建築を考えていたに対して、彼は皆が好ましいと思うものを作ればよいといった態度で、社会的活動と相互に作用し合うものと建築を捉えていた。建築を成立させる仕組みや経済にまで幅広く関心を持っていた彼が設計者だったことは幸いだった。帝国劇場に新しいものを摂取する好奇心と能力、その活力の重要性と生みの苦悩の両面を見ることができるのは、そうした背景がある。







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