日本財団 図書館


 衆・参一九二人の国会議員が加入している全国保育関係議員連盟の橋本龍太郎会長が大きな拍手とともに登壇、挨拶を行った。
 「今日こうして、大変大勢の関係者にこの武道館にお集まりを頂きました事自体に、私は非常に残念な思いでございます。今まで保育の現場にいろいろな波が押し寄せたことがたくさんありました。しかし、子どもたちのそばを出来るだけ離れないようにして頂くために、大きな大会などをあまりしなかったのが今までの例でありました。今回、こうした大会を武道館という非常に大きな会場で開いて頂かなければならなくなったことに、私どもの力足らずを恥じております。
 丁度、私が初めて国会に当選させて頂きました頃、先ほど幹事長のお話にもありましたように、保育というものが制度の中で、いわゆる託児所から保育所に変わった。そしてその後の、義務教育に到達する年齢の時、幼稚園を卒園するお子さんと、保育所を卒業していくお子さんとの教育レベルを揃えなければならないというのが大変な問題になっておりました。
 第一次の幼保論争と言われるものがその話でしたが、これは、当時の厚生省、当時の文部省それぞれの担当局長が一生懸命話し合いをし、学校教育の一環として行われる幼稚園と子どもたちに家庭に代わる環境を与える保育との違い、しかし、その上で義務教育の年齢になった時には、同じような初等教育を受けている、そういう状況を作りだすためにお互いに力を合わせる、そんなことで収まりました。
 そしてしばらくすると、有名な中教審が優秀な保育所には幼稚園の看板を掛けさせてあげる、といったいわゆる、二枚看板論というものが出てきまして、また幼保の間が大変ぎくしゃくしたことがあります。そのころ、私たちの大先輩、原田健先生とか坂田道太先生とかそうした大先輩がフランスの幼児学校の制度をわざわざ自分のポケットマネーで視察をしに行かれた。その報告を元にして議論をされて、もう一つの選択肢としてあった、義務教育の年齢を一歳切り下げるというのは、子どもの発育状況から言って思わしくないという結論に達して、そのあと、文部大臣であった坂田道太先生が「自分は虚心坦懐に幼稚園指導要領と保育指針を読み比べてみた。そして、子どもたちの発育を考える時、日常の生活のリズムを作る、その中に教育を織り交ぜていく保育指針の方がよくできている」という発言をされ、これは大騒動になりました。しかし坂田先生はそのご主張を曲げることなく、自分はこう信じると言い切ってくださったことを今も思い出しております。
 
橋本保育議連会長が挨拶
 
 その後も、臨時教育審議会の中でこれは幼児教育の方から出た議論でありますけれども、幼保一元化論が出たり、いろんな事がありました。そしてそのたびに保育関係者の皆様がずいぶん心配してくださいましたけれども、こんな大会を開いて頂くことは無く、それぞれの時の解決が行われてきました。そして、今申し上げたようないくつかのピンチの中でも、少なくとも、お金が苦しいから制度を変えるとか、そんな無責任な話は一度もありませんでした。
 今回、いろんな議論があります。その中の一つが先ほどもお話のありました、一般財源化です。地方分権という事は私も大事だと思っていますし、自分が総理の時に機関委任事務を廃止した、私が張本人ですから、地方分権というものが必要でない、というのではありません。しかし、子どもたちにより優れた家庭に代わる環境を与える責任というのは国の責任じゃないんでしょうか。
 今、この会場に入ろうとした時、どこの社か知りません、テレビカメラが近づいてきて、「財務省と総務省では話が付いたようですが、どう思いますか」と言うから、
 「それは子どもの幸せにつながりますか」その記者さんに聞いたんですけど、記者さん答えてくれませんでした。
 今、幹事長のご挨拶の中にも、待機児童ゼロ作戦という言葉がありました。正に、これは子どもたちに、家庭に代わる環境を、保育の皆さんに作り出して頂くための国の施策です。国がやらなければならない施策なのです。一般財源化というのは、その責任を地方に投げてしまう、そんなことになりはしないだろうか、私にはそう思えます。
 しかし、あるいは、それは私が古いのかもしれません。過去の議論にとらわれすぎている、そういうご批判をなさるマスコミの方もあります。しかし、その幼保一元化論、今まで大激論が三回ありました。しかし、保育というものの専門的な機能を論議の対象から落とした、あるいは家庭に代わる環境を子どもたちに与える、という保育の責任を忘れた、そんな幼保一元化論というものは、今までありませんでした。今まであったのは、むしろ、子どもたちの発育が早くなってきている、そうすると就学年齢を一歳引き下げても、早くしてもいいんじゃないか、そういう中で幼児教育機関を整備していくとすれば幼保の一元化というのは議論の一つとして、真剣に関係者から出てきた議論です。それでも実は三歳児、四歳児、五歳児、一人ひとりの発育のスピードの違う時代にカリキュラムに従った教育がいいのかどうか、我々はそうは思わない、ということで今までも議論をしてきました。そして、一日の暮らしの中に教育を織り込む、それが子どもたちのためにも良いんだ、そういう議論をしてきたつもりです。
 そういう議論を一切抜きにした幼保一元化論というのは、今までは、その一元化を言われた方々の名誉のためにも申し上げたいと思うのですが、何となく似ているからくっつけちゃえ、なんていう無責任な話はありませんでした。そして、関係の審議会の事務局をしている方々が、今の議論の説明を先日してくれた時、その方に私一つ質問をしました。「保育所には調理室がありますけれども、無くてもいいんじゃないでしょうか?幼稚園は無くて済んでいます」「ちょっと待ってもらいたい。幼稚園はお昼に帰らしてくれる。もちろん幼稚園も延長保育がありますけれども、基本的にはご飯はおうちで食べるのが前提。私の孫も幼稚園に行っているのもいますから。しかし保育の場所、それは正に、その延長保育とか、いろんな言葉が飛ぶように、ほんとにご両親が仕事に出られる前から、終わって帰って来られるまで、その長い時間をカバーするんですから、その間に食事もなければ、飲物もないという様な預かり方ができるか。君は今、お子さん何人いるんだい。君は自分のお子さんをのどがカラカラになっても、お腹がペコペコになっても、調理室が無いんだから我慢しろ、言えるかい?あるいは、その調理室で作って頂いた食事ではない、ジャンクフードを毎日毎日食わされてて、そこに子どもを預けるかい?」。
 
左から山崎、江藤、橋本、野中氏
 
 その方は、私が言おうとしていたことを、なかなかわかってくれませんでしたけれど、とにかく、自分のお子さんがその保育所に預かって頂く時に、調理施設のないところに預ける気が君にはあるのかい?
 これが、私が今の議論に、私が言いたいことの全てです。まあ、今日こちらに参りますと、幹事長をはじめ、大勢の私たちの同僚がここに詰めかけています。みな、同じような気持ちだと思います。こういう、大会をまた開いて頂かずに済むように、それぞれの持ち場で全力を尽くしたいと思います。今日はありがとうございました。」
 
 出席した国会議員の紹介がはじまり、次々に議員が登壇する。主催者とあわせて総ぜい一四〇人ほどになった。司会者から次々と名前が紹介され、正面のスクリーンに大きく写し出される。紹介された議員は六九人(本人出席者名は二三頁日保協速報参照)、出席した秘書は九六人であった。また、南野千恵子日本保育推進連盟副会長(参)、江藤隆美議員(衆)から挨拶があった。
 
会場は熱気につつまれた
 
 厚生労働省から出席した、岩田喜美枝雇用均等・児童家庭局長、渡邉芳樹大臣官房審議官、高井康行保育課長の紹介があった。
 
 再び議員団が登壇。先ごろ実行委員会において策定された「こどもを守る総決起大会」のアピール案を、山田和子副議長が朗読。次にこの案について会場の賛同をもとめ、原案どおり採択された。
 最後に、このたびの大会スローガンについて参加者全員が起立し、八○○○人の願いを込めたシュプレヒコールが日本武道館にこだました。
 
力強くシュプレヒコール
 
 
8000人の保育関係者の声は日本武道館を揺るがした
 
こどもを守る総決起大会アピール
 少子化の進行や虐待の問題等、こどもをとりまく環境が悪化している中で、保育現場では、こどもたち一人ひとりの健やかな成長と幸せを願い、懸命に保育に取り組んでいます。
 しかしながら、子どもの福祉に責任を負うべき国が、財政的な理由によりそれを地方に転嫁しようとしており、さらに、政府の経済財政諮問会議などでは、こどもの幸せを抜きにした、経済効率や財政上の問題優先の議論が行われています。
 地域で長年にわたり子育て支援を実践してきた保育所だからこそあえて今、声を大にして訴えます。政府は、もっと現場の声に耳を傾け、こどもの幸せに逆行する不毛な議論はすぐにやめるべきです。
 本日、日本武道館に全国から多数参集した保育関係者により次のとおり決議し、全国各地域で更に活動を展開することを宣言します。
一、一般財源化はこどもの保育、福祉の切捨てを招くものであり、絶対に反対する。
一、保育の専門的機能と役割を軽視した幼保一元化論は容認できない。
一、食は保育の中核をなすものであり、調理室は欠くことができない。
 
平成十五年五月二十七日
社会福祉法人 日本保育協会
こどもを守る総決起大会







日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION